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人生が楽しくない!やりたいことの見つけ方

■自分のやりたいことが見つからない/本当にやりたいことがわからない/好きなことを仕事にする/毎日仕事も楽しく


人生が楽しくない!やりたいことの見つけ方


バス子「あー、なんか人生が楽しくないなぁ。やりたいこともないし。」

バス男「バス子ちゃ~ん。僕も、人生が楽しくなくて嫌になってたところだよ。は~、どうしたものかなぁ。」

バス子「うーん。じゃあ仙人に【人生が楽しくない!やりたいことの見つけ方】を聞きに行ってみる?」

バス男「仙人様の【~自分の正直な気持ちと向き合う強さとは?~人生が楽しくない!やりたいことの見つけ方】かぁ・・」







~自分の正直な気持ちと向き合う強さとは?~

1.人生が楽しくない!やりたいことの見つけ方

①閉鎖感の原因

■「人生が楽しくない。生きていて、良いことなんてないよ!」

私は、楽しくない人生に嫌気がさしていた。
でも、「自分の人生が、どうして楽しくないのか?」その理由は、はっきりとわからずにいた。

「楽しくない人生を変えて生きたい!辛い毎日を変えていきたい!自分自身も変えたい!」その強い思いのままに、私はその後、走り続けるのであった・・。



「そういえば、そうだったよな~」
とある夏の日の早朝。
私はパソコンを前にして、当時を思い出していました。

現在の私が、「う~ん、いまいち、人生が楽しくない、というか・・。」と閉鎖感に陥っているから、そのために当時の心境と思考や感情がリンクしたのでしょうか。

私は「楽しくない人生を変えて生きたい!辛い毎日を変えていきたい!自分を変えたい!」と思い、走り始めた時期。
毎日は辛かったし、自分なりには大変だったけれど、今にして思えば、‘情熱’があったよう思われました。

「自分も人生も変えたい!」と思いがむしゃに頑張っていた毎日に、今よりは、‘情熱’がありました。
人生に対して、‘情熱’が、あったのでした。

やりたいこと・・「自分も人生も変えたい!」をやっていたからでしょうか。


それが今。
お陰様で、ありがたいことに、当時と相対的に比較すると【自分が自分に望む人生/毎日】を生きることをさせて頂けていて。
それなのに私はわがままなのでしょうか?

「う~ん、いまいち、人生が楽しくない、というか・・。」という気持ちも、最近、感じているのでした。

人生に、‘情熱’がないのでした。
生きていて、‘情熱’を感じないのです。

大袈裟な表現なのかもしれませんが、私は自分の魂が、「人生に対する情熱」だったり「輝き」だったりを失っていて、そのために「人生が楽しくない」と閉鎖感に陥っているようにも感じられ、「なぜ、私は今、「人生が楽しくない」と感じることになっているのだろう?」と自問をし、自分を客観視し、自己分析を行ってみたのでした。

すると、その答えは「好きな事/やりたいことをやっていないから」に向かっていくのでした。



②楽しみたい!~人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方~
■「人生が楽しくない」と感じられるとき。
その原因の1つは、「好きなこと/やりたいことをして生きていないから(我慢して生きているから)」であるようにも思われたのでした。

例えば、親や周りの人達が、自分に望んでくる人生を、我慢して義務感から生きている時。
「だって親や異性が~~な生き方をするよう望んでくるから」というように、我慢して義務感から【他人が自分に望んでくる人生】を生きている時。

自己犠牲感から人は、「人生に対する情熱/楽しさ」を見失っていき、魂が活力を失っていき、「人生が楽しくない」と閉鎖感に陥っていく場合もあるのかもしれません。
関連夢/理想/目標を邪魔する自己犠牲(踊りたければ踊りなさい)


一方で。
【他人が自分に望んでくる人生】ではなく、【自分が自分に望む人生】を生きている場合は、「人生に対する情熱/楽しさ」を感じやすく、そのために魂が活力に溢れ輝き始め、人生が楽しいものへとなっていきやすいものなのかもしれません。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~人生には2種類ある。【他人が自分に望んでくる人生】と【自分が自分に望む人生】とが。そして【自分が自分に望む人生】である方が魂が輝き生きる活力も幸福度もアップする~


そして【自分が自分に望む人生】とは、すなわち、自分が望む好きなことをしながら、やりたいことをしながら人生を生きていくことでもありそうです。

自分がやりがいや意味を感じられる好きなことに一生懸命打ち込む毎日であるならば。
「人生に対する情熱/楽しさ」も、そうでないよりかは、得られることになりそうです。

そのため、人生を楽しいものへとしていくためには、「自分が望む好きなことをする」も大切となるのかもしれません。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~人生を楽しくする方法→自分が望む好きなことをすること~


①好きなことをする

→本当は、私達は、自覚ある意識レベルで、もしくは無意識レベル/潜在意識レベルで「人生を楽しくするためには、自分が望む好きなことをしながら人生を生きることだよね!」と知っていて。

また、本当は、既に「自分のやりたいこと/好きなこと」を知っている場合もあり。

にも関わらず、実際には「自分が望む好きなこと」をしていない場合、その根底には‘恐怖/恐怖心’があるのかもしれません。

仕事であれ恋愛であれ生き方であれ、なんであれ、人生を止めているのは、いつも‘恐怖/恐怖心’であるようだからです。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~「自分が望む好きなこと」や「自分が自分に望む人生」が出来ないでいる理由→‘何か’を恐れているから~


そして恐怖心は、幽霊話と同じく、正体を直視すると、恐怖心が薄れてくることになるようです。

自分の中で「あ、なるほど。私が恐れていたのは~~だったのか。」と恐怖の原因/理由/正体がわかると、恐怖心もすぅ~と薄れてくるわけですね。


②恐怖の原因
→私は「なぜ好きなことを自由にしてはいけないと思い込んでいるのだろうか?」と自問してみました。

おそらく自分は、「本当にしたいこと」「本当はやりたいこと」を抑圧して生きているから・・好きなことを自由にしながら生きていないから、「う~ん、いまいち、人生が楽しくない、というか・・。」と感じているよう思われたからです。

すると、以下のような理由が思い浮かばれたのでした。


①愛のため
→人は、愛のために生きるからでしょうか。
私達は、愛する家族や、愛する友人や、愛する異性(恋人/伴侶)から愛されていたいから。

愛のために、「本当にしたいこと/本当はやりたいこと」を抑圧して生きる場合もあるのかもしれません。

「もし、私が「本当にしたいこと」をしながら人生を生きはじめた場合。その「本当にしたいこと」が、家族や友人達や恋人/伴侶が私に望んできているものと違えば、私は家族や友人や恋人/伴侶から、煙たがれてしまうのではないか?」というふうに。

そして、こうも自問してみました。

「家族や友人達や恋人/伴侶は、私が強い自己犠牲感を感じながら、毎日を我慢しながら生きることを望んでいるのだろうか?」
「家族や友人達や恋人/伴侶は、私が「本当にしたいこと」をしながら幸せに生きることを望んでくれているのだろうか?」
「自分自身が、家族や友人達や恋人/伴侶たちが、自由に幸せに生きることを望んでいないから、そのため自分が、世界観の関係から縛られることになっているのではないか?」
関連思い込みが激しい!癒しの心理学(世界観の事例と説明と癒し方)


私達は、愛のために生きているからでしょうか。
たとえ、「本当にしたいこと」「自分が自分に望む人生」があっても、それをすることで愛「愛する人から愛されること」が犠牲になってしまうよう感じられるとき。
「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」よりも「愛(愛する人から愛されること)」を選ぶことになるようです。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~人は愛のために生きる。そのため「愛する人達が自分の判断をどう評価するか?」を自分の思い込みで判断するのではなく、きちんと客観視してみること。そして愛する人と本音で話し合ってみること~
※「自分が自由に生きると、きっと愛する人達から嫌われてしまうハズだ!」と思う場合もあるが、自分が心から愛する人達は、自分の幸せを心から純粋に願ってくれている場合も多いため、本音で話し合ってみることも大切。


「本当にしたいことを自由にし始めると愛を失ってしまうかもしれない」という気持ちが、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をするのをセーブしている恐怖心であり、抑止力でもある場合が、あるのかもしれませんね。


②信頼
→自分自身に対する信頼感がない場合、「どうせ私には、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をすることなんて出来ないよ」と思ってしまう場合もあるのかもしれません。

または、将来や人生に対する信頼感がない場合、「上手くいかなかったら、どうしよう?」などと不安に思ってしまう場合もあるのかもしれません。

自分自身を信じること。
自分で自分のことを信じることができるよう{信頼できる自分創り}も行っていくこと。
関連自分との人間関係


将来や人生を、信じること。
みんなのことを、信じること。
「もし駄目だった時は△△の方向に進めばいいよ」と心にもリスクヘッジをかけること。
人生で展開される現象や起きることの全ては、(大きな視点から長期的に見れば)皆にとってのベストが起きている!と信頼すること。


③固定観念
→「~~の生き方でなければ生きていけないハズだ!」などの固定観念/思い込みが、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をセーブしていることもあるようです。

そのため、自分自身の固定観念に「あっ!私は、○○だと勝手に思い込んで生きてきたのか。なるほど~」と気がつくと。
そう気がつくごとに、人生がどんどん自由になっていき、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」を、自然とできる自分へと変わっていくこともあるのかもしれません。


④人生観
自分の人生を生きる方法(「他人を羨む/他人と比較する」から自由になる方法)に詳細はあるとおり。
私達は、どちらにしろ、自分の人生経験・体験しか、経験できないがために「自分が人生に対して、どれだけ強い思い入れをもっているのか?」も、自分で客観的に理解し知ることが出来にくい側面もあるのかもしれません。


私達は、人それぞれで、「人生に対する思い入れの強さ」が異なるようなのです。
でも、そのことは、気がつきにくいようなのです。自分の感覚・・自分の人生に対する感覚しか、今までの人生で経験してきたことがないからでしょうか。


人生に対する思い入れが強い場合ほど、固定観念なども強くなり「人生は、こうでなければならない(ハズだ!)」と思い込んでしまい、人生を、自由に軽やかに生きていくことが難しくなる側面もあるのかもしれません。

私は、自分の人生に、強い強い思い入れをもっていて。
「人生は、こうでなければならない!(だから「本当にしたいことを自由にしながら生きる」なんて駄目だ!)」などの、強い思い込みをもっているよう思われたのでした。

言い換えると、私は人生を、重く捉えているようなのでした。「1回きりの人生なのだから、何か、意味あることを成し遂げなきゃ!」というような感じでしょうか。
もしくは「そんな簡単に、自由にやりたいこと/好きなことをしながら軽やかに人生を生きるなんて、駄目だ!」という感じでしょうか。


一方で、Aさんには、人生がランチ(昼ごはん)程度に感じられていて。
人生が、ランチ程度に感じられているからAさんは、私のように肩に力を入れガチガチに力むこともなく、もっと軽やかに自由に、自分のしたいことを素直にし続けているようなのでした。

確かに、ランチ程度であれば、「あぁ、どうしよう?どう選択すれば良いのだろう?」「私のやりたいこと(食べたいもの)は、なんだろう?あぁ、わからない・・。」などと深く悩むこともなく、肩に力を入れガチガチに力むこともなく、もっと自然体で、自分の好きなお店で好きな料理を食べることになりそうです。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~人によって人生の感じられ方は異なっている。人生が重要で重いものであるよう感じられている人もいれば、人生がランチ程度に感じられている人もいる~


私は、こう自問してみました。

「人生がランチ程度に感じられている人もいる一方で、どうして私は、それほどまでに人生を重く捉えることになっているのだろう?」
「なぜ、私は、人生を「重く重要なもの」としておきたいのだろう?」
「どうして、人生がランチ程度のものになると、私は「それは困る!」と思ってしまう心理が働くのだろう?」
「人生は「重く重要なもの」なのだろうか?人生は「ランチ程度のもの」なのだろうか?もしくは、その両方の感じられ方、両方ともが「正しい」のだろうか?※正しい答えは1つだけではない場合もあるため」



③楽しむには~人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方~
■原因を調べた後、今度は、解決策も自分なりに考えてみたのでした。


①他者の幸せを願う心
→私は中学生の頃からでしょうか。
自分は、我慢して義務感から、人生を生きてきていて、自分が、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をしていないから・・それが悔しくて。

「本当にやりたいこと」をしながら「自分が自分に望む人生」を自由に生きている他人を見ては、「ふん!甘いな。現実を見ろよ!」などと批判してきているのでした。

もしくは「Aさんは自由に生きていて・・わがままで自分勝手な最低な人だ」や、「好きに自由に生きるなんて低俗な生き方だ」などと、見下してきているのでした。

そして、そう自分が「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をしている人を見ては批判をしてきているから。
ますます、自分は、世界観の関係や、つじつま合わせの関係より、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をすることが出来なくなっているよう思われたのでした。

詳細は幸せになる魔法の言葉(幸せになることを許可する方法)にて。


②自分自身に幸せになって良いと許可する
→「本当にやりたいこと」をしながら「自分が自分に望む人生」を自由に生きることは、幸せに生きることでもありそうです。

そのため、「本当に幸せになってしまうこと」を自分自身に許可することが出来ずにいる場合は、潜在意識レベルでブレーキがかかり、「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」をすることが出来なくなってしまう場合もあるのかもしれません。

詳細は幸せになる方法(‘幸せ/幸運’を感謝して受け取る)にて。


③家庭環境の影響
→「本当にやりたいこと」をしながら「自分が自分に望む人生」を自由に生きることを、自分に許可できずにいる場合。
理由や原因が、生まれ育った家庭環境にある場合もあるのかもしれません。
人は、なんにしろ、多大な影響を育つ家庭環境から受けるようだからです。

生まれ育った家庭が、堅い家庭環境であったり、宗教色の強い家庭環境である場合。
その家庭内では、暗黙のうちに【「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「低俗/悪」である】という雰囲気があって。

そのため、楽しい自由な人生を生きることを、無意識レベルでは「低俗な悪い生き方」と思い込んでしまっていて。
だからこそ、楽しい自由な人生を生きることを、自分自身に許可することが出来ずにいることに、なっている場合もあるのかもしれません。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~自分の家庭の雰囲気しか味わっていないため理解しにくいが同じ日本の家庭でも家庭の雰囲気はかなり異なる。堅い家庭/宗教色の強い家庭では【「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「低俗/悪」である】という雰囲気がある場合があり、すると無意識レベルで「楽しい自由な人生を生きることは「低俗な悪い生き方」である!」と思い込んでしまっていて、そのため、楽しい自由な人生を生きることが出来なくなっている場合もある~


本当は、人生を楽しみたいのに。
その魂から湧きあがってくる想いや情熱を「楽しい自由な人生を生きることは「低俗な悪い生き方」である!」という固定観念で押さえつけながら我慢して義務感などから生きていると。

どこかで歪が生じてしまい、それは「~~依存症」などとして現われてきたり、心や体の病気として現われてきたり、「はぁ、人生が楽しくない・・」という閉鎖感として現われてきたり、する場合もあるのかもしれません。
抑圧した歪は、人生のどこかで、現われてしまうことになるからでしょうか。


★人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方★
~魂は「人生を楽しみたい!」と望んでいる。その魂からの想いや情熱を、無理に抑え込まないこと。抑圧は人生のどこかの部分で歪として現れる。私達は人生を楽しんでも良いのだ!~


<「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「異性・恋愛」である>

そういった固定観念があれば、「異性・恋愛」を、本当は望んでいるのに望んでいないフリをし、我慢したり、抑圧することになるかもしれません。


<「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「娯楽」である>
そういった固定観念があれば、「娯楽(旅行や趣味や買い物など好きなこと)」を、本当は望んでいるのに望んでいないフリをし、我慢したり、抑圧することになるかもしれません。


<「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「物質的なもの」である>
そういった固定観念があれば、「リッチな暮らし/モノを買うこと」などを、本当は望んでいるのに望んでいないフリをし、我慢したり、抑圧することになるかもしれません。


そして、そう自分は我慢し抑圧し続けていると。
人生を楽しんでいる他人を見ては、「あの人達は、欲望にまみれた低俗な人達だ!」などと、悔しいから批判してしまうことになり。

そして、そう自分が、人生を楽しんでいる人を見ては批判をしていると、世界観の関係や、つじつま合わせの関係より、自分はますます、「楽しむ」を抑圧して生きることになっていき・・それは人生の歪ともなって現われてくるものなのかもしれません。



なにが最善なのかは、わからないけれど。
ただ、どちらにしろ。

魂から湧きあがってくる「人生を楽しみたい!」という想いや情熱を、{特定の思い込み/制限ある固定観念}によって、無理に我慢し抑圧し続ければ、それは歪となり、どこかで噴出することになるのかもしれません。


私はこう、自問してみました。

「どうして私には【「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「低俗/悪」である】と思い込んでしまっているところがあるのだろう?」
「「楽しむ」や「欲望」は「低俗/悪」なのだろうか?」
「「自分だけが正しい」のでなく正しい答えも1つだけでないならば、もしかしたら自分の考え方は、1つの偏った考え方でもあるのかもしれない。」
関連常識と非常識/正しいまともな人とは?意味(相対性と自分の意見と他人の意見)


「どういった固定観念が正しいか?はわからないけれど。どうして私は【「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「低俗/悪」である】という固定観念をもっているのだろう?」
「本当に【「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「低俗/悪」である】なのかな?それは宗教的に人為的に、誰かの都合のために作り出された教えなのだろうか?」



④固定観念と自由~人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方~
■私達は、家庭環境の影響や、その後の人生にて、自分で創り上げた【巨大な思い込みの世界(こうでなければならないハズだ!など)】の中で生きていて。

でも実は、その【巨大な思い込みの世界】は、実態のない、偏った固定観念によって作られている世界でもあって。

自ら、自らにかけてきた幻術・・「巨大な思い込みの世界(こうでなければならないハズだ!など)」という幻術から解放されていくと人は、自然と、もっと自由に、軽やかに、自分のやりたいこと、好きなことをしながら、人生を楽しみながら生きていくことにもなるのかもしれません。


別の表現をすると。

私達は、自分自身の{固定観念/思い込み}が書かれたトランプで、自分の周りに「幻想的な牢獄」を創り上げていて。
そのトランプには「お金は悪だ!」や「「楽しい」は欲望であり悪いことである!」などの個人的な観念が書かれていて。
その自分自身の{固定観念/思い込み}で創り上げている「幻想的な牢獄」の中で身動きが制限されることになっていて、自由に生きることが出来ず、また、トランプの重みで、人生が重たくなってしまっていて、軽やかに自由に、楽しく生きることが出来なくなっている側面もあるのかもしれません。

一方で、そういった{固定観念/思い込み}が少なく、自由に生きている人もいて。
そういった人は、だからこそ自然と、自分のやりたいこと・好きなことを自然体で行いながら、人生を軽やかに楽しく生きているものなのかもしれません。


だからこそ例えば「お金は悪だ!」という固定観念がなくなれば。
自然に自然体で「お金」とも付き合うようになっていくのかもしれませんし・・
関連お金嫌い?大好き?名言/格言/言葉(お金に関する観念の浄化/お金の気持ちを知る)


また、「「楽しむ」とは「欲望」であり、「欲望」とは「異性・恋愛」だから「異性・恋愛」は悪だ!低俗だ!」という固定観念がなくなれば。
もっと自然に自然体で「異性・恋愛」とも付き合うようになっていくのかもしれませんし、


「私は、△△の仕事をしなければならないのだ!」などの固定観念がなくなれば。
もっと自然に自然体で「仕事選び/職業選択」を行っていくことにもなるのかもしれません。


お金・恋愛・仕事・・それら選択を、ランチのように自由に楽しく選んでいく人もいれば。
それらを、重く捉える人もいるのかもしれません。ガチガチに固まった固定観念の影響からでしょうか。

このことは、ガチガチに凝り固まった固定観念(幻想的な牢獄)から少しづつ自由になっていくと人は「あれ?私はどうして、あんなにも肩に力をいれて「人生は~~でなければならないのだ!」とか思っていたのかな?好きなこと/やりたいことを自由にして、人生を楽しめば良いよね?どうして、今まで、そうしてこなかったのだろう。逆に不思議だ。」とも想い始めることをも意味しているのでしょうか。



「はぁ~。私は、ガチガチな固定観念で、自分自身が、縛られているのかも・・。」
思い込みや、固定観念というのは、自分でも気がついていないから「思い込み/固定観念」として存在することができているため、
※「あっ!なるほど。私は~~という思い込みをもっていたのか」と気がつけば、気がついた時点で、自覚が伴った時点で、もうそれは「思い込み」でなくなってしまうから。

きっと、自分には、自覚が伴っていないだけで、実は多くの「思い込み/固定観念」があって。

それらが私を縛り付けていて、だから私は、自分の好きなことを自由にすることが出来ずにいて「う~ん、いまいち、人生が楽しくない、というか・・。」とも思うことになっているのかもしれない・・。


「ふ~む。こりゃ困ったなぁ 笑」
いつも通り、焦らず1つづつ、自分の「思い込み/固定観念」を浄化していき、自分自身を自由な世界(それは己の心の中に存在する自由な世界/桃源郷)へと解放していければ、とも思い、こうも自問してみることにしたのでした。


「人生とは、「偉業を達成するため」に存在しているのだろうか?」
「人生とは、「自分が立派な成長したすごい人間になるため」に存在しているのだろうか?」
「人生とは、悩み苦しみ、経験を積み、成長を遂げるために存在しているのだろうか?」
「そもそも{全てが同じ1つの現われ}であるならば、悩み苦しみ成長しなければならない必然性はあるのかな?」
「人生とは、仕事やお金の成果を積み重ねるために存在しているのかな?」
「人生とは、愛「愛すること/愛されること」のために存在しているのかな?」
「人生とは「重要で重いもの」なのだろうか?「ランチ程度のもの」なのだろうか?」
「人生とは、楽しむためにあるのかな?」



~まとめ 人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方~
①人によって、人生観は異なる。

例えばAさんにとって人生とは「仕事やお金の成果を積み重ね{誇れる俺の自分史}を作るためのもの」であるかもしれない。
一方Bさんにとって人生とは「愛「愛すること/愛されること」のためのもの」であるかもしれない。

ただ、どちらにしろ、どんな人生観であれ。
破滅原則{今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ}的に生きれば、長期的には、原理原則のままに衰退していくことにもなるのかもしれない。

繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}的に生きれば、長期的には、繁栄していくことにもなるのかもしれない。

原理原則は自然の法則であるため、人間1個人の人生観などは関係なく、誰しもに適応されることになるため。

だからこそ、どんな人生観をもち、どう生きようと。
繁栄的な原則を大切にすることは、大切なことでもあるのかもしれない。→繁栄原則と破滅原則


②人生が楽しくない理由や原因の1つは、「自分が本当にやりたいこと」を見てみぬフリをし、自分の本当の気持ちを抑圧しているからでもあるのかもしれない。

「自分が本当にやりたいことは、なんだろう?」と自問してみること。
本当は、その答えは、既に知っている場合も多い。つまり「したいこと・好きなこと」は既に自分で知っている場合も多い。

だからこそ「好きなことを見つける/探す」も大切であるが、「好きなことを避けている理由/好きなことから目をそらしている理由/好きなことを自ら抑圧している理由」を探し見つけることも、大切となる場合もある。
※それは、自分の正直な気持ちや、弱さや、恐怖と、向き合うことでもある。だから強さや、勇気が必要ともなる。

ただ、固定観念や思い込みの影響から、それを抑圧しているのかもしれない。

繁栄的な原則を大切にしつつも{自分の弱さに向き合う強さ}を発揮し、自分の気持ちに素直になってみること。


③人生を止めているのは、なんであれ、恐怖心である場合が多い。

そのため、「自分は、何を恐れているから「本当にしたいこと/自分が自分に望む人生」を我慢することになっているのだろう?目をそらすことになっているのだろう?」と自問をしてみること。

そして、恐怖心の正体を探し出してみること


④恐怖心や、自分で自分を縛り付けている固定観念/思い込みから自由になっていけば。
人は、自然と、もっと軽やかに、自分の思い込みに縛られることなく自由に、好きなこと、やりたいことを我慢せずに楽しみながら生きるようになっていく。

そのため「楽しい自由な人生を生きる方法」の1つは、「己の{恐怖/思い込み/固定観念}に気がつくことで{恐怖/思い込み/固定観念}から自由になること」であるのかもしれない。


~人生が楽しくない!自分のやりたいこと/好きなことの見つけ方~
<writer 名無き仙人>


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バス男「僕にとって人生とは・・まぁ、どーでもいいや~。テヘヘー」

バス子「バス男さんの人生観って「ランチ」っぽいわね。」

仙人「普段は目をそらしている、自分の正直な気持ちや、弱さや、恐怖と、向き合ってみると、いろいろとわかってくる場合もあるのかもしれぬのぉ。」







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