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相対的世界で生きる意味とは?名言

■楽に楽しく生きる/生きるのに疲れた/前向きに強く生きる/人生/恋愛/婚活/結婚生活/お金/仕事/年収/人間関係


相対的世界で生きる意味とは?名言


バス男「は~ぁ。毎日、良いことがないなぁ。」

バス子「そうよね~。」

バス男「他人がもっと不幸になれば、僕も気分的には、もう少し幸せになれそうなんだけど。」

バス子「ちょっ、もう!仙人の【相対的世界で生きる意味とは?名言】の話を、聞いてきないさよ。」

バス男「仙人様の【相対的世界で生きる意味とは?名言~「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ~】の話?・・」







~「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ~

1.相対的世界で生きる意味とは?名言

①相対性の世界で生きる

■親からも、学校の先生からも。
「人生に勝ち負けはない」と教えられ育ち、でも、思えば進学も就職も、日々の仕事も、恋愛も、全てが競争なのでした。

自分も、‘良い教師’を演じつつ生徒達に「人生に勝ち負けはない」というような話を偉そうにしてたけど、正直言って、進学も就職も、日々の仕事も、恋愛も、全てが競争であるようにしか、思えないのでした。

そして競争社会の中で、要領良く立ち回り、勝ち組となっているA君のことを思い、自分の状況を見れば・・人生にも勝ち負けがあるようにしか思えないのでした。

私だって、私なりには頑張っていて。
今日だって、朝から仕事を頑張ったのに・・。

悪いのは、競争社会の中で勝てずにいる、負け組みの私なのでしょうか。自業自得なのでしょうか。
私の頑張りが、努力が、足りないのが悪いのでしょうか。

それとも悪いのは、負け組みが多数生まれる競争社会となっている、‘社会そのもの’なのでしょうか。社会の仕組みが、悪いのでしょうか。


・・考えてみても、イライラするばかりで、いまいち頭が働かないし、、、そんなことより、なんだかもう、疲れるのでした。

「勝つ」とか「負ける」とか、「勝ち組」とか「負け組み」とか、「負け組みの人を心の中で見下す」とか「勝ち組の人を心の中で妬む」とか、

「頑張って勝ち組に入る!」とか「頑張りが足りないから負け組みなんだ!」とか、

「年収○○万円以上は勝ち組」とか「○○歳までに結婚出来なければ負け組み」とか、

「もっと、頑張れ!」「頑張りが足りないせいだよ、自己責任だ!」とか・・

なんだかもう、疲れるのでした。

そんな疲れた私の頭の中で、爺様の声が聞こえてくるのでした。



②相対性の罠~相対的世界で生きる意味とは?名言~
■「人並み以上に、頑張らねばならない!」

小学生の頃だったでしょうか。いや、もう中学生になっていたでしょうか。

正月などで父方の実家に行くと、酔った爺様が私を捕まえ、繰り返し言うのでした。

「人並み以上に、頑張らねばならないんだよ。」
そう、何度も私に対して、言うのでした。

自分の人生とも話を絡ませながら、「人並み以上に、頑張らねばならないんだよ。」と、何度も何度も言うのでした。

子供であった私は、爺様の話を正論だと頭では思いつつ、でも、なんだか嫌な感じがして、なるべく爺様から離れようとしていたのでした・・。



・・しかし、やっぱり人並み以上に、頑張らねばならないのでしょうか。
なんだかもう、疲れてはいるのですが、それでもやっぱり、頑張らねばならないのでしょうか。
人並み以上に、頑張らないと、どんどん負け組みへと落ちていくから・・。





名無き君は、「①現実世界(外側)での幸せ」に、自身の幸せを依存しすぎているから、そう感じてるのかもしれないね(^_^)

「①現実世界(外側)での幸せ」を獲得するためには、相対的に他者より優れた結果を出す必要があるため、「①現実世界(外側)での幸せ」を獲得しようとすればするほど、「(周りの皆より)頑張らなきゃ!」って、なりがちだよね。


「うん?いったい、どういうこと!?」

あのね、幸せにも、2種類の幸せがあるんだよ。


【幸せには、2種類ある】~相対的世界で生きる意味とは?名言~
①現実世界(外側)での幸せ(相対的な幸せ)


「①現実世界(外側)での幸せ」というのは、他人と自分を、相対的に比較することで得られる幸せなんだ。

世界と人間の存在理由(陰陽と比較)にもあるとおり。
この世界は、相対的に比較しあうことによって、始めて認識することが可能な世界であってね。

例えば、以下の魚は大きいかな?小さいかな?

うーん。わからないよね。比較対象がないから。

では、以下の魚は大きいかな?小さいかな?

この魚は小さいよね。携帯電話より小さいのだから。

このように、この世界は、相対的に比較しあうことによって、始めて認識することが可能な、相対的な世界なんだよ。


★相対的世界で生きる意味とは?名言★
~この世界は、相対的な世界~


だから例えば、憧れの人や憧れる男女になる方法(時空間仙術)にもあるとおり、時間だって、1秒という絶対的な時間が最初からこの世界に存在していたわけではなく、単に物質の振動回数を比較することで、人間が作り出しているものにすぎないんだよ。
時間ですら、なにかと比較しないと、認識が出来ないわけだね。


「この世界は、相対的な世界・・」

うん。
話を元に戻すけど、「①現実世界(外側)での幸せ」というのは、他人と自分を、相対的に比較することで得られる幸せであってね。

例えば、お昼ご飯を買いに入ったコンビニにて。
同世代で、アルバイトと思われた店員と、臨時職の自分とを比べて、「こんな安月給の仕事に・・ふっ。」と店員を見下し、自分は優越感に浸っていたようだけど・・。
そういった、他人と自分を、相対的に比較することで得られる幸せは、「①現実世界(外側)での幸せ」になるんだ。

そしてまた、だから君は。
A君や、A君の新車(四駆)を見て、不幸せな気持ちになり、イライラすることになったんだよ。

「①現実世界(外側)での幸せ」は、相対的な世界である現実の中で、他人と自分を、相対的に比較することで得られる幸せであるため。
臨時職の自分や、自分のボロ車と、大手企業の正社員であるA君や、A君の新車(四駆)とを比べれば、自分が負けたような気分になって、不幸せな気持ちになるよね。まあ、これには価値観も関係しているのだけれど・・。


もし仮に。
名無き君が新車に乗っていて、A君がボロ車に乗っていて・・名無き君が「①現実世界(外側)での幸せ」を求めているならば。
名無き君は、幸せを得れただろうね。

「①現実世界(外側)での幸せ」は、相対的な世界である現実の中で、他人と自分を、相対的に比較することで得られる幸せであるから。


「確かに・・そうかも。」

でね、通常は、相対比較によって決まる「①現実世界(外側)での幸せ」を手に入れるために。
相対的に他人より優れた結果を得ようとし、努力し頑張って現実を改善させていくことに努めるわけだけど。


この「①現実世界(外側)での幸せ」ばかりを求め、己の幸福度を「①現実世界(外側)での幸せ」ばかりに依存していると・・相対性の罠と競争社会の罠にハマっていくことになるのかもしれない。


「相対性の罠? 競争社会の罠??」

うん、相対性の罠とは、他人と自分を比べ続けてしまう罠なのだけれど。
相対性の罠にはまるとね。

「Aさんは、私より素敵な恋人をもっている、悔しい~!」と落ち込み他人を羨んだり、「私はBさんより、テストで良い点をとった。ふふふ。」と他人を見下し優越感に浸ったり・・

「Cさんは、私より良い就職先に就職した。それに比べ私は・・Cさんが腹立たしい!」と落ち込み他人を妬んだり、「私はDさんより、良い車に乗っている。ふふふ。」と他人を見下し優越感に浸ったり・・

「Eさんは、私より良い伴侶と結婚し、良い家に住んでいる。それに比べ私は・・、Eさんに不幸が訪れれば良いのに!」と落ち込み他人の不幸を願ったり、「私はFさんより、自由な身だ。ふふふ。」と他人を見下し優越感に浸ったり・・

「Gさんは、私より良い老人ホームに入っている。それに比べ私の入居している老人ホームは・・」と落ち込み他人を羨んだり、「私はHさんより、この人生で他者に貢献してきた。ふふふ。」と他人を見下し優越感に浸ったり・・

と、他人との比較ばかりをし続けて終わる人生、他者との比較によって感情も自尊心も上下に揺れてばかりの人生・・結局、周りとの相対的な関係性にばかり振り回されて終わる人生、、、と、なってしまう場合も、あるのかもしれない。


で、競争社会の罠にはまり込むとね。
「勝ち組にならなきゃ!」と煽られる形で、他人を蹴落としてでも勝ち組になろうとし始め・・他者より相対的に幸せな立場(勝ち組)になれても、今度は、負け組みの人を内心、見下しながら、自分が負け組みへと転落しないよう、勝ち組でい続けることができるようビクビクしながら生きることになり、、、それが一生続くのかもしれない。


「①現実世界(外側)での幸せ」を得るためには。
相対的に、他人より、優れた結果を出したり、恵まれた状況にいる必要があり・・だからこそ、「①現実世界(外側)での幸せ」ばかりに、己の幸せを依存すると。

自分が幸せを感じたいから、どうしても他人と自分を比べてしまい、相対性の罠にはまっていき・・

自分が幸せになりたいから、なんとか競争に勝ち抜いてでも、相対的に、他人より、優れた結果を出すことばかりに囚われはじめ、競争社会の罠にはまりこんでいき・・

と、なってしまいがちだよね。


「うーん。・・相対性の罠、競争社会の罠かぁ。」

そしてね、相対性の世界である現実の世界にて、「①現実世界(外側)での幸せ」を手にしようと思えば、相対的に、他人より、優れた結果を出す必要があるわけだけど。

「他人が、どれほどの結果を出すか?」は、自分ではコントロール出来ないよね。
だから、「①現実世界(外側)での幸せ」は、自分ではコントロール出来ない部分もあるのかもしれない。

それなのに、「①現実世界(外側)での幸せ」に己の幸せを依存していれば。
他人の優れた能力や、他人の優れた結果を、脅威にしか思えず、他人の動向に終始ビクビクしながら生きる人生となってしまうのかもしれないね。


「え?どういうこと??」

例えば、プロ野球選手を目指す場合。

プロ野球選手は、どれくらい練習に頑張れば、なれると思う?
どのくらい、野球が上手くなれば、なれると思う?

答えは「相対的に、皆より野球が上手ければプロ野球選手になれる。」なのかもしれない。

周りの皆が、野球が下手で、相対的に、君の方が皆より野球が上手であれば。
君は練習を頑張らずしてプロ野球選手にもなれるのかもしれない。

また、周りの皆が、信じられないほど野球センス抜群で、相対的に、君の方が周りの皆より、頑張って練習するのに野球が下手であれば。
君は練習を頑張ったとしても、プロ野球選手には、なれないのかもしれない。


相対的な世界である、この世界は、全て相対評価だから。


120Mのフェンスを越える、すごいホームランが打てれば、プロ野球選手になれるわけじゃないんだ。
皆がみな、ホームランを打てるのであれば、ホームランを打てるだけでは、プロ野球選手にはなれないよね。相対的な世界である、この世界は、全て相対評価だから。

逆に、皆がみな、打っても50Mしか飛ばせないなら、70Mの打球を打てるだけで、プロ野球選手になれるかもしれないね。ホームランが打てなくても、相対的な世界である、この世界は、全て相対評価だから、相対的に周りの人より優れているならば、プロ野球選手にだってなれるわけだ。


このように、相対的な世界である現実の世界では、絶対的な基準があるわけではないことが多いのかもしれない。

プロのダンサーには、どうすればなれる?
答えは、「相対的に、皆よりダンスが上手ければなれる。」なのかもしれない。

人類皆が運動音痴であれば、普通程度にダンスを踊れるだけでもプロになれるかもしれないし。
一方、人類が皆、自分より断然ダンスのセンス抜群な人達だらけだと、自分なりには努力をしており、ダンスが上手くなっていても、プロにはなれないかもしれない。

つまり、{プロのダンサー}に関しても、相対的に決まることであって、絶対的な基準はないのかもしれない。相対的な世界である、この世界は、全て相対評価だから。

例えばだよ。
君以外の皆が、君に比べて、相対的に運動神経抜群で生まれてきていたならば。
君は、どんなに努力し頑張ってダンスを練習しても、{プロのダンサー}にはなれないかもしれない。

この場合。
君が、相対的に他人より優れた結果をだすことで得られる「①現実世界(外側)での幸せ」に、己の幸せを依存していれば。
君は、どんなに努力し頑張っても、ずっと幸せになれないかもしれない。
他者が、すごすぎる!場合、自分が頑張り努力しても、他者より優れた結果を出すことが出来ないから。

だから、「①現実世界(外側)での幸せ」は、自分ではコントロール出来ない部分もあるのかもしれない。

それなのに、「①現実世界(外側)での幸せ」に己の幸せを依存していれば。
他人の優れた能力や、他人の優れた結果を、脅威にしか思えず、「どうしよう。Aさんが私以上に、上手にダンスを踊ったら?」などと、他人の動向に終始ビクビクしながら生きる人生となってしまうのかもしれないね。



・・他の例も見てみよう。
どうやったら異性にモテるようになると思う?

答えは「周りの同姓より相対的に、イケメン/可愛いならモテる。」なのかもしれない。

人類皆が不細工であれば、普通程度の顔でもモテモテになれるのかもしれないし、一方、人類皆が超イケメンであれば、自分なりにはイケメンであっても、モテないかもしれない。

つまり、{モテる/モテない}に関しても、相対的に決まることであって、絶対的な基準はないのかもしれない。相対的な世界である、この世界は、全て相対評価だから。


★相対的世界で生きる意味とは?名言★
~現実世界の全てが、外の世界は全てが、相対評価!~


どのくらい頭が良ければ、東京大学に合格できると思う?

答えは「周りの人達より相対的に、テストで良い点がとれるなら合格できる。」なのかもしれない。

人類皆の知能が落ちれば、二次関数の簡単な計算が解けるだけでも、東大に合格できるようになるのかもしれない。

人類皆の知能が落ちた場合。
「今年も、三次関数の難しい問題を解けた受験者が0人であったため、今年も入学者は0人です。」なんて、10年も20年も東大が発表し続けることはなさそうだよね。そんなことをしてたら、東大が存続できないから。
人類皆の知能が落ちた場合は、東大に合格できる基準も下がることになりそうだよね。相対的な世界である、この世界は、全て相対評価だから。

一方、人類皆の知能が大幅に上がった場合。

自分が、頑張って勉強をし続け「~~~~で、n°<θ<(n+1)°となる整数nを求めなさい。」という難問を解けるようになったとしても、もっと難しい難問を解ける人達だらけとなれば、自分は東大には、入学させてもらえないかもしれない。

東大が「今年も、難問を解けた合格者が多くて多くて・・そのため今年も入学者は70万人以上となりました~。」なんて、10年も20年も発表し続けることはなさそうだよね。そんなことをしてたら、東大が存続できないから。

つまり、{難関大学に入学できる/できない}に関しても、自分の努力によって決まる!だけではなく、周りの人達と自分との相対的な関係で決まることでも、あるのかもしれない。
ただ、通常は、人間同士にそこまで最初から差はないため、自分の努力によって決まることになるのだけれど・・。

そういった意味では。
{大学の制度}というものは、人類を、5教科の点数によって比較していき、相対的に分けていく制度でもあるのかもしれないね。

「5教科の暗記量を調査するペーパーテストの点数によって、人類を比較し、相対的に分けていく制度が{大学の制度}?・・なにかしら、人類を、相対的に比較し分けていく制度を社会が必要としているってこと?」

見方によっては、そういった見方も、不可能ではないのかもしれないけれど・・ここで言いたいのは、【相対的な世界である、この世界は、相対評価!】ってこと。


~現実世界の全てが、外の世界は全てが、相対評価!~


この世界は、相対的な世界なんだよ。
だから、現実世界(外側)での幸せを得るためには、他者より、相対的に優れる必要があったり、他者より、相対的に優れた結果を出す必要があるのかもしれない。
本当は、価値観も関係してくるのだけれど・・。


そのため、現実世界(外側)での幸せを得ようとするばかりならば、君は、相対性の罠や競争社会の罠に、ついついハマり込んでしまう可能性が、あるのかもしれない。

なぜなら、現実世界(外側)での幸せを得るためには、他者より、相対的に優れる必要があり、他者より優れた結果を出すためには、他者と競争して、勝ち残らねばならないから。


だから、競争が激しいでしょう?
プロ野球の世界も。
プロダンサーの世界も。
恋愛の世界も。
試験勉強の世界も。


私達は、現実世界(外側)での幸せを得るために、一生懸命に他人より良い結果を出そうと、競い合っている側面もあるのかもしれない。
それが、悪いことではなく。
ただ、現実世界(外側)での幸せに、己の幸せを過度/過剰に依存していると、相対性の罠や競争社会の罠にハマり込んでしまう場合もあるのかもしれない。


君のおじいちゃんが、「人並み以上に、頑張らねばならない!」と、何度も言っていたのは。
おじいちゃんが、現実世界(外側)での幸せを得ることに、焦点を当てていたからなのかもしれない。

通常、人並み以上に頑張らないと、相対的に他者より良い結果を出すのは難しく・・他者より良い結果を出せねば、現実世界(外側)での幸せを得ることが出来ないからね。
現実世界(外側)の幸せは、他人と相対的に比較することで得られる幸せだから。

それら「①現実世界(外側)での幸せ」が、悪いわけではないよ。
ただ、現実世界(外側)での幸せに、己の幸せを過度/過剰に依存していると、幸せになりたいからこそ「他人に勝たなきゃ!負けないようにしなきゃ!(他人に相対的に勝たないと、私は幸せになれないんだもん!)」と焦り、気がついたら相対性の罠や競争社会の罠にハマり込んでいた・・となる場合も、あるのかもしれない。



「でも、現実世界の中で、他者に勝ち抜いて結果を出さないと、幸せになれないよ?勝ち組にならないで、どうやって幸せになれっていうの?」

世の場末にて、ひっそりと質素な生活を営む仙人・仙女達は、心の中が幸せで満たされているから、いつも微笑んでいるのだけれど。
彼ら・彼女らは、競争社会の中で他者より優れた結果を出し、それで幸せを勝ち取っているわけではないのかもしれない。

仙人・仙女は、相対的に、周りの人より優れた結果を出しているから、幸せ!というわけでは、ないのかもしれない。

仙人/仙女達は、相対性の世界である現実・・外側の世界にばかり囚われず、心の中に、絶対的な真実と基準をもち、そして心の中をコントロールしているから・・・心の中は、いつも幸せで満たされており、微笑んでいるのかもしれない。


外側・・つまり現実の世界は、相対的なものであるため、「①現実世界(外側)での幸せ」はコントロール出来ない場合もあるのかもしれないよね。

例えば競争社会と桃源郷(競争社会の中で桃源郷の世界を生きる)に出てくる、ポポポポ星に行けば。

ポポポポ星で暮らしている人間達は、皆、以下のように超優秀な人達ばかりで・・

~ポポポポ星の人間達~
・最低でもIQ300以上の天才達ばかり
・平均睡眠2時間で、皆、1日18時間以上、365日間、笑顔で働き続ける人達ばかり
・見た目も超優れている人達ばかり

もし、ポポポポ星に行けば、私達がどんなに頑張っても、相対的に周りの人達より秀でることで得られる「①現実世界(外側)での幸せ」は、手に入らないかもしれない。
つまり、ポポポポ星に行けば、外側の世界で結果を出して幸せになる方法は通用しないのかもしれない。

でも、周りの人達との相対的な関係性とは無関係な、「心の幸せを手にする方法」を心得ていれば、ポポポポ星に行っても、幸せでいられることになりそうだよね。

精神世界では。
ハンディをもって生まれた人ほど、精神性が高いとされるいるようだけど。
そう言われている理由の1つは、もしかしたら、ハンディをもって生まれた人ほど、内側での幸せを重視せざるを得ないからかも、しれない。

もし君が、恵まれた才能と容姿をもって生まれてきていれば。
心をコントロールすることによって得られる「心の幸せを手にする方法」なんて、必要ないかもしれない。
恵まれた才能と容姿をもって生まれていれば、相対的に周りの人達より優れた結果を出すことで勝ち組となり、他者と自分とを相対比較し感じる「①現実世界(外側)での幸せ」を、得ることも可能だろうから。

恵まれた才能と容姿をもって生まれてきていれば、周りの人達を見渡しながら「ふふふ。私はラッキーだ♪皆は、才能や顔に恵まれておらず可愛そうだね~。」と、他者と自分とを相対比較し感じる「①現実世界(外側)での幸せ」を、感じやすいのかもしれない。


一方、もし君がハンディをもって生まれているならば。
相対的に周りの人達より優れた結果を出すことで、他者と自分とを相対比較し感じる「①現実世界(外側)での幸せ」は、得るのが難しい場合もあるのかもしれない。
むしろ、自分と他人を相対的に比べれば、「あぁ、みんなは、普通に健康なのに、どうして私は・・」と、自分の運命を悔やみ落ち込むばかりとなるかもしれない。

その場合。
幸せを手にしたければ、他者との相対比較によって感じる「①現実世界(外側)での幸せ」以外の幸せを、見出す必要がありそうだよね。


現実・・つまり、外の世界は陰陽的には陽だ。
普通は、陽である外の世界ばかりに目がいく。

そして心/内面は陰であり、陰の世界である、内面をコントロールすることでも、幸せを手に入れるのが仙人/仙女なのかもしれない。


【幸せには、2種類ある】~相対的世界で生きる意味とは?名言~
②心(内側)の幸せ(絶対的な幸せ)


「②心(内側)の幸せ」とは、周りの人達との相対的な関係は無関係な、自分の心のコントロールによって存在しうる幸せのことなんだけど。
この「②心(内側)の幸せ」を得ていくためには{相対性の罠から抜け出す}や、{絶対的基準をもつ}といったことも、必要となるのかもしれない。


①相対性の罠から抜け出す
→私達は、相対性の罠から抜け出すことで、周りの人達との相対的な関係は無関係な「②心(内側)の幸せ」に、近づけるのかもしれない。

そして、相対性の罠から抜け出すためには、基準を、自分から、他者へと、変える必要もあるのかもしれない。
【自分の幸せ(だけ)】を基準に考えているよりは、【他者の幸せ】のことも考えた方が、相対性の罠にハマり込まずにすみそうだよね。


例えば名無き君は。
【自分の幸せ(だけ)】を基準に考えているから、店員さんに対して、「こんな安月給の仕事に・・ふっ。(私は、この人より幸せだ♪)」と思い、店員を見下し・・そのようなことをするから、ますます、相対性の罠へとハマり込んでいったのかもしれない。

もし、【他者の幸せ】を基準に考えていたならば。
「この人に、幸せが訪れますように」と、相手の方の幸せを願うことになり、だからこそ、自分も相対性の罠にハマり込まずにすんだのかもしれない。


また、【自分の幸せ(だけ)】を基準に考えているから、A君に対し「そんな羨ましい話、これ以上は聞きたくもないよ!」と腹を立て・・ますます、相対性の罠へとハマり込んでいったのかもしれない。

もし、【他者の幸せ】を基準に考えていたならば。
「本当?良かったね~♪」と、A君の幸せを心から喜ぶことになり、だからこそ、自分も相対性の罠にハマり込まずにすんだのかもしれない。


「じゃあ、私が相対性の罠にハマり込んでいるのは、【自分の幸せ(だけ)】を基準に考えているからであって・・抜け出すためには、【他者の幸せ】を基準に考える必要があるってこと?」

そうだね。
【自分の幸せ(だけ)】を基準に考え、自分は自分は、自分が自分が、と自分の幸せのことばかり考えていると。
自分の幸せのことばかりが気になり、自分より幸せそうな人を見ては妬み、その幸せそうな人の足をひっぱったり・・自分より不幸そうな人を見ては、見下したり・・と、し続けるばかりの人生となるのかもしれない。

が、基準を変えることで。
基準を【他者の幸せ】に変えることにより、幸せそうな人を見ては喜び、不幸そうな人を見ては幸せを願い・・となるため、自分自身が、救われることになるのかもしれないね。
相対性の罠から、抜け出て自由になるから。

破滅原則{今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ}的だと、ついつい、【自分の幸せ(だけ)】が基準になりがちなのかもしれない。

そして繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}を大切にしていると、少しづつ、基準が【自分の幸せ(だけ)】から、【他者の幸せ】に変わり始め・・結果的に、相対性の罠から、抜け出て自由になっていくのかもしれない。


「ふーん。じゃあ、{絶対的基準をもつ}とは?」


②絶対的基準をもつ

→私達は、自分の中に、絶対的な基準がない場合ほど、他者と自分のことを比較してしまいがちなのかもしれない。
自分の中に絶対的な基準がなければ「自分は今、どうなのか?」が、他人と比較しなければわからないから。

そのため、自分の人生を生きるコツ(他人の意見」と「自分の意見」)にもあるとおり。
自分の中に、少しづつ絶対的な基準を育てていくのも良いのかもしれない。

自分の中で、絶対的な基準が育てば育つほど、他人と自分を比べ、自尊心や感情が上下する機会も減るのかもしれないね。


「絶対的な基準かぁ~。」

そうだね。
絶対的な基準が育てば、私達はもっと、周りの他人との相対的な関係性より自由となっていくのかもしれない。


例えば、年収と幸せについても。
私達は「年収○○万円くらいあったら、幸せになれるのにな~」と言うよね。

だけど、その‘○○万円’というのは、自分の中にある絶対的な基準ではないのかもしれない。

例えばもし自分が、年収600万円になっても。
周りの皆が年収1000万円で楽しんでいれば、今度は「年収1000万円くらいあったら、幸せになれるのにな~」と言うことになるかもしれない。

そしてだからこそ。
皆が貧しくなっていくならば、自分の年収も下がっても、そこまで不満を感じないのかもしれない。

つまり結局、その場合は、周りの他人との相対的な関係性に縛られているのかもしれない。
このようなことが起きるのは、相対性の罠にハマり込んでいるから。

自分の中で「これくらいの給料は欲しい。これくらいの生活はしたい」という絶対的な基準は、実はなく、ただ、周りの皆の年収/生活水準と、自分の年収/生活水準を比較し、「幸せだ!」「不幸だ!」と、言っているのかもしれない。


一方、もし、自分の中で「これくらいの給料は欲しい。これくらいの生活はしたい」という絶対的な基準をもっているならば。
皆の年収が増え、皆の生活水準が上がっても、今の自分の年収と生活水準が、自分の中の絶対的基準を満たしていると、不満をもつことはないのかもしれない。
たとえ、周りの皆より質素な生活であっても、感謝することになるのかもしれない。

そしてもし、自分の中で「これくらいの給料は欲しい。これくらいの生活はしたい」という絶対的な基準をもっているならば。
不景気が訪れ、皆の生活が苦しくなっていっても、そのことには左右されないのかもしれない。

一方で、相対性の罠にハマり込んでいれば。
不景気が訪れ、皆の生活が苦しくなっていくと、「わ、私は、(皆と比べて)こんな良い生活をしていて、良いのかな??」と不安になっていき。
潜在意識レベルで、あえて、金銭的な不幸を引き寄せることになり・・結果、金銭的な不幸な事件が起きて、生活水準が下がり、「最悪!不幸だ!」と表面上では言いつつ、深い部分では「ホっ」と安心したりも、する場合があるのかもしれない。



江戸時代は、今より貧乏だったよね
でも、現代人以上に、多々不満があったわけではないのかもしれない。
人類は昔も今も「①現実世界(外側)での幸せ」を求めており、周りの人と自分とを比べて、自分の幸せをはかるから。
江戸時代の頃は、周りの皆も、同じような生活だったから、「エアコンがないから不幸だ!」とは、ならなかったのかもしれないね。


将来は、テクノロジーの進化・発展等により、今より快適な生活になっているかもしれない。
でも、今より快適になったとしても今と同じように、不満を聞くことになるのかもしれない。
人類は、今も将来も「①現実世界(外側)での幸せ」を求め、周りの人と自分とを比べて、自分の幸せをはかるのかもしれないから。
テクノロジーが進化・発展した頃には、周りの皆も、同じように現代以上の快適な生活をしているだろうから、「エアコンがあるだけでも、ありがたいことだよね♪」とは、ならないのかもしれない。
「周りの皆は、もっと快適な生活をしているのに、どうして私はエアコン程度で我慢しないといけないの!?」と不満をもつことに、なるのかもしれない。


私達は、周りの人と比べて、自分の幸せをはかるから・・

本当は、ご飯を食べることが出来て、寝る場所があって、それで、幸せなのかもしれない。
そういった、絶対的な基準をもって生きていれば、相対性の罠にハマりこみ、周りの人達と自分とを比べてイライラしたり見下したり、とするばかりの人生から、自由になっていけるのかもしれない。


賢者とは?意味/賢者の本(あるヨギの自叙伝)にもあるとおり、インドのヨーガ修行者(ヨギ)たちは、毛布1枚もって、狭い洞窟で修行をしたりもするそうだよ。

普通は「えぇ?こんな狭い洞窟で?出来れば2LDKは欲しいんだけど。それにエアコンは?」とか、言いたくなるよね 笑

彼らは、絶対的な基準・・{ご飯を食べることが出来て、寝る場所があって、それで、幸せ♪}をもっているから、そういった修行も行えるのかもしれない。


絶対基準ないと、「友人が新車の四駆を買った」とか、「同僚が新築マンションを買った」とか、そういった周りの動向にばかり影響され続け、一生、周りとの相対的関係性に振り回され続けることになるのかもしれない。


「うーん・・。じゃあ、もし絶対的な基準をもっていれば、自分のボロ車と、A君の新車の四駆を比較し、落ち込まなかったのかな~?」

そうかもしれないね。

また、この{相対比較}というのは、自分の人生における過去~現在~未来の、比較でもあってね。

つまり。
過去より、現在の方が幸せであれば、過去と現在を比較するため、「過去のあの頃に比べれば、今の方が幸せだよね。」というふうに、私達は幸せを感じやすい傾向にあり。

現在より、頭の中で想い描いている{未来の理想}の方が幸せであれば、現在と{理想の未来}を比較するため、「はぁ。早く{理想の未来}に辿り着きたい!(今は未来に比べれば不幸だ!)」というふうに思い、私達は幸せを感じにくくなったりも、する傾向があるのかもしれない。

だからこそ一般的には。
過去に辛い経験が少なく、{理想の未来}を夢見がちな若い年齢である時の方が、現状に不満を感じて、イライラしやすい傾向があったりも、するようだね。

そういった意味では。
過去に苦しんできた人の方が、過去と現在を相対的に比べ「今は、過去に比べればマシだよね。」と思いやすいため、現状に感謝を感じやすい傾向も、あったりするのかもしれない。


「じゃあ、私達は、自分の人生における過去~現在~未来すらも、無意識のうちに、相対的に比べているんだ!」

そうだね。
この世界は、相対的な世界だから。

この相対的な世界の中で、相対性や‘違い’を楽しむのも、良さそうだよね(^_^)


★相対的世界で生きる意味とは?名言★
~「相対性の罠」を抜け出し、「相対性の世界で遊ぶ♪」へ~


「②心(内側)の幸せ(絶対的な幸せ)」をしっかりともち。
そして、遊び心をもって、外側の世界でも楽しむ・・そういった生き方も、楽しそうだよね。


「外側の世界を、楽しむ?」

うん。
本来は、多様性に満ちた、この相対性の世界は、楽しい世界でもあるのかもしれない。

ただ、「①現実世界(外側)での幸せ」・・つまり、相対的に他者より秀でることで手に入る幸せに、己の幸せを過度/過剰に依存していると。
この世界は、「他人に負けられない。勝たねばならない!(でないと幸せになれない!)」という厳しい世界と、なってしまう場合もあるのかもしれない。

つまり、「この世界が、どういった世界となるか?」は、当人の求める‘幸せの種類’によっても、決まる側面があるのかもしれないね。

「①現実世界(外側)での幸せ」ばかりを求めていると。
この世界は、競争に勝たねば幸せになれない、弱肉強食の競争社会・競争世界に見えるかもしれない。


でも本当は、もしかすると、この世界は{競争に勝つ/負ける}関係なしに幸せを得ることができる、多様性に満ちた楽しい世界でもあるのかもしれない。


私達は、他者と競争して、競争して、競争して・・・
そして外側の幸せばかりを求めて、競争して幸せそうな人の足をひっぱって、不幸そうな人を見下して、、、と、70年間も80年間も、そんなことをし続けるために、わざわざ、ココにきているのでは、ないのかもしれない。


~外側の幸せばかりを求めて、他人と自分を相対的に比較し続け、競争して足をひっぱって、見下して、、、と、70年間も80年間も、そんなことをし続けるために、わざわざ、ココにきているのでは、ないのかもしれない~


私達は、相対性の世界の中で、遊び楽しむために、ココにきているのかもしれない。


~「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ~


相対性の勝負は・・
外側での、他人との相対的な比較によって勝敗がつく勝負は、ゲームみたいなもので。

ゲームにハマり込んで。
所詮ゲームにすぎないのに、ゲームに熱中しすぎて。

ゲームの結果ごときに、己の全幸せを依存する必要はなくて・・。

ゲームは、ゲームだと理解したうえで、楽しむのも良いのかもしれない。ゲームに呑まれてしまうのではなくて。

ゲームの結果に、幸せが左右される必要はないよね。ゲームは、所詮ゲームだから。

幸せは、ゲームの結果と連動する必要はなく、

幸せは、心の中で得られるものであり、心の中の幸せは、他者との相対的な勝負とは無関係なのかもしれない。
関連人生観が変わる本/書籍(「ザ・マネーゲーム」から脱出する法)


私達がココに来ているのは、相対性や‘違い’を楽しむためなのかもしれない。

エネルギー問題の解決策(人間や現実の正体)にもあるとおり、本来は全てが同じ1つであって。
1つなるものが、相対性を物理次元で楽しむために、この現実世界が生まれたのかもしれない。


ココは、相対性の世界なんだよ。
相対性や‘違い’を楽しむための、楽しい世界なんだよ♪


「ココは、相対性の世界なんだ」と理解したうえで、相対性や‘違い’、ゲームを楽しむ。

‘違い’を尊び、楽しむ。
‘違い’を差別するのではなく、違いを尊重して、違いを楽しむ。

自分とは‘違う’ように見える他者を尊重し、自他の‘違い’を尊び、他者の幸せを願い、他者の幸せを共に喜ぶ♪


「他者の幸せを願い、他者の幸せを共に喜ぶ♪・・って、でも、私は私が幸せになりたい!私は、他人より幸せになりたい!私が私が私が私が・・」


うん、うん。気持ちは、すごくわかるよ。
でもね、名無き君。
君をね、君自身の囚人にしているのは、君の{我欲/利己心/自己中心の心}なんだよ。

君を、他者との相対的な関係に縛り付けているのは・・
君を、君自身の独房に閉じ込めているのは、君の{我欲/利己心/自己中心の心}から派生している{他者を見下す心/他人の幸せを妬む心}なんだ。

君が、競争社会の渦に呑まれ、相対性の罠の中にはまり込んでいるのは・・
君が、「相対性」という現実世界の幻術にはまり込んでいるのは・・

君の{我欲/利己心/自己中心の心}が生み出している「他者はライバル/競争相手」という世界観のせいなんだよ。


本当は、この世界は、もっと自由で、幸せに満ち満ちている世界なんだよ。

君が、繁栄原則を大切にし、奉仕/貢献/他者の幸せを心から願う心・・を育て、「全ての人は同じ1つのチームのメンバー/仲間」という世界観をもち・・

相対性の罠から抜け出し、幸せ~♪な仙人/仙女達が経験している自由な世界・・桃源郷の世界・・それは君の心の中にのみ存在する世界・・で幸せに生きることを、願っているよ(^_^)



③自由な世界へ~相対的世界で生きる意味とは?名言~
■「ふぅ~。」

目をあけてみれば、そこには、いつもと変わらない{ベランダからの景色}があるのでした。


「爺様は、私の幸せを心から願っていて、「人並み以上に、頑張らねばならない!」と言っていたのだろうな。だけど・・」

爺様は、純粋に私の幸せを願い、「人並み以上に、頑張らねばならない!」と言っていたのだと思う。

そして、そのアドバイスは、「人並み以上に頑張ることで、他者より良い結果を出し「①現実世界(外側)での幸せ」を獲得するために頑張れ!」というメッセージだったと、今にしてみれば思う。

だけど、「①現実世界(外側)での幸せ」にばかり囚われ、「①現実世界(外側)での幸せ」にばかり己の幸せを依存すれば、相対性の罠や競争社会の渦に巻き込まれてしまう場合もあるのかもしれない・・。



「①現実世界(外側)での幸せ」を得るためだけに頑張り、己の幸せを、過度・過剰なほどに「①現実世界(外側)での幸せ」に依存していた私は。
相対性の罠にハマり込み苦しみ、そして競争社会に心身ともに疲れる人生を生きてきたのでした。

その最中に、ラーメン屋で友人に対して、自分勝手な振る舞いをしたこともあったのでした・・。


もう、そういった「生き方」は、いいかな~。
今後は、もっと違う「生き方」を、してみたい。


爺様のことは、心から好きだし尊敬もしているのでした。
が、私は、私で。
今後は、「②心(内側)の幸せ(絶対的な幸せ)」をも大切にする人生を生きてみたいな、とも感じているのでした。

「②心(内側)の幸せ(絶対的な幸せ)」に幸せの基盤をもち、あとは遊び心で、この相対性の世界を楽しんでみるのも良いかな~、そう感じてもいるのでした。

現実的に言って。
特に私のような人間は、相対性の世界の中でのゲームにて秀でた結果を出すには、確かに「人並み以上に、頑張らねばならない!」わけで・・そしてゲームを楽しむために頑張ることは、悪いことでもなくて・・
ただ、今後は、「①現実世界(外側)での幸せ」の幸せに過度・過剰なほどには、自分の幸せを依存することなく、 「②心(内側)の幸せ(絶対的な幸せ)」をも大切にしていけたら・・そう感じてもいるのでした。



「うーんっ!」
立ち上がり、思いきり背伸びをし。

「本当は、この世界は、もっと自由で、幸せに満ちている世界。「相対性の世界で遊ぶ♪」・・か。」

私は今、ココで生きていて、思いどおりにいかないことや上手くいかないこともあるし、不満や悩みや問題が出てくるときもあるけれど、それでも、

ご飯を食べることが出来ていて、寝る場所もあって。そう、それにエアコンだってあるし!

そんなことを考えていると、感謝の念が湧いてきて・・


チュンチュン♪

楽しそうな鳴き声が聞こえてきて、目をやると・・
まるで、相対性の世界で遊んでいるかのように、小鳥達が飛び交っていたのでした。



~まとめ 相対的世界で生きる意味とは?名言~
①幸せにも、2種類の幸せがあるのかもしれない。
それは、外側である現実世界で、他人と比べ相対的に勝つ、または相対的に優れることで得られる幸せと、心のコントロールで得られる幸せとの2種類の幸せ。


②相対的に他人と比べることで得られる幸せばかりを求めると、現実世界の幻術である「相対性の罠」にハマり込み・・
自分より幸せそうな他人を妬んだり、自分より不幸そうな他人を見下したり、、とし続ける人生・生き方と、なる場合もあるのかもしれない。

また、相対的に他人と比べることで得られる幸せに、己の幸せを依存していると、周りの他者との相対的な関係に振り回される人生・生き方とも、なる場合もあるのかもしれない。


③相対性の罠から抜け出すためには。
基準を、【自分の幸せ(だけ)】から、【他者の幸せ】へと、変更していく必要も、あるのかもしれない。

そして、それら基準の変更は、破滅原則{今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ}から繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}へと移行する間に、自然と起こる変更でも、あるのかもしれない。


④ココは、相対性の世界であり、相対性や‘違い’を楽しむための、楽しい世界なのかもしれない。
心のコントロールで得られる幸せを身につければ、相対性の世界の中で、他人に勝たねばならない!という幻想から抜け出せ、この世界の見え方が、変わってくる場合もあるのかもしれない。


⑤私達を、私達自身の囚人にしているのは、私達の{我欲/利己心/自己中心の心}なのかもしれない。

私達を、他者との相対的な関係に縛り付けているのは・・
私達を、私達自身の独房に閉じ込めているのは、私達の{我欲/利己心/自己中心の心}から派生している{他者を見下す心/他人の幸せを妬む心}なのかもしれない。

私達が、競争社会の渦に呑まれ、相対性の罠の中にはまり込んでいるのは・・
私達が、「相対性」という現実世界の幻術にはまり込んでいるのは・・

私達の{我欲/利己心/自己中心の心}が生み出している「他者はライバル/競争相手」という世界観のせいなのかもしれない。

だからこそ。
破滅原則から抜け出し、繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}を大切にし、奉仕・貢献の心、他者の幸せを心から願う心を身につけていくことで、他者はもちろんのこと、実は、私達自身が、救われることになるのかもしれない。


~相対的世界で生きる意味とは?名言~
<writer 名無き仙人>


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バス男「相対的世界で生きる意味とは・・かぁ。」

バス子「いろいろな考え方があるのね~。」

仙人「相対性の世界を楽しみながら、楽しい幸せな人生を生きていけると良いのぉ。関連記事としては常識と非常識/正しいまともな人とは?意味(相対性と自分の意見と他人の意見)や、ラットレースを抜け出す方法/人生編(相対性の世界から自由になる)もお勧めじゃよ。」







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