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自分の人生を生きる方法

■自分のための人生について/自分の人生は自分で決める/自分の人生を生きていない/自分のための人生を変えるには


自分の人生を生きる方法


バス子「良いな~。バス香も結婚しちゃった。バス菜はもう妊娠して妊婦さんだし、皆が羨ましいなぁ。それに比べ私は・・はぁ~。」

バス男「僕は、ライギョ男さんが羨ましいよ。」

バス子「・・仙人に【自分の人生を生きる方法】を聞きに行ってみようかなぁ?」

バス男「ほ~、仙人様の【~「他人を羨む/他人と比較する」から自由になる方法~自分の人生を生きるには?】かぁ。」







~「他人を羨む/他人と比較する」から自由になる方法~

1.自分の人生を生きる方法

①とある夏の日

■「ふ~ん。今日はお祭りなのか。」
7月の、とある休日。
仕事をしていると笛の音の聞こえてきて、近くで祭りが行われているよう思われました。

「良いなぁ。楽しそうだな~。屋台とかも出ているのだろうな。」
楽しいであろうお祭りの現場に思いをはせていると「皆は、恋人や家族と、お祭りの現場を歩きながら楽しんでいるのだろうな。」と思考が進んでいくのでした。

淡々と家で仕事ばかりしている自分と、お祭りを楽しんでいるであろう人達を比べると、自分が惨めに思えてきて「は~ぁ。」と少し気分が落ち込みました。


「世の中には今頃、夏のお祭りを楽しんでいる人もいれば、夏の海を楽しんでいる人もいて、中には海外旅行を楽しんでいる人もいて・・良いなぁ。」
どういうわけか、1度、人生を楽しんでいるのであろう人達へと思いをはせると、楽しんでいるであろう人達へと思いや意識はいくばかりで、気分はもっと落ち込んでいくのでした。思考に引き寄せの法則が働いているのでしょうか・・。
関連お金と引き寄せの法則の方法(引き寄せの法則の本質とお金から自由になる方法)


「もし、私が、Aさんのようにお金持ちの家庭に生まれていたら今頃、私は、Aさんのように海外をリッチに旅行しまわっていて・・楽しいだろうなぁ~」頭の中で、羨ましく思えるAさんについて考えていると、、、




名無き君。
いくら名無き君がね、他人であるAさんが経験しているであろう{楽しそうな経験/羨ましい経験}を想像し、「Aさんは良いなぁ~、今頃きっと、ハワイの別荘で、、、それに比べ私は・・」と羨みつつ、自分と他人とを比較してもね。
君は、君の意識と肉体が通過する範囲内の経験に終始せざるをえないのかもしれない。

君は、君の意識と肉体が通過する範囲内の経験しか出来ないのかもしれない。
それは10歳の頃もそうだったし、70歳になろうと、そうなのかもしれない。

70歳になった時、君は言うだろう。「私は今世で、たくさんの経験/体験をしてきたな。」と。
しかし、その君が体験してきた70年間の人生経験は、終始一貫して、全部、自分の意識と肉体が通過する範囲内の経験/体験となるのかもしれないね。


人間は、自分の意識と肉体が通過する範囲内の経験しか出来ないから、どんなに{お祭りを楽しんでいるであろう人達}に思いをはせても、君が家にいるならば。
君の意識と肉体が家の中にあるならば、君は、家の中の経験に終始せざるを得ないだろう。

だから、他人が経験/体験しているであろう人生と比較することなく。
君の意識と肉体が通過する範囲内の経験を、つまり、君にとっての‘今’を、君にとっての‘人生経験/人生体験’を、大切にするのも素晴らしいのかもしれないね。


「うん?どういうこと?」

私達はついつい、羨ましく思える他人の話を見聞きしては、「世の中には今頃、夏のお祭りを楽しんでいる人もいれば、夏の海を楽しんでいる人もいて、中には海外旅行を楽しんでいる人もいて・・良いなぁ。」などと、羨ましく思える他人達が経験/体験しているであろう‘人生経験/人生体験’に、思いをはせることもありそうだよね。

そして、その後に「Aさんは良いなぁ~、今頃きっと、スイスの別荘で、、、それに比べ私は・・」と他人を羨み、落ち込むこともあるかもしれない。

羨ましく思える他人と比較することで、自分の‘今’や、自分の‘人生経験/人生体験’が、落ちぶれた、しょうもないものであるよう感じてきて、自分が惨めに思えてきて「は~ぁ。」とため息をつくこともあるかもしれない。
「自分には、Aさんのような‘人生経験/人生体験’が出来ないのかな?」と落ち込むこともあるかもしれない。


だけどね、それら【羨ましく思える他人達が体験/経験しているハズである「他人の‘人生経験/人生体験’」に思いをはせること】は、あまり意味がないことなのかもしれないね。
なぜなら、

①人間は、己の人生経験/体験に終始せざるを得ないから
私達は生きていく中で、様々な体験や経験をしていくよね。

「部活動での楽しかった経験、悩んだ体験」
「恋愛での楽しい経験。辛い経験」
「仕事での成功経験、失敗経験」
「○○に旅行に行った体験、××のレストランで食事をする経験」

そして、その{様々な体験や経験}は、誰がしているのか?と言えば「私」であるわけで・・その「私」という自我意識が、肉体を通じて{様々な体験や経験}をしているわけだよね。
※自我意識とは自分自身を認識する意識。


私達の「私」という感覚、「自分」という感覚・・つまり自我意識は、1個人の肉体の中に限定されることになるため、私達が何かを体験/経験する場合。
それは、どうしても、自我意識と肉体が通過する範囲内の経験に限定されることになるんだ。

そのため自分の自我意識と肉体がない場所/空間で起きている事柄の経験は、出来ないわけで・・
海外で起きた事柄も経験した気になる場合があるけれど、それは海外のニュースを映し出すTV画面の前に、自分の自我意識と肉体があるから、そう感じるだけであって、私達は、どうしても、自分の自我意識と肉体が通過する範囲内の経験に限定されることになるのかもしれない。


だからね。
「Aさんは良いなぁ~、今頃きっと、ハワイの別荘で、、、それに比べ私は・・」と、羨ましく思える他人が経験/体験しているであろう「他人の‘人生経験/人生体験’」に思いをはせてみてもね。
名無き君の自我意識と肉体は、ハワイにはなく、日本の君の家の中にあるから、君は、ハワイにいるであろう他人が経験しているハズである体験を、体験することは出来ないんだ。

君は自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’を、経験/体験する他なく、そのため「7月の暑い家の中にいる今の経験/体験」をする他、ないのかもしれない。


そして、これはね、人生をとおして、一貫して、そうなのかもしれない。

例えば名無き君がね、大金持ちの家に生まれて、なんでも自由にできる環境にて、一生ずっと、超リッチに世界中を旅行しまわりパーティーに連日参加する人生を生きたとするよ。

君は70歳になった時、こう言うかもしれない。「大金持ちの私は、いろいろな旅行やパーティーを経験してきた。私の人生は、豪華でリッチだった」と。

でもね、どれだけ君が大金持ちで、なんでも自由にできる立場の人間であってもね。
その君が体験してきた70年間の人生経験は・・・たとえリッチで自由な人生経験であっても、終始一貫して、全部、自分の意識と肉体が通過する範囲内の経験/体験となるのかもしれない。

だから君は70歳の時、パーティー会場を出た休憩室でソファーに座り、こうも思うかもしれない。
「私は70年間、いろいろと経験してきたけど、それらも結局、全部、自分の中だけで起きていた体験であって・・人の人生は結局、自己満足的にならざるを得ない側面もあるのかもしれないな。
私が今、リッチなパーティー会場を離れ、こうして休憩室のソファーに座り、目の前の机をぼ~と眺めながら考えているのも、結局、私の中だけで起きている体験であって、今頃、ブラジルではサッカーをしている少年達もいて、中国では太極拳をしている老人達もいて・・それら他者達の人生は、他者達の中で展開されていて・・結局、人はそれぞれ、自分の意識と肉体が通過する範囲内の経験/体験をする他、ないのだろうな。」


「う~ん。なんでも自由にできる大金持ちですら、自分の1個人の経験/体験に終始せざるを得ない・・か。」

そうだね。人は、意識が、自分の肉体の中に限定されることになるから。
だからね、君が「私はせっかく大金持ちで、自由で、超リッチな生活をしているのだから自己満足的にはなりたくない!」と思ってね、周りの他人達を巻き込もうとしたとしても。

他人に向かって「今日のパーティーは、こんなに楽しく豪華だったんですよ。いや、本当ですよ。本当に素晴らしかったのですよ!?」と自慢して話したり、SNSやブログに書いてアピールするくらいしか出来ないのかもしれないね。

そして、相手に向かって自慢話をしている最中も、自慢話を書き込んでいる最中も、結局、‘自分’という自我意識の中で、自分という枠に限定された状態で、体験せざるをえないのかもしれない。
つまり自慢しようとしても、それすら、自己満足にならざるをえない部分もあるのかもしれない。

他人からの賞賛や承認を求めようが、求めまいが。
人生は、君の意識の範囲内のものに限定されることになるのかもしれないね。



「人は、他人の経験しているであろう経験を体験することは出来ない。人は、自分の経験しか体験出来ない・・ということ?」

そうだね。逆でも考えてみよう。

周りの人達が、「とりあえず今、自分さえ良ければ良いんだ!」とハデに遊んで暮らしているように見えてね。
その羨ましく思える他人達を見て「自分ばかり損している。私も、とりあえず今、ハデに遊んで暮らそう」と決断し、仕事をせずに借金したお金で遊んで暮らしたとするよ。

すると年をとってからは、仕事もなく、借金返済で苦しむことになるかもしれない。

君は、そう苦境に陥った時、こう言うかもしれない。「だって、皆はハデに遊んで暮らしているように見えたよ?どうして私だけ、こんなに苦しまないといけないの!?」と。

でもね、どれだけ君が苦しむことになろうと、辛い立場になろうと。
その君が体験している人生経験は・・・たとえ、どんなに辛く苦しい人生経験であっても、終始一貫して、全部、自分の意識と肉体に限定される・・自分の意識内で起きる経験/体験となるのかもしれない。

だから君は、1人苦しみつつも、暗闇のアパートのソファーに座り、こうも思うかもしれない。
「私は今、とても辛く苦しい体験をすることになっているが、それらも結局、全部、自分の中だけで起きている体験であって・・人の人生は結局、自己満足的にならざるを得ない側面もあるのかもしれないな。
私が今、賑やかで楽しそうな繁華街から離れたアパートにて、こうしてソファーに座り、目の前の机をぼ~と眺めながら考えているのも、結局、私の中だけで起きている体験であって、今頃、アフリカでは鬼ごっこをしている子供達もいて、ヨーロッパではサッカー観戦をしている人達もいて・・それら他者達の人生は、他者達の中で展開されていて・・私は私で、1人、自分の中で苦しんでいて・・・結局、人はそれぞれ、自分の意識と肉体が通過する範囲内の経験/体験をする他、ないのかもしれないな。」


「う~ん。たとえ、どんなに辛く苦しい人生となっても、自分の1個人の経験/体験に終始せざるを得ない・・か。」

そうだね。人は、意識が、自分の肉体の中に限定されることになるから。
だからね、君が「私は、○○のせいで、こんなにも苦しい人生となっている可愛そうな被害者なのだ!」と思ってね、周りの他人達を巻き込もうとしたとしても。

他人に向かって「私は、○○のせいで、こんなにも不幸なのですよ。可愛そうでしょう!?」と不幸話をしたり、SNSやブログに書いて不幸アピールをするくらいしか出来ないのかもしれない。

そして、相手に向かって不幸話をしている最中も、不幸話を書き込んでいる最中も、結局、‘自分’という自我意識の中で、自分という枠に限定された状態で、それらを体験せざるをえないのかもしれない。
つまり不幸アピールをしようとしても、それすら、自己満足にならざるをえない部分もあるのかもしれない。

つまり、他人からの同情や承認を求めようが、求めまいが。
人生は、君の意識の範囲内のものに限定されることになるのかもしれないね。


結局、人は、どれだけ最高に楽しい人生を生きようが、どれほど苦しく辛い人生を生きようが、どう生きようと。どんな人生を生きることになろうと。
他人に対して、幸せアピールをしようが、不幸アピールをしようが・・他人達が経験/体験しているであろうと思われる「他人の‘人生経験/人生体験’」と、「自分の‘人生経験/人生体験’」とを、どんなに一生懸命に比べようが・・
誰であれ、自分の自我意識と肉体が通過する範囲内の‘人生経験/人生体験’をする他、ないのかもしれないね。


<人は、自分の経験/体験をする他ない>
そのため、羨ましく思える他人に思いをはせてみたり、他人と自分とを比較しみても、あまり意味がないのかもしれない。

それよりも、君の意識と肉体が通過する範囲内の経験を、つまり、君にとっての‘今’を、君にとっての‘人生経験/人生体験’を、大切にするのも素晴らしいのかもしれないね。
君はどちらにしろ、なんにしろ、君の自我意識と肉体が通過する範囲内の‘人生経験/人生体験’をする他、ないから。


「うーん・・」

他にもね、私達は{他人の実在性}すら確認のしようがないのかもしれない。

例えばだよ。
睡眠中、夢の世界の中に、片思い中のAさんが出てきたとするよ。
その{夢の中に出現したAさん}は、自分で創り出したAさんなのかもしれないね。

この場合、君が、夢の中でAさんに話しかけたら「どうしたの?名無きさん。」とAさんは答え、会話が始まるだろうが、夢の場面が変われば、Aさんもすぅ~と消えていくことになるのかもしれない。
そして場面が戻れば、再びAさんは現れることになりそうだけど、その間、Aさんは消えていたのかもしれない。
つまりAさんは、ある意味、実在していないと言えるのかもしれない。

この場合、Aさんの、実在性の、確かめようがないよね。
夢の中でね、君がAさんに「ねぇ、さっきまでAさんはいなかったよね。消えていたよね。実は、Aさんは実在していないのでは?」と聞くとするよ。
するとAさんは「はぁ?なに、訳のわからないことを言っているの?私が実在しないわけないでしょ。この間も、私は家に戻っていて、食事を作っていたのよ!」と、夢の中で答えるかもしれない。

でもね、{夢の中に出現したAさん}は、自分で創り出したAさんなのかもしれず、夢の場面が変わっていた間は、消えていたのかもしれないよね。
【夢の場面が変わっていた間もAさんは実在していたのか?】の、確認のしようは、ないのかもしれない。


「そうだね。それがどうしたの?」

もしかしたら、現実ですら、そのような側面があるのかもしれない。

例えばだよ。
目覚めている間、現実世界の中で、片思い中のAさんとバッタリ出会ったとするよ。

そして君が、現実世界の中でAさんに話しかけたら「どうしたの?名無きさん。」とAさんは答え、会話が始まるだろうが、会話が終わり「じゃあ、またね。」と別れた後は、Aさんもすぅ~と消えているのかもしれない。
常識的に言えば、Aさんは、自分と会っていない間も、どこかに実在しているハズであり、どこかで生活をしているハズであるけれど・・

現実の世界の中で、偶然、再びAさんと会うこともあるかもしれないが、その間、Aさんは消えていたのかもしれない。

この場合、Aさんの、実在性の、確かめようがない側面もあるのかもしれない。

Aさんの実在性を確認するためにAさんに電話をかければ、「はい。もしもし。」とAさんは電話に出るだろう。そして「ほら。やっぱりAさんは、常に、どこかに実在しているんだ。」と思うことになるかもしれない。
そして会話が終わり、「じゃあね。」と電話を切った後。
その後は再び、Aさんの、実在性の、確かめようがなくなってしまうのかもしれない。

現実世界の中でね、君がAさんに「ねぇ、Aさんって、私がAさんに会っていない間も、本当に、どこかに常に実在し続けているの?」と聞くとするよ。
するとAさんは「はぁ?なに、訳のわからないことを言っているの?私が実在しないわけないでしょ。名無きさんに会っていない間も、私は韓国に行っていたし、お土産だって買って返ってきているのよ!」と、現実世界の中で答えるかもしれない。

でもね、【自分がAさんに会っていない間もAさんは実在していたのか?】の、確認のしようは、ない側面もあるのかもしれない。
どうやって証明する?Aさんが、自分と会っていない間も、常に実在し続けていることを。

Aさんに尋ねれば「私が実在しないわけないでしょ。貴方に会っていない間も、私は家に戻っていて、食事を作っていたのよ!」と言うかもしれない。でも、それは夢の中で他人が{私が実在しないわけないでしょ。貴方に会っていない間も、私は家に戻っていて、食事を作っていたのよ!}と言うのと同じく・・なのかもしれない。

現実世界は、つじつまを合わせる法則(原因と結果の法則)があるから、転職して以来、ずっと会っていなかった元同僚のBさんと、偶然、数年ぶりに会ったとしても、Bさんは、その数年間に、Bさんなりの経験をしてきていたことにして、つじつま合わせを行うかもしれない。

だから「ほら、やっぱり他人(Bさん)は実在しているんだ。」と思うかもしれない。
でも【会っていなかった間、本当にBさんは実在していたのか?】の確認のしようはない側面もあるのかもしれない。

理論的には、他人が実在していることについて、いろいろと説明できると思うよ。でも、実際に自分の体感・実際の経験として、確信をもって「ほら、やっぱり他人は実在していたよ。」と確認することは出来ない側面もあるのかもしれない。


「確かに、そういった側面もあるのかもしれないなぁ~。」

このような現象が起きるのもね、私達が、自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’を、経験/体験する他ないからなのかもしれないね。

もし、私達の意識が、1個人の肉体に限定されることなく、どこの場所にまでも、広がっていてね。
この世界で起きていることの全てを同時に知覚することが出来るならば、上記のような疑問も発生しないのかもしれない。
意識が肉体に限定されることなく、この世界の全てへと広がり、この世界で起きていることの全てを同時に知覚できるならば、他人(AさんやBさん)が、どこで何をしていようと、知覚し確認することができるから。

もし、私達の意識が、1個人の肉体に限定されることなく、他人の脳内にも入り込めていき、他人が経験/体験している人生をも体験/経験することが出来るならば、「ほら、やっぱり他人にも人生が実在しているじゃないか!」と確信をもって言うことができ、上記のような疑問も発生しないのかもしれない。

しかし私達は、自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’を、経験/体験する他ないために、自分の自我意識及び肉体から、離れた場所で起きている事柄や、他人の経験/体験については、経験/体験できないため、{他人の実在性}すら確認のしようがない側面もあるのかもしれない。終始一貫して、私達は自分の経験/体験しか出来ないから。意識が1個人の肉体の中に限定されている限り。


「えぇ?じゃあ、他人は実在していないの?」
君が今、「でも、私は確かに、今、実在しているよ!」と感じていて、自分は実在していると思うならば、他人も実在している、と言えそうだよね。本質的には、全てが同じ1つのようだから。

もしくは君が、自分は実在していないと捉えるならば、他人も実在していないのかもしれない。

ただ、どちらにしろ。
他人の実在性に関しては、確認のしようがない側面もあるのかもしれない。意識が1個人の肉体の中に限定されている限り。

実在性の確認のしようがない側面もある他人に対して、だよ。
羨んで思いをはせてみたり、他人と自分とを比較してみたり・・してもね、しかたない側面もあるのかもしれないね。

君は夢の中で「あっ、これは夢だ」と気がついたら、夢の中でまで「他人を羨む」や「他人と比較する」なんて、バカらしく思えてきて、やめることになるかもしれないね。
そして現実世界の中で「あ、これは現実だ」と気がついたら、現実世界の中でまで「他人を羨む」や「他人と比較する」なんて、バカらしく思えてきて、やめることになるかもしれないね。




君は、君の人生を経験/体験することになるだろう。

君は、自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’を、経験/体験する他ないだろう。

君が、どれだけ最高に楽しい人生を生きようが、どれほど苦しく辛い人生を生きようが、どう生きようと。どんな人生を生きることになろうと。
他人に対して、幸せアピールをしようが、不幸アピールをしようが・・他人達が経験/体験しているハズであると思われる「他人の‘人生経験/人生体験’」と、「自分の‘人生経験/人生体験’」とを、どんなに一生懸命に比べようが・・
君は、自分の自我意識と肉体が通過する範囲内の‘人生経験/人生体験’をすることになるだろう。


だからね、自分は、どうするか?自分は、どう生きるか?なんだ。
「他人がどれほど、羨ましい人生を経験しているか?」を想像してみたり検証してみたり、思いをはせてみたり・・ではなく、自分は、どうするか?自分は、どう生きるか?なのかもしれない。

羨ましく思える他人に意識をはせて「いいな~、それに比べ私は・・」と羨み落ち込もうが、

羨ましく思える他人に意識をはせて「もし、私が、あの幸せそうな有名人だったら・・」と他人達が経験/体験しているハズであると思われる「他人の‘人生経験/人生体験’」について想像しようが、

片思い中の異性に意識をはせて「彼女/彼は、今ごろ、きっと・・」と、気になる他人の経験/体験しているハズであろう「他人の‘人生経験/人生体験’」について想おうが、

自分がライバル視している他人に意識をはせて「あの人は今、おそらく・・」と、想おうが、

それらは、結局、自分の中で行われる空想にすぎないのかもしれない。

他人について、あれこれ空想をし続ける70年間の人生を生きようが、70歳時点の結論としては「結局、人はそれぞれ、自分の意識と肉体が通過する範囲内の経験/体験をする他、ないのだな。他人についての70年にも及ぶ空想も、結局、自分の脳内のみで展開されていることだったから」になるのかもしれない。


名無き君は、名無き君の人生を経験する他ないだろう。他人が、いかに羨ましく見えてもね。

君がいくら祭りに思いをはせようと、君が祭りに行かないのであれば、君の現実には祭りは実在しないことになり、君がいくら海外旅行に思いをはせようと、君が国内にいるならば、君は国内の経験/体験をすることになるだろう。

君が「あの人はきっと、こう考えていて、こう感じていて・・」などと他人に思いをはせようと、それも、君の脳内の中でのみ展開されることになるだろう。

そうなる理由は、私達の意識が1個人の肉体の中に限定されていて、自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’を、経験/体験する他ないからなのかもしれないね。


君の現実は、君の意識と肉体が通過する範囲内に限られるだろう。

だから君は、君の意識と肉体が通過する範囲内の経験をする他なく、君の意識と肉体が通過する範囲内の経験を大切にし・・君の意識と肉体が通過する範囲内の経験と、羨ましく思える他人が経験しているであろう経験とを、比較しないことが、幸せに生きるためには大切なことと、なるのかもしれない。

他人と比較しても、君は、君の意識と肉体が通過する経験をする他ないから。
他人と比較すると、相対性の罠にはまり込んでいくことになるから。
関連相対的世界で生きる意味とは?名言(「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ)


皆の‘人生経験/人生体験’も素晴らしいのかもしれない。
全ての他人は「大切な仲間」であるから、「大切な仲間」である皆の幸せを、心から祝福すると良さそうだよね。
関連人間関係とコミュニケーションの改善方法/名言(全ての他人が【大切な仲間】)


そして、君自身の自我意識と肉体がある場所の‘今’の経験/体験も・・君自身の‘人生経験/人生体験’も、素晴らしいものへとしていけると素敵だよね。

君が、君自身の自我意識と肉体がある場所の‘今’の経験/体験を素晴らしいものへとしていくことを・・君自身の‘人生経験/人生体験’を素晴らしいものへとしていくことを、ひっそりと願っているよ。



②他人と比較しない~自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理~
■「そうだよなぁ。うーん・・」
いつもの癖で、つい、羨ましく思える他人が、今頃、経験/体験しているであろうハズの「他人の‘人生経験/人生体験’」へと思いをはせていた私は、「どちらにしろ、なんにしろ。私は、私の自我意識と肉体がある場所の‘今’の経験/体験をする他ないであろう」と呟くことで、意識を、今ここへと、戻すよう努めてみたのでした。


そして、
本当は嫉妬心やらであまり出来なかったけど「大切な仲間」である皆の幸せを、心から祝福するよう努めつつ、自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’の経験/体験を素敵なものへとしていけるよう、部屋の中で1人、「ありがたいことだ。ありがとう!」と感謝の言葉を呟いてみたのでした。
関連ありがとう!感謝の魔法使いになる方法(私達は感謝の魔法使い)


・・立ち上がりベランダに出てみると、子供達がワクワクしながら笛の音が聞こえてくる方向へと自転車をこいでいる様子が視界に入ってきました。
「そういえば私も、子供の頃は自転車に乗って、友達達とお祭りに行っていたなぁ。」昔を思い出しながら、自転車をこぐ子供達を見ていた私は、「よし。仕事しよ、仕事。」と気持ちを切り替え部屋の中へと戻りました。

この‘今’の経験/体験が、‘人生経験/人生体験’が、素敵なものになっていくよう願いながら・・
関連人生/生き方わからないで迷う(私は自転車をこいだ)



~まとめ~
①自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理
→人生を生きていると他人(幸せそうな他人|イケメン/可愛い/美人の他人|お金持ちの他人|結婚した他人|妊娠した他人|出世した他人|芸能人のオーディションに受かった他人|成功した他人etc)が羨ましく思えることもあるかもしれない。

そのような時は、「人は人」「焦ってはいけない」「気にしないようにしよう」「前向きになろう」と努めるものの、「どうして私は・・はぁ。」と落ち込んだり、イライラしたり、自分を責めたり、時に羨ましく思える他人を憎んでしまったりもする場合があるかもしれない。

が、どちらにしろ、私達は、私達の経験/体験をする他ないのかもしれない。
人間は、自分の自我意識と肉体がある場所の‘今’の経験/体験をする他ないから。


②自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理
→「どちらにしろ、なんにしろ。私は、私の自我意識と肉体がある場所の‘今’の経験/体験をする他ないであろう」
そう認めることは、勇気がいるし、覚悟もいる。人生が個人的なものに限定されることをも意味することに繋がるから。

そのため認めずに「いいな~」「羨ましいな~」と羨ましく思える他人について、漠然と思いをはせている方が、目先は、楽かもしれない。

が、そう認めることにより、私達は{自分の人生に対する覚悟}が生まれ、「他人を羨む」「他人と比較する」などのために分散されていた意識やエネルギーが、【‘今’の経験/体験、‘人生経験/人生体験’を、素敵なものになっていくよう】にフォーカスされることになり、「他人を羨む」や「他人との比較」から自由になっていき、今、ココの体験が楽しい幸せな、素敵なものへとなっていきやすくなるのかもしれない。


③自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理
→意識が1個人の肉体に限定されている以上、人生は、ある意味、自己満足的にならざるをえない側面もあるのかもしれない。
たとえ人の目を気にしようと、幸せ自慢をしようと、不幸アピールをしようと・・。
関連自慢話をする人の心理(自慢話をして、人から好かれる人と嫌われる人の違い)


しかし、だからといって「じゃあ、とりあえず今、自分さえ良ければ良いんだ!」と生きると、原理原則の関係から、長期的には、自分の人生が行き詰まり詰んだ状態となり、自分自身が苦しむことにもなるのかもしれない。

そのため破滅原則{今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ}的にならぬよう気をつけ、繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}に根ざして生きていくことも、大切となるのかもしれない。→繁栄原則と破滅原則


④自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理
→他者の幸せのお役に立てるよう生きること。
{愛する対象}を他者へと広げていき他人のことをも愛し、他人を深く理解するために、深く感情移入しながら他人の話・・否、他人の魂に耳を傾けること。
万物を愛し、万物を大切にし、万物の幸せを願いながら生きること。

そうすることで、自己に限定されがちな意識や経験が、皆へと、全てへと広がっていき、他者はもちろん、自分自身も、そのことで幸せ度/幸福度が高まることになるのかもしれない。
本来、全てが同じ1つであるからだろうか。
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~自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理~
<writer 名無き仙人>


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バス男「自分の人生を生きる方法|他人が羨ましい心理・・かぁ。」

バス子「私達は自分の経験/体験しか出来ないのね~。」

仙人「{愛する対象}を他者へと広げていき、楽しい幸せな人生を生きていけると良いのぉ。」







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