他人の不幸より幸せを願うには?

■他人の不幸ではなく、他人の幸せを心から願う心を身につける愛の修行。愛を広げる人生/生き方の修行。


他人の不幸より幸せを願うには?


バス男「なっ、タルタルこれだけ!?・・これは店員を呼びつけて、叱りつけてやらないといけないな!!プンプン(`ε´)ぶーぶー」

バス子「ちょっと~、タルタルソースの量くらいで、辞めなさいよ。店員さんに迷惑でしょ。」

バス男「バス子ちゃ~ん。この店なんて、もう来ないし、店員なんて叱りつければ良いんだよ!」

バス子「もう。仙人の【他人の不幸より幸せを願うには?】の話、聞いていないの?」

バス男「え?仙人様の【他人の不幸より幸せを願うには】の話?」

バス子「うん。仙人が言うにはね・・」







~「他人の幸せを心から願う心」を身につける愛の仙人修行~

1.他人の不幸より幸せを願うには

①世界観の影響力

■瞑想中、{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}という意識が芽生えた。
すると、ゴルフの練習場での、とある場面が頭に浮かんだ。
ゴルフの練習上で初めて会った初対面の相手が、作り笑顔ではなく、満面の笑みで私を見ていた。
相手の表情や目は、私のことを信頼しきっている・・そういう目や表情であった。



「はっ」と我に返り目をあけると、暗がりの中、いつもの部屋が視界に入ってきました。

脳裏に浮かんだ、あの場面は、先日、友人とゴルフの打ちっぱなしの練習に行った際の場面であるように思えました。
その日、ゴルフの練習場には、友人の後輩がたまたま来ていたのでした。
私は、その初対面の後輩に対して、少し作り笑顔をしながら、距離感ある態度にてそっけなく会釈をし、後輩も、私に対して、軽く会釈をしたのでした・・。

ゴルフ場でのことを思い出しながら、、、と同時に、個人的には、とても大きな‘気づき’がもたらされたのでした。


「あぁ、愛深い賢者は、{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観にて生きているんだ。なるほど!だから愛深い賢者は、あのような愛に満ち溢れる態度/対応を、全ての他者に対して行うのか!」

愛の深い素敵な人たちが、どうしてあんなに、どのような人に対しても、愛深い行動がとれるか?の理由がわからずにいたのですが・・・その理由の1つがわかった気がして、とても嬉しくなったのでした。

私は、繁栄原則の1つである{他者の幸せを心から願う心}を大切にしようとしていたのですが、実践できずにいました。
どうしても、他人の「幸せ/成功/繁栄」を、素直に純粋に、自然と・・は、心から願えずにいたのです。

「他者の幸せを願う心が大切だ!」と自分に言い聞かせ、他者の幸せを願おうとするのですが、どうしても、心から純粋には願えない・・・そんな状態が、ずっと続いていたのでした。

それは、私の世界観が{他者は競争相手/他人はライバル}という世界観だったから!でもあったように、‘気づき’の発展として思えてきたのでした。



②他人は仲間?競争相手?~他人の不幸より幸せを願うには~
■私は、自覚こそなかったものの、仲のいい友人以外の他者のことを、「競争相手/ライバル」として、認識し見ている側面もあったようでした。

そのため、自分と同じような人や、イケメンや優れている人を見ると、無意識のうちに即座に「この人は競争相手/ライバル」と認識し、敵対心をもってしまうことも多々あったのでした。もしくは「私は、この人に負けている」と思い劣等感を感じることになっていたのでした。

そして私は、他人のことを「協力し合う仲間」としてではなく、{競争相手/ライバル}と認識するから、「負けたくない!勝ちたい!」と思うことになり、だからこそ内心、相手のミスや不幸を願い、相手の成功に対しては、嫉妬心を抱くことになっていたのでした。


また、自分より劣っていそうな人を見ると、無意識のうちに即座に「ふふ。私の方が勝っている」と優越感を感じ、内心、その相手を見下すことをしていました。

それもこれも、他人を「協力し合う仲間」としてではなく、「競争相手/ライバル」として、認識し見ていたからでもあったようでした。


そして、だからでしょう。
ゴルフの練習場で出会った後輩に対しても、そっけない態度/対応をすることになったのは。
私にとって、初対面の後輩は「仲間」ではなく、{競争相手or仲間候補}だったからです。



しかしなぜ、私は「他者は競争相手/他人はライバル」という世界観をもつようになったのでしょうか。
思い返してみると、小学生の頃に「ライバルと競い合い、切磋琢磨することは素晴らしいことですよ」という教えを先生から学び、幼いながらに「そうなんだ。じゃあライバルを作って、競い合った方が良いんだな。」と信じ込んだことも関係していそうでした。

また、学生時代に、勉強で「成績が、クラスの上位になれると良いですね。」と周りに勝つことを煽られ、スポーツで「チーム内の競争に勝ちレギュラーになれる者が素晴らしい」と周りに勝つよう煽られ・・・そのような{協力ではなく競争を煽られる環境}で育ったことも、関係していそうでした。

他にも、クラスのイケメン男子が、人気の女子と両想いになっているのを見て、私は勝手に「クラスの同姓に勝たなければ、好きな異性も手に入らない!」と思い込んだことも、関係していそうでした。



「う~ん。もしかしたら私は、競争するよう仕向ける‘現在の人間社会’の中で、幼い頃から煽られながら育ったせいで、偏った世界観に洗脳されているのかもしれないな。っと、そういえば・・」
競争と協力について考えていると、学生の頃に行ったボーリングの記憶に、思考がリンクしたようで・・学生の頃に行ったボーリングでの出来事が思い出されたのでした。

皆で行ったボーリングにて。
始めは、個人戦を行ったのでした。
私は勝ちたいからこそ、自分が良いスコアを出すことばかり考え、一緒にボーリングに来ていた周りの人のミスを内心願いながら、周りの人が‘ストライク’を出すと作り笑顔をして手を叩きつつ、内心は焦り、相手の‘ストライク’を心から喜べずにいたのでした。

無意識のうちに、周りの下手な人を見下しながら、上手い人に対しては嫉妬しながら、他人との比較ばかりを行いながら・・・行うボーリングは、あまり楽しくありませんでした。


そして2回戦目は、2グループに分かれ、団体戦を行ったのでした。
団体戦になったことで、個人のスコアよりもチーム全員の合計スコアが、重要になったからか?
私は、さきほどまで周りの人を「競争相手/ライバル」と認識していたのに、周りの人を「協力し合う仲間」と認識し始め・・「仲間」と認識するようになったから、下手な人には手助けをし、上手い人には心から尊敬し感謝して、仲間である周りの成功を願いながらボーリングを行うことになったのでした。

「見下す」や「嫉妬」や「他人との比較」が存在しない、相手のミスを願う必要のない団体戦のボーリングは、、、協力し合いながら、相手の成功を心から願いながら行える団体戦ボーリングは、個人戦のボーリングより楽しかったのでした。



私達の生きる、この痛いほどリアルな現実世界に存在する他人達は、競争相手でありライバルなのでしょうか?
それとも、協力し合う仲間なのでしょうか?

相互に関係し合うこと以外にありえない、この痛いほどリアルな現実世界では、皆の発展が、自分の繁栄にも繋がるのかもしれません。

他人のことを「競争相手/ライバル」と認識し、競い合い・・
他人を踏み台にし、自分だけが幸せになれば、1次的には自分はハッピーになれるかもしれませんが、その結果、他人が不幸になれば、他人からイライラをぶつけられ、ひがまれ、足をひっぱられることにもなるのかもしれません。
そうなれば、長期的には自分も負けることになりそうです。

一方、他人のことを「協力し合う仲間」と認識し、協力し合い・・
自分だけではなく、他人にも幸せになって頂ければ、幸せになったことで、良い気分でいる他人から良い対応をしてもらえ、自分も幸せになりやすいのかもしれません。

長期的には「協力し合うことで、自分も相手も、ともに勝つ」というwin-winでなければ、両者とも負けることになるのかもしれません。


それは、国家間ですら、そうなのかもしれません。
他国のことを「競争相手/ライバル」と認識し、競い合い・・
他国から搾取し、他国を踏み台にし日本国だけが繁栄すれば、1次的には日本はハッピーになるのかもしれませんが、他国が衰退すれば、長期的には日本も衰退することになりそうです。

一方、他国が繁栄すれば、輸出や輸入で、日本も繁栄することになりそうです。


「周りに幸せな人が増えてきているな。くそ~腹立たしい。私は、周りに比べると負けているように思える!」などと競争せず、「中国の発展に比べ、日本は相対的に落ちぶれてきているよな。」などと、{他人との比較/他国との比較}による幸せ感を得ようとしないのであれば、他人や他国の幸せは、自分の幸せに繋がる!と思えることになるのかもしれません。

他人や他国の犠牲のもと、自分だけ、自国だけが繁栄し続けることなど、可能なのでしょうか。
他人や他国は、「競争相手/ライバル」なのでしょうか。
もしくは、他人や他国は、「協力し合う仲間」なのでしょうか。



「ふ~む。そういえば・・」
そんなことを考えていると、バイト時代のことが思い出されてきたのでした。



③挨拶まわりにて~他人の不幸より幸せを願うには~
■学生時代、とある店舗でバイトを始めました。
働き始めてすぐの、挨拶まわりにて。

私が人事の方に紹介されながら挨拶してまわっていると、皆、そっけない態度で会釈したり、もしくは作り笑顔で「よろしく。」と言ってくるのでした。

私は緊張しつつ挨拶をしてまわりながら、距離感を感じていたのでした。

「この人、本当に信頼できる?仲間になりうる?」
「この人は、社内の派閥の、私側寄りの仲間になりうる?」
「どうせ、またすぐに、この人もバイトを辞めるんじゃないの?」
そんな疑いの目を向けられているような・・感じもしていました。


入社したての私は、なんとか仲間として迎えられたくて、必死に、笑顔になってペコペコして、良い人を演じて挨拶をし続けていました。

そんななか、相手からすれば未知で謎の私に対して、無条件にて、心からの笑顔にて「おっ、君が名無き君だね。よろしく~!」と暖かく迎えてくれた人がいました。
得体の知れない私のことを、無条件にて「同じ1つのチームのメンバー/仲間」として、受け入れてくれているような・・そういう対応の仕方でもありました。

当時は、そんなことはわからなかったのですが、本能レベルで無条件に、その人に対して好感をもち「あぁ、この人、良い人だな~。なんか、皆と違うなぁ。」と感じ、人事の方に「あの人は、どういう方なのですか?」と聞いたことを覚えています。


働き始めて、だんだんとわかっていったのですが、その先輩は、愛の深い賢者であったのでした。

私は先輩と仕事をさせて頂ける機会がある度に「どうして先輩は、あんなに、愛深い対応を他者に対してできるのか?」と、意識的もしくは無意識的に、不思議に思っていたのでした。

先輩は、新しく入社してきた社員やアルバイトの方に対してはもちろん、誰に対しても、とても愛の深い態度で接していたのでした。
また、店舗にやってきた業者の方に対しても、愛深い態度/対応をとるのでした。

一方、私は、今後会いそうにない人に対しては「今後、会うことないし。」と、そっけない態度をとっていました。
また、業者の方に対しても、「私には関係がないから。」とぶっきらぼうな態度をとっていました。
入社したての挨拶まわりでは、あれほど必死に、他者に対して作り笑顔をしペコペコして、なんとか気に入られようと、していたのに!です。

また、私は新しく入社してきたアルバイトの方に対しても、
「この人、本当に信頼できる?仲間になりうる?」
「どうせ、またすぐに、この人も辞めるんじゃないの?」
そんな疑いの気持ちも、もちながら、作り笑顔にて、初めは接していました。
その後、相手が良い人とわかり、自分の中で、同じ職場の仲間と認識されるようになって初めて、愛深い対応をとるようになっていたのでした。
他人のことを、「仲間」として認識すると、仲間として見えるから、「仲間」に対する当然の態度として、愛の深い対応をすることになっていた・・だけでも、ありました。

そして、そういったことは、全て無意識的に行われており、私には、まったく自覚がありませんでした。


今にして思えば、私が、無意識のうちに、そのようなことをすることになっていたのは・・・過剰に利己的であるばかりか、{他者は競争相手/他人はライバル}という世界観をもって生きていた私は、「仲間」と認識するまでは、相手はただの他者であり、他者であるうちは、その人は競争相手でありライバルであり、利用対象でもあったからでも、ありました。

それまで「敵対視orそっけない態度」だったのに、仲間と認識してからは、急に優しくなる私の態度/対応に、新しく入社してきた方は「やっと、仲間として受け入れてもらえた」と嬉しく思いつつも、私の2面性ある態度に、無意識的に不信感を抱いているようでも、ありました。

そして「この人は、態度に2面性があるから信頼できない!」と思われることは、嫌われることでもあったようで、、、職場にて、周りの同僚から好かれることがない私でした・・。



一方、先輩は、同じ職場の人だろうと、今後2度と会うことのなさそうな初対面の人であろうと、関係なしに、愛深い態度をとられていました。
相手に対して、疑いをもつことなく、心からの笑顔にて、敬意と愛をもって、誰に対しても丁寧に接されていました。

先輩の世界観が{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観だったから!かもしれません。

先輩には、地球上の何十億もの人類、全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間として、見えていたのかもしれません。
先輩には、視界に入ってくる全ての他者のことが「仲間」として見えるから、「仲間」に対する当然の態度として、愛の深い対応をしていたようにも、思えました。

つまり、私の場合「仲間」は、自分の身近な利害関係者のみであって、先輩にとって「仲間」とは、全ての人類であった・・のかもしれません。

これは言い換えると、私の愛する対象は、自分の身近な利害関係者だけであり、先輩の愛する対象は、全ての人類であった・・とも言えるのかもしれません。


愛深い賢者は、愛する対象が広いんだ。
愛深い素敵な人たちは、利害を超えて、全ての人を仲間として見、捉え、全ての人を愛しているんだ。
そしてその愛が、無償の愛なんだ。

私は、自分にとってメリットがある場合においてのみ、他者を愛しているのでした。
私は、見返りが見込める場合のみ、他者を愛しているのでした。
私の愛は、全てが条件付の愛だったのでした。


先輩は、{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観をもち、そのため、視界に入ってくる全ての他者のことが「仲間」として見えるから、「仲間」に対する当然の態度として、愛の深い対応をし・・・愛の深い行動をとり続けるからこそ、皆から信頼され好かれ愛され、尊敬され・・先輩の人生は、繁栄しているように見えました。信頼されることは愛されることにも繋がるからでしょうか。

その、人生の繁栄度合いは、自分で作り出した{他人は競争相手/ライバル}という世界観の中で、他人と競争ばかりし、1人で勝手に他者と闘い続けていた私のそれとは、まったく違っているようにも思えました。


及び、先輩の心の中は、いつも幸せや平安で満たされているようにも思えていました。
その心の満足感や充実感、満たされている感じが、傍にいると、なんとなく伝わってきていたからでした。

私のような目下に対してさえ、いつも笑顔で、コチラのことを気遣ってくれて、あれだけの愛深い態度や対応をとり続けることが出来るのは、当人の心が、満足感や充実感で、いつも満たされているからだと思われました。

{他人は競争相手/ライバル}という世界観の中で、他人と自分を比べ、「あの人には勝っているな」と他人を見下し、「その人には負けている」と劣等感を感じ、他人と競争ばかりし、1人で勝手に他者と闘い続けていた私の心の中とは、まったく違う‘心の充実度/心の平安’が、先輩の心の中には、あるようにも、なんとなく思えていました。



「ふーむ。全てが同じ1つであるならば、自分と他人の違いは、部分の違いにすぎず・・同じ1つの部分同士で競い合い闘うなんて、バカらしいことだよな。競争ではなく、協力し合う、、、か。」
私達自身も含め、私達の生きる、この痛いほどリアルな現実の世界が、同じ1つの現れである!と捉えるならば、同じ1つの中で競争しあう必要はなく、ともに協力し合い、ともに発展/繁栄していけば、良いようにも思えてくるのでした。


~全ては同じ1つであり、全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間~


貴方の友人のAさんは、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ!
貴方の家族も、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ。
貴方の上司のBさんは、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ。
貴方の隣の家に住んでいる佐々木夫妻も、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ。
貴方の好きなCさんも、同じ1つのチームのメンバー/仲間だし・・
貴方の嫌いなDさんも、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ!
貴方の尊敬しているEさんも、同じ1つのチームのメンバー/仲間だし・・
貴方が見下しているFさんも、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ!
今日会った、全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ!
今までの人生で出会った全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間であり・・
今後会う、全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間だ!
アフリカに住むカラモコ・カマラさんも、同じ1つのチームのメンバー/仲間だ!
今、目の前にあるパソコンも、台所にあるゴミも、窓の外に見える雲も、外界の世界全てが、本来は同じ1つのチームのメンバー/仲間なんです!


{他者は競争相手/他人はライバル}という世界観から抜け出し、{全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観をもつようになると・・
他人の見え方が「競争相手」から「仲間」に変わり、、、視界に入る他人達が、たとえ初対面であろうと「仲間」として見えるから、自然と、「仲間」に対する当然の態度として他人に対して愛深い行動をとるようになり、、、その結果、他者から尊敬され信頼され愛され、他人も、自分自身も幸せになっていく・・。

もし私が、{全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観をもっていたならば、ゴルフの練習場で出会った友人の後輩が「仲間」に見え、「仲間」に見えるから、「仲間」に対する当然の態度として愛深い行動をとることになり・・・その結果、後輩からも、作り笑顔ではなく、満面の笑みでこちらを見てもらえることになったのかもしれません。
後輩の表情や目は、私のことを信頼しきっている・・そういう目や表情とともに、こちらを見てもらえることになったのかもしれません。

{全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観をもち、今まで生きてきたならば、もっと私の周りには、信頼し合える人間関係や笑顔が、溢れることになっていたのかもしれないな・・そんなふうにも、思えたりもするのでした。



④まとめ~他人の不幸より幸せを願うには~
■最近、新しく出会った人に対して、どのような態度/対応をとったでしょうか?

その態度/対応次第で、当人の世界観が、わかる側面もあるのかもしれません。

新しく出会った他者に対して、そっけない、疑いの態度で接したならば、当人の世界観は{他者は競争相手/他人はライバル}という世界観なのかもしれません。
一方、新しく出会った他者に対して、無条件にて、愛深い対応をしたならば、当人の世界観は{全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観であることが推測されそうです。


そして、「この世界では、全ての{人/モノ/出来事}が相互に関係し合っており、win-win以外の関係ならば、長期的には両者ともに負けるのだから、他人は本来、競争相手ではなく協力し合う仲間だ!」という思い込みをもつ場合があるのと同様・・

「この世界では、資源も豊かさも限られているのだから、他人との競争に勝たなきゃ、私は幸せになれない!だから他人は、競争相手でありライバルだ!」という考え/世界観も、当人の、思い込みにすぎない側面もあるのかもしれません。

つまり、どちらの考え/世界観も、思い込みにすぎないのかもしれませんし・・どちらの考え/世界観も、信じ込もうと思えば、信じ込めるだけの根拠が見つかるものなのかもしれません。


・・私は、「この世界では、全ての{人/モノ/出来事}が相互に関係し合っており、win-win以外の関係ならば、長期的には両者ともに負けるのだから、他人は本来、競争相手ではなく協力し合う仲間だ!」と、信じ込もうと思うのです。
この世界は、本来、既に{愛/喜び/豊かさ}に満ち満ちている・・私はそう、信じています。



{全ての人が同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観をもつためには、<全ては同じ1つ>という真実を深く理解する必要があるのかもしれませんし、また、自分自身が、繁栄原則に沿って生きていく必要も、あるのかもしれません。

自分自身が、他人に対して、いつも競争心をもち、相手に勝ちたいがために、相手の不幸を願うようなことをしていたら、自分がそうだから、、、自分がそうだからこそ「相手も、私と競争しようとしている(ハズだ)。私の不幸を願っている(ハズだ)。」と思い込むようになり、他人に対して防衛的になり、初対面の他者を「同じ1つのチームのメンバー/仲間」として見ることができないのかもしれません。


そして、他人との競争をやめるには、他人との比較をとおして、自分の価値をはかることを辞める必要もあるのかもしれません。

他人との比較をとおして、自分の価値をはかるのであれば、他人に負けると「はぁ。私は劣っている価値のない駄目人間なんだ。」と思い自尊心が傷つくことになり、また、他人に勝つと「ふふ。私は優れている価値ある人間なんだ。」と思い自尊心が満たされることになるため、己の自尊心を守るために、己の自尊心を満たしたいがために、他人と競争して勝とうとしてしまうようです。

自分の中に、絶対的な揺るぎない指針をもっていないからこそ、自信がないからこそ、そのように、他人との競争/比較をとおして、「私って、価値ある人間だよね?(大丈夫よね?)」と、己の価値をはかろうとしてしまうのですね。

自分の価値は、相対的なものではなく、絶対的なものであると、私は信じています。
全ての人が、同じ1つ(別名 サムシンググレート/神/愛}の部分・部分、現れであるため、全ての人が、皆、絶対的に価値ある存在なんだと思う。

他人との比較をとおして、自分の価値を確かめようとする必要はないのかもしれません。
貴方も私も、全ての人が、同じ1つ(別名 サムシンググレート/神/愛}の部分・部分、現れであるため、全ての人が、皆、絶対的に価値ある存在なのだから・・。

この真実の情報に関する理解度次第で、「自分の価値を他人との比較によってはかるか?」それとも「自分の価値は絶対的なものである!と思えるか?」が決まる側面もあるのかもしれません。
もちろん自尊心には、それ以外にも{自分に対する約束を守る}{自制心を身につける}{自立する}なども、関係しているようですが。


と偉そうなことを書かせて頂いてきたのですが、いつも口先だけで、私は絵やダンスに関しては、

ある程度、良いラインをいっているようなのですが、それ以外はまったく駄目で・・

しかし、焦ることなく{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観を身につけることが出来るよう精進していき、愛深い人間になっていけたら良いなと思っています。
ともに、精進してまいりましょう。


~他人の不幸より幸せを願うには~
<writer 名無き仙人>





バス男「僕もボーリングに行きたいなぁ。」

バス子「ちょっとバス男さん、もっと他に感想はないの?」

仙人「楽しみつつも、コツコツと精進していけたら良いのぉ。」







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