他人を見下す心理と世界観

■他者の認識の仕方と世界観の関係。会社/仕事/職場の人間関係/友人/仲間/友達/お金/恋愛/婚活/結婚。


他人を見下す心理と世界観


バス男「はんっ。どいつも、こいつも・・いったい、どういった心理なんだ?(ぶつぶつ・・)」

バス子「なにグチグチ言ってるのよ?どうしたの?」

バス男「バス子ちゃ~ん。僕は、バカなあいつ等とは違うんだ。・・くそぉ。僕のことを見下してくるバカ共に、{人を見下すな!}と注意してやりたいよ!」

バス子「・・バス男さんの心の中にも{人を見下す心理}がありそうね。仙人の【「他人を見下す心理」と「世界観」の関係】の話、聞いていないの?」

バス男「仙人様の【「他人を見下す心理」と「世界観」の関係】の話?」

バス子「うん、仙人が言うにはね・・」







~他人を見下すと、己の世界観はどうなる?~

1.他人を見下す心理と世界観

①とある飲食店にて

■「おぉ、今日は人が多いな。」

友人とともに、近くの飲食店に入ると、人の多さに少し驚きました。
今晩は3連休中の土曜であるため、皆、外食を楽しんでいるのでしょうか。

空いているテーブルが少ないためでしょう。
私と友人は、隣と席が近い2名用テーブルへと案内されました。

隣には、とある人が、無言のまま食事をとっていました。

私は、その人を横目で一瞬ちら見し、「ふんっ」と見下し・・た瞬間!!
自分の席に座りつつ、大変なことに気がついたのでした。

「あっ!今、私は、この人のことを心の中でジャッジ(判断/裁き)し、見下した??」

それは、無意識のうちに行われた‘心の動き’であるようでした。

「ふぅ~」
携帯電話を触りながら料理を待っている友人を前に、私は、少し深呼吸をし、落ち着き、心を沈め・・・己の無意識領域下にあると思われた‘悪い癖’を直視する作業を、行い始めていたのでした。



②他人を見下す心理とは?~他人を見下す心理と世界観~
■思い返してみると、私は、知らない人と出会った際や、他人が視界に入ってきた際、無意識のうちに、その他人を心の中でジャッジ(判断/裁き)し、評価していたのでした。

自分より劣っていそうな人を見ては、心の中で、その{自分より劣っていそうな人}をジャッジ(判断/裁き)し、「ふんっ。(この人は私より劣っているな。私の方が優れているし、勝っている!)」と、見下すことをし続けてきていたのでした。

また、見た目の優れた男女や、良い職に就いていそうな人、お金もちな人、頭の良さそうな人、イイ車に乗っている人・・・など、自分より優れていそうな人を見ては、心の中で、その{自分より優れていそうな人}をジャッジ(判断/裁き)し、「あ~腹立たしい!(この人は私より優れている。私の方が劣っているし負けている。)」と思い、その優れていそうな人を敵対視もしくはライバル視し、相手の不幸を願うようなことをしていたのでした。

「どうして私は、他者と対面した際、いつも心の中で相手をジャッジ(判断/裁き)し、相手と自分を比べてしまうのだろう?」
そう、心の中で問いかけてみました。

すると、{自分自身の価値を、周りの人達との相対評価ではかろうとするから!}という答えが、浮かびあがってきました。

私は、自分に確固たる自信をもてずにいたため、だからこそ、「私って、価値ある人間なのかな?」と、意識はしていなかったのですが、漠然と不安に思っていて・・だからこそ、他人と自分を比較する中で、自分自身の価値を確かめようとしていたのでした。

私は自分自身の価値を感じたくて、だからこそ、自分より劣っていそうな人を見ては「私は、この人達よりも優れているから、価値ある存在なんだ。ふふふ。」などと、無意識的に思っていたわけです。
「私は、あの(劣っている)人達とは違うんだ!(私は優秀な価値ある人間なんだ!)」などと思うことにより、自分の価値を感じようとしていたわけです。

そして、そのように他人と自分を比較するからこそ、自分より優れていそうな人を見ては「私は、この人に負けている・・。この幸せそうな優れている人が憎たらしい。不幸にあえば良いのに!」などとも、無意識的に思っていたわけです。

私は、他人との比較をとおして、自分の価値をはかっており、だからこそ優れている他人が不幸に遭遇し、その他人が劣ることになれば、相対的に自分の価値が上がることになるため、優れている人の不幸を願っていたわけです。

自分の中で絶対的な基準をもっていなかったから・・相対的に他者と比べることで、自分の価値を確認しようとしていたから、自分より優れている人を、不幸へと陥れようと、していたわけです。

それら全ては、{私って、価値ある存在よね?}と、思いたくて、無意識のうちに行われていたことでもありました。
自分に、深い部分では確固たる自信をもてずにいたのです・・。


そして、いつも他人を心の中でジャッジ(判断/裁き)し、他人と自分を比較し、「私の方が勝っている!」「私は負けている・・」などと相手次第で、自尊心も感情も上げ下げし、自分より劣っていそうな他人を見下したり、自分より優れていそうな他人を敵対視し相手の不幸を願ったり・・する人生は、自覚こそなかったものの、楽しいものではありませんでした。



「しょうが焼き定食です。」
はっと我に返ると、{しょうが焼き定食}2つを両手に持った、店員さんの笑顔が視界に入ってきました。

頭を軽く下げつつ{しょうが焼き定食}を受け取りながら、私の頭の中では{他人との比較をとおして、自分の価値をはかる問題点}について、思考が進んでいくのでした。



③世界観との関連~他人を見下す心理と世界観~
■他人との比較をとおして、自分の価値をはかることをしていると、無意識のうちに、常に他人を心の中でジャッジ(判断/裁き)することになるようでした。
そして、自分より劣っていそうな人を見下し、自分より優れていそうな人の不幸を願う・・。

そのようなことをしていた私は、自分がそうだから、自分がそうだからこそ「他人も、私を見て、私のことをジャッジ(判断/裁き)している(ハズだ)」と、いつしか思い込むようになっていて・・
だからこそ、「私は、他人から見下されているのではないか?」と心配になり、「他人から見下されたくない!バカにされたくない!」と思うから、他人の前で背伸びし、賢いまともな人間を演じ、肩肘はって強がって、生きることになっていたのでした。

「大丈夫かな?変じゃないかな?(見下されたり、バカにされたり、しないかな?)」と、自分の服装や髪型ばかりを気にしていました。
自分が、他人を外見でジャッジ(判断/裁き)し、そして外見の劣っている他人のことを見下し、馬鹿にしていたからでも、あったのかもしれません。


及び、自分がそうだから、自分がそうだからこそ「他人も、私と同じように相手の不幸を願っている(ハズだ)」と、いつしか思い込むようになっていて・・
だからこそ、私の世界観は「この世界は、互いの不幸を願い合っている憎しみ多き恐い世界」となっており、他人から足をひっぱられないように、1人で勝手に警戒しながら闘いながら、私は生きることになっていたのでした。

私は、自分で勝手に作りあげていた負の世界観の中で、1人、闘い続けながら生きていたのでした。



「自分が他人のことをジャッジ(判断/裁き)するような生き方をしていたら、長期的には自分の世界観に悪影響が出て、自分自身が苦しむことになるのかもしれないな。」
味噌汁をすすりながら、そんなことを考えたりもしていました。




④他人を見下す心理と世界観
■他人をジャッジ(判断/裁き)することを辞め、己の世界観を愛深いものにしていくためには、以下の3つの事柄も、大切であるように思えるのでした。


①「全ては同じ1つ」
→本質的には、目の前に広がる痛いほどリアルな現実世界の全てが、同じ1つ{別名 サムシンググレート/神/愛}の現れであるならば・・他人も、自分も、皆、価値ある存在であることになりそうです。
人それぞれの違いは、部分・部分の、現れ方の違いであり、個性とも言えそうです。
人それぞれの‘違い’は優劣では、ないわけですね。

そのような{考え方/世界観}が深く身につくと、他人との比較をとおして、自分の価値をはかることがバカらしくなり、人は自然と、{他者との比較をとおして自分の価値を確認しようとする}を辞めていくことになるようです。


②自尊心を高める
→自尊心が低ければ、他人を尊重することも、できないようなのです。
自分のことを尊重することができないのに、他人のことは尊重できる・・というのは、人間には難しいのでしょうか。

そして他人を尊重出来なければ、他人を見下したり、他人の幸せを恨んだりすることにも、繋がる場合があるのかもしれません。

自尊心を高めていくためには、「自分に対する約束を守る」など、地道な作業をコツコツと続けていくことも大切となるようです。
それは例えば「私は繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}を常に大切にしながら生きるんだ!」と自分に約束をし、その約束を守り続ける・・などのことです。
そう約束をし、そして結果的に、いつも繁栄原則に忠実に生きる日々を続けることが出来ていくならば、人は無意識のうちに「私は、自分との約束を誠実に守ることが出来ている!(私は、出来る人間なんだ!)」と思うことになり、自尊心も高まることになっていくようです。


③全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間
→{他者は競争相手/他人はライバル}という認識の仕方や世界観であれば、視界に入ってくる他人のことが{競争相手/ライバル}に、見えてしまうことになりそうです。

他人が{競争相手/ライバル}に見えるから、他人が視界に入ると「相手は、どれほどの自分の競争相手/脅威となりうる人間か?」と、他人を心の中でジャッジ(判断/裁き)し始めることになるのかもしれません。
そして、その結果が「見下す」or「劣等感を感じ、相手の不幸を願う」なのかもしれません。


一般的には「この世界では、資源も豊かさも限られているのだから、他人との競争に勝たなきゃ、私は幸せになれない!だから他人は、競争相手でありライバルだ!」という考え方も受け入れられているのかもしれません。

しかし「この世界では、全ての{人/モノ/出来事}が相互に関係し合っており、win-win以外の関係ならば、長期的には両者ともに負けるのだから、他人は本来、競争相手ではなく協力し合う仲間だ!」という考え方も、信じ込もうと思えば、信じ込めるだけの根拠が見つかる考え方なのかもしれません。


長期的に見た場合。
他人の犠牲のもとに、自分だけが幸せでい続けることが出来ないのであれば・・
他人も自分も、同じ1つのチームであるならば・・・
自分と他人の、幸せの合計点が、大切なのかもしれません。

自分だけ67点の幸せ度を得れていて、相手は12点の幸せ度しか得れていない状況よりも、自分の幸せ度が67点で、相手の幸せ度が80点である状況の方が、チームとしての幸せ度の合計点は、高まることになりそうです。

同じチームの仲間が幸せでいてくれれば、それは‘自分’としても嬉しいことですし、幸せでいることにより余裕がある仲間は、‘自分’に対しても、寛容で愛深い態度をとってくれ・・それは‘自分’の幸せ度アップにも、繋がることになりそうです。


「自分と他人の、幸せの合計点が大切!」と考えるならば、視界に入ってくる他人は、{競争相手/ライバル}でもないし、{自分との比較対象}でもなくなりそうです。
視界に入ってくる他人は、幸せになって頂きたい大切な仲間!なのかもしれません。
全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間であるならば・・。


今日、出勤途中、視界に入ってきた見知らぬ他人達が、どのように見えたでしょうか。
‘仲間’として、見えたでしょうか。
それとも、{競争相手/ライバル}{自分との比較対象}として、見えたでしょうか。

他人のことが{競争相手/ライバル}{自分との比較対象}として見えるのであれば、そう見えるから、当然の結果として「相手は、どれほどの自分の競争相手/脅威となりうる人間か?」と、他人を心の中でジャッジ(判断/裁き)し始めることになるのかもしれません。

一方、他人のことが{幸せになって頂きたい大切な仲間}として見えるのであれば、そう見えるから、仲間に対する当然の態度として、ジャッジとは無縁な、愛深い対応を他者に対してとることになるのかもしれません。



⑤とある賢者の事例~他人を見下す心理と世界観~
■「そういえば・・」
そういえば、人生で出会った素敵な先輩方は、たまに、目を少し細めた愛深い笑顔にて、この世界を、他者を、眺めているときがあったのでした。

それは{広場で遊んでいる子供達を眺めている時}などに限定されるわけでもなく、どこにいても、そういった表情をされている時があったのでした。

別に、なにをするわけでもなしに、ただ、目を少し細めた愛深い笑顔にて、この世界を、他者を、眺めているときが、先輩方にはあったのでした。

その時の先輩の表情は、幸せそうで、(心が)満たされていそうで、、、しかし、そういった状況や心境を経験したことのない私は、少し不思議な思いで、先輩のことをチラ見しつつ観察していたのでした。


きっと先輩には、身近な人も、視界に入ってくる見知らぬ他人達も、全ての人達が{幸せになって頂きたい大切な仲間}として見えていたのだと思う。
先輩の世界観は、{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}という世界観だったのだと思う。
そして、自分がそうだから、自分がそうだからこそ、「他人も、私と同じように相手の幸せを願っている(ハズだ)」と、いつしか思い込むようになっていて・・
だからこそ、賢者の世界観は「この世界は、互いに、相手の幸せを願い合っている、愛の深い幸せな世界」となっているのだと思う。

・・身近な人も、視界に入ってくる見知らぬ他人達も、{競争相手/ライバル}{自分との比較対象}として見えていた私は、いつも、心の中で他人と自分を比較し、心の中で他人と競いあっていたのでした。
私の世界観が、{他者は競争相手/他人はライバル}という世界観だったからでしょう。

世界観があまりにも違いすぎたため、私には、目を少し細めた愛深い笑顔にて、この世界を、他者を、満足そうに眺めている先輩の心の状態が理解できず、少し不思議な思いで、先輩のことをチラ見しつつ観察していたのでした・・。




しょうが焼き定食を食べ終わった後、相変わらず携帯電話をあたっている友人を前に、少し、先輩の真似をしてみることにしました。

「{全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間}であり、誰1人例外なく、みんなが{幸せになって頂きたい大切な仲間}なんだ。」
そう思いながら、目を少し細めた愛深い笑顔にて、店内を見渡してみました。

カップル、家族、または1人で、各自がご飯を食べていました。
店員さんが、忙しそうな中、笑顔で食事を運んでいました。

「全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間であり、この世界は、互いに、相手の幸せを願い合っている、愛の深い幸せな世界ヽ(‘ ∇‘ )ノ ワーイ」
そのような意味あいの言語化されない意識にて、店内を眺めていると・・私の中で、暖かくて、優しい感情が、湧きあがってきたように思えたのでした。


・・・・・・・
美味しい定食を頂けたことに感謝しつつ店を出ながら「この感情が、愛なのだろうな」とも感じたのでした。
‘愛’などとは無縁な人生を何十年も生きてきており、‘愛’について学んだこともなかったのですが「この感情が、愛なのだろうな」と、自然に(直感的に)思えたのでした。
人は誰しも自分の中に、生まれながらに‘愛’をもっているからでしょうか。

なんだか、照れくさくもありましたが、その、心の{暖かさ/充実感}は、とても心地良いものであり、私はいつの間にか、少し口元と目元に笑みを浮かべていたのでした。


「先輩は、こんな幸せな感情で満たされつつ、毎日を生きていたのだろうか?」
その日は、1人でそんなことも考えてみたりしながら、家へと帰りました。


~他人を見下す心理と世界観~
<writer 名無き仙人>





バス男「他人を見下す心理と世界観かぁ。」

バス子「自分のこと、そして他人のことを、大切にしていけると良さそうね。」

仙人「愛の深い世界観になっていけるよう、精進していけると良いのぉ。」







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