運が良くなる方法/幸運の言葉

■金運/恋愛運/結婚運/仕事運が良くなる幸運を呼ぶ魔法の言葉/運を良くするには?方法/運をよくしたい!運勢/運命


運が良くなる方法/幸運の言葉


バス男「あぁ!釣り動画サイトが閉鎖されている。・・なんて不運なんだ。僕、生きていく希望を失いそう。」

バス子「・・生きる希望を託すところを間違ってない?それにバス男さんは、仙人の【運が良くなる方法/幸運の言葉】の話、まだ聞いていないの?」

バス男「仙人様の【~相対性の世界には絶対的な幸運/不運の基準はない?~運が良くなる方法/幸運の言葉】の話?」

バス子「うん、仙人が言うにはね・・」






~相対性の世界には絶対的な幸運/不運の基準はない?~

1.運が良くなる方法/幸運の言葉

①とあるスーパーにて

■「おっ、ラッキー。1台分だけ丁度空いているよ。」

夕方の込んだ時間帯だったからでしょうか。
スーパーの駐車場に入ると1階は満車状態だったのですが、運良く、スーパー入り口付近に1台分だけ空きスペースがあるのでした。

他の車が駐車してしまう前に!と思い、私は空きスペースへと車を進め、バックで駐車し始めました。「あぁ、でも、こんなことで運を使いたくないな」とも漠然と思いながら。

車をとめ降り、鍵をかけスーパー入り口へと歩いていると、


んっ!?


そこで、無意識的に行われた自分の思考・・・「あぁ、でも、こんなことで運を使いたくないな」に気がついたのでした。


「え?私はさきほど{あぁ、でも、こんなことで運を使いたくないな}と思っていたよね?」
開いた自動ドアの間を通り、買い物カゴを手にとって店内へと入っていきながら。
私の脳内では、無意識領域下にあると思われた、自身の{観念}についての分析が始まっていくのでした。
観念とは?→物事に対してもつ考え。



②幸運な人/不運な人の特徴/条件~運が良くなる方法/幸運の言葉~
■私は偶然空いていた駐車スペースを見つけ停めることが出来たことを{運が良い}と判断しているようでした。

そして、ここからが肝心な部分なのですが・・私は「こんなことで運を使いたくない」とも思ったようでした。
そう思った理由は、{人生で与えられる幸運には限りがある}という大前提があるから、であるよう思われました。
もしくは、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}という大前提があるから、であるよう思われました。


私の観念は{人生で与えられる幸運には限りがある}であるから。
その限りある幸運を、たかだか、スーパーの駐車場の空きスペースごときで使いたくない!と、思うことになったようでした。

もしくは、私の観念は{人生では幸運と不運が半々で訪れる}であるから。
たかだが、スーパーの駐車場の空きスペースごときで幸運を受け取り、その分、どこかで不運が訪れることになるならば、スーパーの駐車場の空きスペースごときで幸運なんて受け取りたくない!と、思うことになったようでした。


★運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには?★
~「こんなことで運を使いたくない」と発言する根底にある観念~
①人生で与えられる幸運には限りがある
②人生では幸運と不運が半々で訪れる


そういえば以前、ゴルフに行った時のこと。
3mほどの距離がある{いつもなら入らないパター}が、その時は「コロコロコロ~~コロン」と偶然入ったのでした。

私は自分で、その奇跡/幸運にびっくりし「やったー!」と喜ぶと同時に「あぁ、これで今日の運を使い果たしたかもしれない。次はどうせミスすることになるだろう。」とも半無意識的に不安に思ったのでした。

・・そう思った理由には、上記と同じく、私の観念に{人生で与えられる幸運には限りがある}や、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}が、あるからであろうと思われました。


★運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには?★
~「運を使い果たしたかもしれない」と発言する根底にある大前提~
①人生で与えられる幸運には限りがある
②人生では幸運と不運が半々で訪れる


私はどうも、自覚こそなかったものの。
{人生で与えられる幸運には限りがある}、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}という大前提(観念)をもって生きているよう思われたのでした。

そのため、日々の生活の中で、なにか‘良いこと(幸運)’が訪れると「やったー!ラッキー!」と喜ぶ反面、「こんなことで運を使いたくなかったな」と不満に思ったり、「運を使い果たしてしまったかもしれない。その分、次は不運が訪れそうだ」と不安に思ったり、しているよう思われたのでした。


しかし、よくよく考えてみると。
いつの間にか持つことになっていた大前提(観念)・・・{人生で与えられる幸運には限りがある}、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}が、「本当に正しいことなのか?」と疑わしくも思えてくるのでした。

これら私の個人的観念(大前提)は、唯一、絶対の正しいことなのでしょうか?

誰しもにとって、幸運には限りがあり、人生では幸運と不運が半々で訪れるのでしょうか。

それとも、私の個人的観念(大前提)は、単なる個人的な{思い込み}なのでしょうか?


・・個人的には、経験則的に、{人生で与えられる幸運には限りがある}、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}が正しいことであるようにも感じるものの。

自己催眠ダイエットと潜在意識(現実化の仕組みとコツ)に詳細はあるとおり。
物事が現実化される仕組みが【潜在意識レベルで、実現可能と思えていることは現実化され、実現不可能と思っていることは現実化されない】であるならば。

私が{人生で与えられる幸運には限りがある}、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}という思い込み(観念)を、潜在意識レベルでもっているから、実際に、私の人生では【限りある幸運】や【幸運と不運が半々で訪れる】が、現実化されてしまっているようにも思われたのでした。


<どう思い込もうと、どちらにしろ、私達の思い込みは正しくなる>
「これが正しいのだ!これが真実なのだ!」という、潜在意識レベルでもっている個人的な信念/観念(思い込み)が、人生で具現化されていくことになるのであれば、【どう思い込もうと、どちらにしろ、私達の思い込みは正しくなる】とも言えそうです。

つまり、私は{人生で与えられる幸運には限りがある}、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}と思い込んでいるから。
私の人生では実際に、【限りある幸運】や【幸運と不運が半々で訪れる】が、現実化されることになっているのかもしれません。


私はゴルフにて、{いつもなら入らないパター}が偶然、運よく入った時。
奇跡/幸運に「やったー!」と喜ぶと同時に「あぁ、これで今日の運を使い果たしたかもしれない。次はどうせミスすることになるだろう。」とも半無意識的に思ったのでした。

そして、{人生では幸運と不運が半々で訪れるため、次はどうせミスすることになるだろう。}と思い込むから。
実際に、次のパターではミスをすることになり、そして私は「ほらね、やっぱりミスすることになった。思ったとおりだ。だって{人生では幸運と不運が半々で訪れる}からね。」と無意識的に思い、己の‘思い込み’を強めていくことになったのかもしれません。
関連無意識と言葉と行動の関係(信念は行動を誘発する。そして行動によって信念は強化されいく)


そのため経験則的には、{人生で与えられる幸運には限りがある}、{人生では幸運と不運が半々で訪れる}が正しいことであるよう感じることになっているのかもしれません。


このことは、逆を言えば。
{人生で与えられる幸運には限りがない!}と潜在意識レベルで思い込んでいる場合。
実際に、人生では【限りなく与えられ続ける幸運】が現われ、その人は【限りなく与えられ続ける幸運】を享受することになる場合もあるのかもしれません。


★運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには?★
~「人生で与えられる幸運には限りがある」もしくは「人生で与えられる幸運には限りがない!」、どう思い込もうと、どちらにしろ、私達の思い込みは正しくなる~


考え事をしながら、いつも通りのコース・・野菜売り場、豆腐売り場、納豆売り場、と足を進めていると。
安売りされていた納豆が売り切れていたのでした。

「最悪~。」そう思いながら、他の納豆を物色しつつ「ほらね、駐車場で幸運を得たから、その分、やっぱり不運が訪れた。だって{人生では幸運と不運が半々で訪れる}からね。」と半無意識的に思い、「駐車場で運を使い果たしたんだ」とも思っていると・・




名無き君、「駐車場で運を使い果たした」とは、どういうことなのかな?

モノには限りがあるから、使い果たすこともありうるよね。
例えば、{安売りされていた納豆}はモノであるから、{使い果たす/なくなってしまう}もありうるよね。

だけど、運は、モノではなく、運は実態がないものであり、‘運’とは当人の心の中に存在する{考え}であるため、‘運’が使い果たされ、なくなってしまう!なんてことは、ないのかもしれないよ。
もし、あるように感じられるならば、それは名無き君が自分で作り出している‘錯覚’にすぎないのかもしれないね。


「え?運は実態のない‘考え’であるから、なくなりようがない・・ってこと?」

そうだね。
納豆などと違いモノではない、実態のない‘運’の場合、{使い果たしてしまい、なくなる}ということは、ないのかもしれない。

名無き君は{人生で与えられる幸運には限りがある}と思い込んでいるようだけど、本当に、幸運には限りがあるのかな。

そもそも、幸運とは何だろうか?


運とは、この目の前に広がる痛いほどリアルな現実の世界にて、起きている事象や、起こった事象を「どう捉えるか?」「どう認識するか?」なのかもしれないね。


★運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには?★
~運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?~


例えば、{安売りされていた納豆が売り切れている}という事象に対して、だよ?
名無き君が「安売り納豆を買えなかった!最悪~」と捉え、「運が悪いな」と認識すれば、{安売りされていた納豆が売り切れている}という事象は、運が悪いことになりそうだよね。


「うん。でも、そんなことは当たり前のことじゃないか。安売り納豆が売り切れているんだよ。運が悪いよ。最悪だ。」

そう感じるよね。
でもね、{安売りされていた納豆が売り切れている}という事象に対して、だよ?
名無き君が「いつも購入している安売り納豆が売り切れているお陰で、今日は、違う納豆を買う機会が与えられた」と捉え、「たまには違う納豆を食べることも楽しいことだよね。普段はついつい、同じ行動を取り続けてしまうせいで、他の納豆を買うことがないのだけど、今日は{違う納豆を買う機会が与えられた}のだから運が良いのかもしれないな。」と認識すれば、{安売りされていた納豆が売り切れている}という事象は、運が良いことにすら、なりえるかもしれない。


「う、うーん。・・つまり、考え方や捉え方、認識の仕方次第で、{同じ現象}でも、運が良いことになったり、悪いことになったりするわけ?」

そうだね。【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】だから。

だから宝くじが当たった人でも「宝くじなんて、当たらなければ良かった。宝くじが当たったせいで、人生が狂った!」と嘆いている人はたくさんいるのかもしれないね。

通常、{宝くじが当たること}は{運が良いこと}とされているよね。
でも、{宝くじが当たること}ですら、考え方や捉え方、認識の仕方次第で{運が悪いこと}となりうるようだよ。

「宝くじ 不幸」で検索すれば、そのような話は、ネット上にもたくさん出てくるよね。


つまり結局ね。
運は実態あるモノではないから。
‘運’は、常に私達の心の中にのみ存在している{考え}にすぎないから、私達の{考え方/捉え方/認識の仕方}次第によって、「幸運か?不運か?」は決まっていき、そのため{考え方/捉え方/認識の仕方}次第では幸運にも限りはないのかもしれないよ。

例えばだよ。
「あ~、今日も食べるご飯がある。幸運に感謝だよねー♪」と、毎食の度に感謝するAさんの場合。
よほどの非常事態が起きない限り、Aさんは、毎日{人生で与えられる幸運}に感謝することになりそうだよね。

そのようなAさんにおいて、人生で与えられる幸運に限りがあるのだろうか。


「そ、そうは言っても、ご飯を食べることが出来るのは当たり前だから、そんなものは幸運とは言わないよ!」

うん、うん。そう感じるよね。
そしてね、【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】なんだ。

だから名無き君が、【ご飯を食べることが出来るのは当たり前】と捉えるならば、{ご飯を食べることができる}という事象に対して、幸運を感じることが出来ないわけだ。

しかし、【今日も食べるご飯がある。幸運に感謝だよねー♪】と捉えるならば、同じ{ご飯を食べることができる}という事象に対して、幸運を感じることが出来るのかもしれない。

そして【っち。今日もまた、いつもの食事メニューかよ。金持ちのKさんは、今頃、豪華な料理を食べているだろうに、それに比べ私は・・】と捉えるならば、同じ{ご飯を食べることができる}という事象に対して、不運すら感じる場合があるのかもしれない。


★運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには?★
~運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?~


これらの話は、「プラス思考に関する話」や、「スピリチャル的な話」では、ないのかもしれないよ。
これらの話は、とても現実的な話なのかもしれない。

私達は人それぞれで、{幸運}や{不運}の基準を、自分でも自覚なきうちに無意識的にもっていて。
その、自分の中で無意識のうちに作り出している個人的な{幸運}や{不運}の基準に、起きる事象や起きた事象を当てはめ、「これは運が良い事象だ」や「これは運が悪い事象だ」などと、判断しているのかもしれない。

つまりね、絶対基準なき相対性の世界である、現実の世界を生きている私達においては。
【絶対的な幸運/絶対的な不運】というのが、存在していないわけで、

そして【絶対的な幸運/絶対的な不運】が存在しないから、{起きる事象/起きた事象}について「これって、幸運なの?不運なの?」が私達にはわからないために、なにかの基準に当てはめて、{起きる事象/起きた事象}に関する{幸運or不運}を判断する必要があり、

そのため私達は、自分の中で無意識のうちに{幸運}や{不運}の基準を作り出していて、その基準に当てはめてみて「これは運が良い事象だ」や「これは運が悪い事象だ」などと、判断しているのかもしれないね。


「現実の世界は、絶対基準なき相対性の世界であるため、幸運や不運に関しても【絶対的な幸運/絶対的な不運】が存在しないわけか。」
そうだね。
だから【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】であり、これらの話は、「プラス思考に関する話」や、「スピリチャル的な話」ではなく、とても現実的な話なのかもしれない。


一般的には、常識(つまり自分以外の他人達の意見)に流される形で、自分の中で無意識のうちに{幸運}や{不運}の基準を作り出しているようだよ。
常識(つまり自分以外の他人達の意見)に従っておかないと、なにかとうるさいからだろうね。

例えば、だよ。
名無き君が「あ~、今日も食べるご飯がある。幸運に感謝だよねー♪」と、毎食の度に感謝していたら。

それは、今現在の常識外の{考え方/捉え方/認識の仕方}であり、今現在の常識外の【幸運の基準】となるから、周りの皆からは「名無きは変わり者だ」とヒソヒソと言われることになるかもしれない。
関連常識と非常識/正しいまともな人とは?意味(相対性と自分の意見と他人の意見)


普通は、それが嫌で、無意識のうちに常識(つまり自分以外の他人達の意見)に従う形で、{考え方/捉え方/認識の仕方}をもつようになり、常識に従う形で【幸運or不運の基準】をもつことになるようだね。


だけどもう、今後は、自分以外の他人達の意見に、無理してまでお付き合いする必要はないのかもしれない。
他人には最上級の敬意を払い、他人の意見は尊重すれば良いと思うよ。

だけどもう、自分は自分の基準をもち、そして今後は、自分以外の他人達の意見(常識)に、無理してまでお付き合いする必要はないのかもしれない。

幸運に包まれた幸せな人生を生きていきたいならば、自分は自分の基準をもち、毎食の度に「あ~、今日も食べるご飯がある。幸運に感謝だよねー♪」と、人生で与えられる幸運に感謝するのも悪くはないのかもしれないね。


「でも、それって、痛々しい感じがするよ。無理して{自分は運が良い!}と思い込むようにしていると言うか・・」
そう捉えることが、今現在の常識(つまり自分以外の他人達の意見)だよね。

だけど、絶対基準なき相対性の世界である、現実の世界を生きている私達においては。
【絶対的な幸運/絶対的な不運】というのが、存在していないわけだよ。

もし、【絶対的な幸運】というものが存在しているならば。
【絶対的な幸運】を得たわけでもないのに、「運が良い!」と言えば、それは{無理して{自分は運が良い!}と思い込むようにしている}とも言えるのかもしれない。それならば「無理している/痛々しい」という表現も適切かもしれないよね。

しかし【絶対的な幸運】というものが存在しないのだから、{幸運かどうか?}は、ひとえに、当人の{考え方/捉え方/認識の仕方}や【幸運の基準】によって決まるのだよ。

言い換えると、絶対基準なき相対性の世界である、現実の世界においては【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】以外のなにものでもないわけだ。

絶対基準なき相対性の世界においては、【絶対的な幸運】も【絶対的な不運】も存在しないために、【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】以上でも以下でもなく、ただただ、そうなんだよ。
※「○×△の事象が発生すれば、それは絶対的に幸運なことである」というような【絶対的な幸運】が存在するならば、【幸運とは?→絶対的幸運の事象が発生すること】になる。
しかし、現実の世界は、そういった絶対基準が存在しない相対性の世界であるため、「なにをもって幸運と判断するか?」も絶対基準がなく、本人の主観で「運の善し悪し」は判断されることになるため、そのため【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】となるのかもしれない。

私達は、固定化されてしまった観念(思い込み)をもっているのかもしれない。

「太りやすい体質だから運が悪い」
「食べても太らない体質だから運が良い」
「好きな人に振られたから運が悪い」
「好きな人と両想いになれたから運が良い」

それら{運の善し悪し}の判断基準は、全宇宙で絶対的に適応される【絶対的な基準】ではないのかもしれない。
たとえば、{太りやすい体質}は、運が良いこととされていた時代もある。
たとえば、好きな人に振られたお陰で、その後に生涯のパートナーと出会うこともありうる。

それらは、自分以外の他人達の意見(常識)であり、また、自分の個人的な思い込みにすぎないのかもしれない。
どうして、そういった{固定化されてしまった観念(思い込み)}をもつに至ったのだろう?



だから、「自分は運が良い」「自分は運が悪い」、どう思うことになろうと、それは当人の{個人的な思い込み}に、どちらにしろすぎないわけだよ。

絶対的な基準がないため、痛々しいように見えようが、見えまいが、「自分は運が良い」「自分は運が悪い」、どう思うことになろうと、それは当人の{個人的な思い込み}にすぎないわけだよ。


「うーん。絶対的な基準がないから、「自分は運が良い」「自分は運が悪い」、どう思おうと、それは{個人的な思い込み}になってしまう・・」

絶対基準なき相対性の世界においては【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】なのかもしれないね。

そのため「私は運が悪いのです!人生は不運ばかりなのです。」と嘆く場合。
それは、「私は、起きた事象に対する捉え方が悪いのです!」と言っているようなものでも、あるのかもしれないね。
「○×△といった事象が発生すれば、それは絶対的に不運です!」というような【絶対的な不運】というものが、相対性の世界である現実の世界には存在していないから。

また、同じように。
「私は運が良いのです!人生では幸運が多いのです。」と喜ぶ場合。
それは、「私は、起きた事象に対する捉え方が良いのです!」と言っているようなものでも、あるのかもしれないね。
「■□▲といった事象が発生すれば、それは絶対的に幸運です!」というような【絶対的な幸運】というものが、相対性の世界である現実の世界には存在していないから。


「じゃあ、私の人生も、{起きた事象に対する捉え方}が良くなると、幸運な人生になっていくのかな?」

起きる現象/起きた現象によって「幸運か?不運か?」を決めずに、「{起きる現象/起きた現象}を、どう捉えるか?どう認識するか?」によって「幸運か?不運か?」を決めるようになれば、もっと{幸運な人生}ともなっていきやすいのかもしれないね。{幸運かどうか?}は、常に私達の心の中にのみ存在するから。
言い換えると、{幸運かどうか?}は、私達の主観的な、個人的な、判断にすぎないから。

例えば、スーパーの駐車場で、入り口近くに空きスペースがなく、離れた場所に車を停めることになったとするよ。
この場合、{入り口付近で車を停めることが出来れば運が良くて、離れた場所に車を停めるしかない場合は運が悪い}という基準をもっていて、その基準のままに「幸運か?不運か?」を決めれば{最悪!不運だ!}となってしまうかもしれない。

しかし、「{起きる現象/起きた現象}を、どう捉えるか?どう認識するか?」を工夫することにより。
具体的には「離れた場所しか空いていないお陰で、スーパーまで多く歩くことができダイエットになった。ラッキー♪」などと認識することにより、{離れた場所に車を停める}も幸運なことと、なっていくのかもしれない。

もしね、全人類が絶対に、そう感じてしまうことになる【絶対的な幸運】の基準があって、その【絶対的な幸運】の基準が{入り口付近で車を停めること}であるならば。
「離れた場所しか空いていないお陰で、スーパーまで多く歩くことができダイエットになった。ラッキー♪」と考えることは{無理している/痛々しいこと}にすら、なるのかもしれないよ。

だけどね、私達の生きる現実の世界は、相対性の世界であるため、{幸運or不運}にも、絶対的な基準が存在しないんだ。
そのため【運とは? = 起きた事象をどう捉えるか?】になるわけで、当人がどう捉え、どう認識しようと、「幸運だ!」と捉えようと、「不運だ!」と認識しようと、それらはどちらにしろ、個人的な思い込みになってしまうんだ。

だから、どちらにしろ{個人的な思い込み}なのだから、{起きた事象に対する捉え方}を自分なりに工夫してみることによって。
幸運に包まれた幸せな人生を生きることも、悪くはなさそうだよね。

別の言い方をすると。
常識(つまり自分以外の他人達の意見)に囚われる形で、{起きた事象に対する捉え方}を固定させてしまうのではなく、自分で{起きた事象に対する捉え方}を自由自在に操ることにより、運から自由になった人生を生きていくことも、悪くはなさそうだよね。


「でも、やっぱり、そうは言っても・・・」
そうだよね。
どうしても普通は、心にブレーキがかかってしまうよね。幸運に包まれた幸せな人生を生きることに対して。


だけどね、名無き君も、幸運に包まれた幸せな人生を生きて良いのかもしれない。
そもそも、この世界が、喜びや至福、愛の具現化なのかもしれないから。


「えぇ!?この痛いほどリアルな現実の世界が、喜びや至福、愛の具現化なわけ?」

考え方の1つではあるけれど、そう捉えることも出来るのかもしれないね。

私達の生きる現実の世界は、物質より成り立っていて、物質は、原子より成り立っているわけだど。
 → 
その原子自体が、そもそもこの大宇宙を織り成している【超微細な光エネルギー】の具現化であり、【超微細な光エネルギー】の性質自体が{喜び/至福/愛}であるならば。
私達の目の前に広がっている痛いほどリアルな現実の世界の全てが、{喜び/至福/愛}の具現化・・とも言えるのかもしれない。


自然科学とは、現実世界に現われている諸現象を調べていく科学であり、心の科学とは、現実世界自体を生み出している源/根源を調べていく科学でもあるようだけど、

その心の科学者・・探求者達は、過去何千年もの間、いつの時代のどこの地域の探求者であっても、修行方法がどんな方法であろうとも。
最終的には皆、同じ1つの結論【全てが同じ1つ(現実の世界は同じ1つの現れ)】に辿り着いているようだよ。
及び、現代科学も、その結論に近づく方向で進んでいるのかもしれないね。
関連賢者とは?意味/賢者の本(あるヨギの自叙伝)


その心の科学者・・探求者達によると、現実世界自体を生み出している源/根源の性質は{喜び/至福/愛}であるそうだよ。
そのため、源/根源から派生している現実世界自体も、性質は{喜び/至福/愛}なのかもしれない。

そして名無き君自身も、現実世界自体を生み出している源/根源の派生・・1部であるため、名無き君自身も、本来、性質は{喜び/至福/愛}なのかもしれない。

だからね。
喜びや愛に包まれた、幸せな状態であること・・その状態が、君の本来の自然な姿、でもあるのかもしれないね。


「私の本来の自然な姿は【喜びや愛に包まれた、幸せな状態】??」

そうかもしれないね。
で、あるならば、なにも{人生で与えられる幸運には限りがある}や{人生では幸運と不運が半々で訪れる}などと思い込み、自ら、自分や人生に制限を加える必要も、ないのかもしれないね。

君は、恐れることなく、もっと自然体な姿・・・【喜びや愛に包まれた、幸せな状態】で、あっても良いのかもしれない。


人生で与えられる{幸せ/幸運}を感謝して受け取ること。
関連幸せになる方法(‘幸せ/幸運’を感謝して受け取る)


{幸せ/幸運}はモノではなく、心の中にある感情や考えであるため数に限りは無く、減らないのだから、「幸運が尽きてしまうかもしれない!人生では幸運と不運が半々で訪れるのだ。」などと自ら制限し「この幸運を手にすると、もう幸運が尽きて、後に不幸が訪れるかもしれない」などと恐怖することなく・・・

【相対性の罠】にはまり込み「私が幸運を受け取ると、その分(相対的に)、誰かが不幸になるのでは?」などと心配することもなく・・
関連相対的世界で生きる意味とは?名言(「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ)


人生で与えられる{幸せ/幸運}を感謝して享受し、心の中ではなにも所有せず・・

自由でいなさい。
全ての人に対して恩返し、しなさい。
幸せな人生を生きなさい。



③運を良くしたい!運気をあげたい!~運が良くなる方法/幸運の言葉~
■私は、勘違い野郎のようでした。
私は、絶対基準なき相対性の世界である現実世界の中で・・

【絶対的な不運】というものが存在しない現実の世界の中で「はぁ、私は運が悪い。どうして私ばかり、こうも運が悪いのだろう?」と嘆いていたのでした。

【絶対的な不運】が存在しない以上、「私は運が悪い」と思うのは、「私は運が悪い」と捉えるのは{個人的な思い込み}であり・・

「はぁ、私は運が悪い。どうして私ばかり、こうも運が悪いのだろう?」と嘆く私は{個人的な思い込み}が激しい勘違い野郎でもあるようでした。


そんな私は、‘同じ勘違い野郎’であっても、幸せな‘勘違い野郎’になれるよう、精進している最中なのでした。

絶対基準なき相対性の世界である現実世界の中では、【絶対的な幸運】も存在しないようでした。
そのため、「私は運が良い!」と喜ぶことも{個人的な思い込み}であり・・「私は運が良い!」と喜ぶ場合も{個人的な思い込み}が激しい勘違い野郎とも言えるのかもしれません。

私は、後者の方の‘勘違い野郎’になれるよう、精進している最中なのでした・・。


「そうだ、そうだ。そうだった。」
はっと我に返った私は、1度、ふぅ~と息をはき、肩を2~3度上下させリラックスし一転、ニコと口元に笑みを浮かべ「安売り納豆が売りきれているお陰で、今日は、他の納豆を選ぶことができるよ♪」と思うように努めてみたのでした。

{安売り納豆}に比べると、どの納豆も30円も高いことに本当は憤慨しつつも「お陰様でいろいろな納豆を吟味できる。」と感謝するよう努めていると、さきほど「安売り納豆が売りきれている。最悪!」とイライラしていた時よりも{喜び/至福/愛}に近い感情へと心の中が変わっていくようにも感じられたのでした。


最も小粒タイプであった納豆を手に取り、買い物カゴへと入れ、私はまた、いつも通りのコース・・納豆売り場、卵売り場、野菜ジュース売り場、、、へと足を進めていきました。「納豆が売り切れていたお陰で、運について考察できた。私は運が良いなぁ♪」と勘違いしながら・・。



~まとめ 運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには~
①「○×△という現象が起きれば、それは絶対的に幸運である!」といった、【絶対的な幸運】の基準なき、相対性の世界に生きている私達においては。
自分のことを「私は運が良い!」と思おうが、「私は運が悪い!」と思おうが、どちらにしろ、{捉え方}や、個人的にもっている{幸運or不運の判断基準}から派生している{個人的な思い込み}となるのかもしれない。


感謝の言葉/名言(【悪循環に落ち込む】→【好循環を作り出す】)に詳細はあるとおり。
全ての物事には{肯定的側面}と{否定的側面}の、両面が存在しているのかもしれない。
よって、同じ事象に遭遇したとしても、「{肯定的側面}と{否定的側面}の、どちらの面を見るか?」によって・・・当人がどう捉えるか?考えるか?によって、運が良いことになったり、運が悪いことになったり、するのかもしれない。


③金運/恋愛運/結婚運/仕事運・・どの運勢/運気にしろ。
【絶対的に運が良い!基準】が存在しないため、あとは、当人が「どう考えるか?どう捉えるか?」次第でも、あるのかもしれない。


④私達の本来の性質は{喜び/至福/愛}であり、私達の自然体な姿は「喜びや愛に包まれた、幸せな状態」なのかもしれない。
であるならば、私達はもっと、恐れることなく、遠慮することなく、自ら制御/セーブすることなく・・・人生で与えられる幸せや幸運を、感謝して受け取って良いのかもしれない。
関連ありがとう!感謝の魔法使いになる方法(私達は感謝の魔法使い)


⑤{捉え方}や、個人的にもっている{幸運or不運の判断基準}は、コツコツと精進していくことで変えていくことができる。
そして、{捉え方}や、個人的にもっている{幸運or不運の判断基準}によって「幸運or不運」が、当人の心の中で決まっていくため。

私達は、「運の悪い不運な人」であっても、「運の良い幸運な人」に変わっていくことができるのかもしれない。


~運が良くなる方法/幸運の言葉|金運/恋愛運/結婚運/仕事運良くするには?~
<writer 名無き仙人>





バス男「僕、金運/恋愛運/結婚運/仕事運・・ぜ~んぶ、良くしていきたいなぁ。」

バス子「{捉え方}や、個人的にもっている{幸運or不運の判断基準}を変えていくようコツコツと取り組まなきゃ、よね。」

仙人「人生で与えられる幸せ/幸運を感謝して享受し、楽しい幸せな人生を生きていけると良いのぉ。関連記事としては恋愛運/金運アップ方法(運気を上げる「生き方/心のあり方」とは?)や、運気をあげる引き寄せの法則のやり方({個人的な現実/個人的な世界}の改善方法)もお勧めじゃよ。」






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幸せになる魔法の言葉(幸せになることを許可する方法)
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