■幸せになる方法/コツ/秘訣とは?幸せになれる魔法の言葉。幸運/幸せを呼ぶ言葉や習慣。恋愛/婚活/結婚生活/仕事
~幸せになる魔法の言葉~
バス男「ふむ。今週のTV番組は・・」
バス子「ちょっとバス男さん、昼間っから雑誌を読んでいないで、幸せになれるよう頑張ったらどう?」
バス男「バス子ちゃ~ん。この世界には不幸が満ち満ちていてね、だから焦って頑張っても無駄なの。わかる?」
バス子「もうっ。バス男さんは仙人の【幸せになる魔法の言葉】の話、聞いていないの?」
バス男「仙人様の【~本当に幸せになってしまうことを自分自身に許可する方法~幸せになる魔法の言葉】の話?」
バス子「うん。仙人が言うにはね・・」
~本当に幸せになってしまうことを、自分自身に許可する方法~
1.幸せになる魔法の言葉
①幸せな人を見ると腹立たしい心理
■「好きな仕事をさせて頂けているんだ。ありがたいことだよね。」
そう笑顔で仰るAさんに対して、「そうなんですね。良いですね。」と作り笑顔で答えていた私は、Aさんと別れた後。
「好きなことを仕事にしている?いい歳して、なに考えているんだ!?甘すぎだよ。」
腹立たしさにイライラしながら、自宅へと帰っていたのでした。
「それに、好きな仕事を楽しみながら、人生を自由に生きるなんて自己中すぎるよ。」
私なんて社会人になってからは、自己犠牲のもと、世の場末にて嫌々働いてきていて、今も、世の場末の自宅にて1人こもり、朝から晩まで、ひたすら生産活動をしていて・・
仕事も、人生も、自由に好きなことをして楽しまれているAさんに対して、腹立たしさを強く感じて、心の中でAさんのことを「自分勝手すぎる。Aさんは、なんて自己中心的なんだ!」「苦労しらずの甘ちゃんめ!」と批判しながら、イライラ・イライラしていたのでした。
「ったく。本当、自分勝手だよな。Aさんみたいな、自己中な人間だけにはなるまい!」
そう、強く心の中で思った時。
学生時代の記憶がフラッシュバックされたのでした。
②他者批判と幸せ~幸せになる魔法の言葉~
■「じゃあ、僕が△△の役をするよ。」
クラス内で文化祭劇の役決めをしていた時。
私は、本当は内心、■■の役をやりたい!と思っていたのでした。
しかし、教壇に立つクラス委員長が「■■の役をやりたい人、いますか~?」と聞いた時に、B君が「はい!はい!はーい!」と真っ先に手を上げ・・その光景を目にした私は、反射的に上げかけた手を引っ込めてしまったのでした。
それは「■■の役は、名無きよりB君の方が、適しているよ!」とクラスの皆が言いそうに思えたからでもありましたし、B君のやる気に圧倒されたからでもありましたし、B君と争いたくなかったからでもありました。
■■の役がB君に決まった後、次から次へと、役決めが決まっていく中で。
△△の地味な役だけは、誰も手をあげずに、なかなか決まらないのでした。
「じゃあ、僕が△△の役をするよ。」
私がそう手をあげると、委員長は「では、△△の役は名無き君で良いですか?」とクラスの皆を見渡しました。
誰も、なにも言わず・・副委員長が黒板の△△の役の下に、私の名前を書いていきました。
・・私は、本当は内心、■■の役をやりたい!と思っていたのでした。
しかし、悔しいことに■■の役をすることは出来なくなったのでした。
本当はやりたかった■■の役を出来なくなった私は深層心理レベルにて、「誰もやりたがらない△△の役を引き受ける私は偉い人だ」とも思い、「じゃあ、僕が△△の役をするよ。」と言うことになったようでもありました。
私は{クラスのために嫌々△△の役を引き受ける‘偉い人’}になることで、■■の役を出来なくなり傷ついた自尊心を守ろうとしていたのでした。
「私の犠牲のお陰で、このクラスは円滑に文化祭劇の役決めが行われたのだ。」
強い強い自己犠牲の感情を感じながらも、心のどこかで「クラスのために自己犠牲を行った自分が1番偉いんだ!自分が1番正しいんだ!」とも自己肯定を頑張りながら・・
私は内心、自由に、好きなことを素直に求め■■の役となったB君のことを、「B君は、なんて自己中心的な、自分勝手な人なんだ!最低な人だな。僕を少しは見習えよ!」と批判し続けていたのでした。
そして強く、「B君みたいな、自己中な人間だけにはなるまい!」と心の中で思ったのでした。
「そういえば・・」
文化祭劇の役決めの時に強く思った「B君みたいな、自己中な人間だけにはなるまい!」を、思い出し・・
私は少し、自分自身の深層心理にあると思われた{傾向/パターン}に、違和感や疑問をも、感じることになったのでした。
私の深層心理には、いったい、何がある?
どうして私は、自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求めずに、いつも{可愛そうな被害者}となって、強い強い自己犠牲の感情を感じながらイライラすることになっている?
④人生が窮屈になる理由~幸せになる魔法の言葉~
■いつの頃からか。
私は、自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求めることが、出来なくなっていて・・
そしてだからでしょうか。
自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求めている人を見れば、腹立たしくなってきて、心の中で「あの人は、自分の好きなことを自由にしていて・・なんて自己中心的な人なんだ!最低な人だな。あの人みたいな自己中心的な人だけには、なるまい!」と批判してしまっているようでした。
そして、自分がそう、自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求め、自由に人生を楽しんでいる人を見れば批判しているから。
自分がそうだから、「きっと他の人も、自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求め、自由に人生を楽しんでいる人を見れば批判する(ハズだ!)」といつしか思い込むようになっていて・・
だからこそ「もし、私が自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求め、自由に人生を楽しみ始めたら、周りの人達から批判される(ハズだ!)」とも思うようになっていて。
そのため、私は周りの人達から批判されるのが恐くて、自分の好きな{もの/人/仕事/やりたいことetc}を自由に求めることなど、到底、出来ない状態に陥っているようにも思われたのでした。
★幸せになる魔法の言葉★
~好きなことを自由に行っている人を批判していると、己の{批判する}という行動によって、己の世界観が負の世界観になっていき、自分は好きなことを自由に出来なくなっていく~
また、私は、人生で好きなことをしながら、楽しみながら自由に生きている人を見ては「あの人は、自分の好きなことを自由にしていて・・なんて自己中心的な人なんだ!最低な人だな。あの人みたいな自己中心的な人だけには、なるまい!」と批判してきているから。
自分の言葉と、自分の行動の、つじつまを合わせるために、自分は、好きなことを自由にすることが出来ずにいるようにも思えたのでした。
もし、私が、人生で好きなことをしながら、楽しみながら自由に生きようとするれば、「あれ?自分はこの前、人生で好きなことをしながら、楽しみながら自由に生きている人を見て批判していたよね?それなのに自分は・・。自分は言動が一致しない信用ならぬ人ですね。」という自分自身から発せられる声が、私の頭の中で聞こえてきて。
そのため、自由に好きなことを求めている人を見ては批判し続けている私には到底、好きなことを自由にすることなど、出来そうにもないように、思えたのでした。
・・そうこう考えていると、どうも私には、自らの行いにより、自分自身を{不幸せ/苦しみ/不自由}へと縛り付けているところが、あるようにも思えてきたのでした。
私には、好きなことをして幸せそうに生きている人を見ては腹立たしくなってきて、「ふん。苦労しらずの甘ちゃんめ!」と、幸せそうな人を批判してしまうところがあるのでした。
そして、そう幸せそうな人を批判するから。
もし、私が好きなことをして幸せになろうとすると「あれ?自分はこの前、幸せそうな人を見て「ふん。苦労しらずの甘ちゃんめ!」と批判していたよね?それなのに自分は・・。自分は言動が一致しない信用ならぬ人ですね。」という自分自身から発せられる声が、私の頭の中で聞こえてきて。
そのため私は、つじつまを合わせるために無意識レベルで、あえて{不幸せ}な状況に、自分自身を置こうとしてしまっている・・そういった傾向も、あるようにも思えてきたのでした。
★幸せになる魔法の言葉★
~好きなことをして幸せに生きている人を批判すると、言動のつじつまを合わせるために、自分は好きなことが出来なくなる~
私には、楽しい人生を生きている人を見ては腹立たしくなってきて、「楽しいばかりじゃ、駄目だろうが!?人生、甘くないんだよ!どうせ、いつかこの人も、苦しみを味わうことになるんだ!」と、楽しそうな生き方をしている人を批判してしまうところがあるのでした。
そして、そう楽しい人生を生きている人を批判するから。
もし、私が楽しい人生を生きようとすると「あれ?自分はこの前、楽しそうな人を見て「楽しいばかりじゃ、駄目だろうが!?人生、甘くないんだよ!どうせ、いつかこの人も、苦しみを味わうことになるんだ!」と批判していたよね?それなのに自分は・・。自分は言動が一致しない信用ならぬ人ですね。」という自分自身から発せられる声が、私の頭の中で聞こえてきて。
そのため私は、無意識レベルで、あえて{苦しみ/苦労}を引き寄せ、自分自身を{苦しみ/苦労}の状況に置こうとしている・・そういった傾向も、あるようにも思えてきたのでした。
★幸せになる魔法の言葉★
~楽しい人生を生きている人を批判すると、言動のつじつまを合わせるために、自分は人生を楽しめなくなる~
私には、自由な人生を生きている人を見ては腹立たしくなってきて、「自由に生きるなんて・・なんて自分勝手で自己中な人なんだ!こんな、自己中な人間だけにはなるまい!」と、自由な生き方をしている人を批判してしまうところがあるのでした。
そして、そう自由な人生を生きている人を批判するから。
もし、私が自由な人生を生きようとすると「あれ?自分はこの前、自由な人を見て「自由に生きるなんて・・なんて自分勝手で自己中な人なんだ!こんな、自己中な人間だけにはなるまい!」と批判していたよね?それなのに自分は・・。自分は言動が一致しない信用ならぬ人ですね。」という自分自身から発せられる声が、私の頭の中で聞こえてきて。
そのため私は、無意識レベルで、あえて{不自由}な状況に、自分自身を置こうとしてしまっている・・そういった傾向も、あるようにも思えてきたのでした。
★幸せになる魔法の言葉★
~自由な生き方をしている人を批判すると、言動のつじつまを合わせるために、自分は人生を自由に生きていけなくなる~
私は{幸せそうな人を批判する/楽しく生きている人を批判する/自由に生きている人を批判する}という自らの行いにより、自分自身を{不幸せ/苦しみ/不自由}な人生へと縛り付けているようにも、思えたのでした。
このことは、{幸せそうな人/楽しく生きている人/自由に生きている人}を見ては批判する!・・という己の行いを改めない限り、自分自身は、幸せにも自由にも、なれないであろうし、{不幸せ/苦しみ/不自由}であり続けることになる、そういったことをも、意味しているようにも思われたのでした。
・・どうして私は、{幸せそうな人/楽しく生きている人/自由に生きている人}を見ては批判してしまうように、なってしまったのだろう?
なぜ私は、楽しい幸せな人生を自由に生きている人のことを、批判してしまうように、なってしまっているのだろう?
【楽しい幸せな人生を自由に生きること】を、なぜ私は、心の奥底で「そんな生き方は、自己中心的な、悪い生き方だ!」と思い込んでしまうことに、なっているのだろう?
⑤自己中心的の意味~幸せになる魔法の言葉~
■人は、自分のして欲しいことをしてくれない他者に対して、「あの人は自己中だ!」と批判する・・そういった傾向も、あるのかもしれません。
私は、クラス内で文化祭劇の役決めをしていた時。
自分のして欲しいこと・・・つまり、「△△の役に、私以外の者は立候補するな!」を、してくれなかったB君に対して、「B君は自己中だ!」と批判していたのでした。
B君は、ただ素直に、自分の望む役に対して手を上げただけ・・なのかもしれません。
私とB君とでは、どっちが、自己中心的な人なのでしょうか。
★幸せになる魔法の言葉★
~人は、自分のして欲しいことをしてくれない他者に対して、「あの人は自己中だ!」と批判する~
Aさんは、好きな仕事をさせて頂けている現状に感謝をされていました。
私は、自分のして欲しいこと・・・つまり、「貴方も、私のように苦労して苦しめよ!」を、してくれない幸せなAさんに対して、「Aさんは自己中だ!」と批判していたのでした。
Aさんは、ただ素直に、自分の望む仕事に就き、好きな仕事をさせて頂けている現状に感謝をしているだけ・・なのかもしれません。
私とAさんとでは、どっちが、自己中心的な人なのでしょうか。
<人は、自分のして欲しいことをしてくれない他者に対して、「あの人は自己中だ!」と批判する>
→私達は、自分が幸せになりたいから、自分の幸せのために、他者に対して「貴方は、××をしてよね!(そしたら私が幸せになれるから♪)」と、直接的もしくは巧みに相手にわからぬよう、望み仕向けることがあるのかもしれません。
親は子供に対して「貴方は、××をしてよね!(そしたら私が幸せになれるから♪)」と言うこともあるのかもしれません。
恋人は、パートナーに対して「貴方は、××をしてよね!(そしたら私が幸せになれるから♪)」と言う場合もあるのかもしれません。
友達同士でも、相手に対して「君は、××をしてよね!(そしたら私が幸せになれるから♪)」と望む場合があるのかもしれません。
社会や世の中全体も、「貴方は、××をしてよね!(そしたら私達が幸せになれるから♪)」と望んでくることもあるのかもしれません。
そういった、他者からの「貴方は、××をしてよね!(そしたら私が幸せになれるから♪)」という要求を無視して、自分の好きなこと、自分が望むこと、を自由に行えば。
私達は、他者から「貴方は、自己中な人なのですね!最低人間ですね。幻滅しました。」と言われることになる場合もあるのかもしれません。
人は、自分のして欲しいことをしてくれない他者に対して、「あの人は自己中だ!」と批判する傾向もあるようだからです。
つまり。
他者たちが、自分に対して望んでくる人生を生きなければ、私達は、他者達より、「貴方は、自己中な人なのですね!最低人間ですね。幻滅しました。」と批判されてしまう場合もあるのかもしれません。
言い換えると。
他者たちが自分に対して望んでくる人生を、生きていくことを諦め、<自分が自分に望む人生>を、楽しみながら自由に生きていこうとすると、私達は、他者達より、「貴方は、自己中な人なのですね!最低人間ですね。幻滅しました。」と批判されてしまう場合もあるのかもしれません。
~{他人が自分に望んでくる人生}ではなく{自分が自分に望む人生}を生きようとするだけ・・であっても、他者からは(理不尽に)批判される場合もあるのかもしれない~
では、どちらが自己中な人なのでしょうか?
<自分が自分に望む人生>を、楽しみながら自由に生きているAさんと。
Aさんを見ては、自分のして欲しいこと・・・つまり、「貴方も、私のように苦労して苦しみなさいよ!」を、してくれないAさんを見ては「Aさんは自己中だ!最低だ!」と批判している私と・・では、どちらが自己中心的なのでしょうか。
皆が言いたい放題、望みたい放題、好き勝手に言ってきて望んできます。
すべての人の期待に応えることは不可能です。
親は「右に行って欲しい。」と言います
恋人は「左に行って欲しい。」と言ってきます。
友人達は「斜め左に行くべきだ!」と望んできます。
会社の上司は「いいや、そこに留まるべきだ。」と望んできます。
社会や世の中全体は「貴方は斜め右に行くべきです。」と望んできます。
一体、どうすれば良いのでしょう?
右に行けば、親は納得するでしょう。しかし、恋人等、他の人が批判してきます。
左に行けば、恋人は納得するでしょう。しかし、親等、他の人が批判してきます。
なにをしても、どんな選択をしても、必ずや誰から批判されます。
人は、自分のして欲しいことをしてくれない他者に対して、「あの人は自己中だ!」と批判する傾向があるようだからです。
こんな世の中において、
「残り数十年の余生・・
批判してくる批判先生のお相手をすることもなく・・
誰にも、なにも言い訳をすることもなく・・
誰かに認められたいからでもなく・・
残り数十年の余生、自分が「良かれ!」と思う生き方/生き様をし、幸せに生きていくだけ。」
と、覚悟を決め、幸せに生きていくだけ。
自分の意見が「真直ぐ進みたい!」ならば、誰に言い訳するでもなく、誰かに認められたいがためでもなく、ただただ、淡々と真直ぐ進む。
真直ぐ進むことで、批判されるかもしれません。
他人様方は、他人様方が望む方向に進んでくれない人のことを「あの人は自己中だ!」と批判してくるから。
そして、そのような批判してくる批判先生のお相手をすることなく、自分は、<自分が自分に望む人生>を、楽しみながら自由に生きて・・・幸せでいることにより、自然と周りの人達に対して、{幸せ/笑顔/感謝/喜び}のおっそわけしていく。
もう、言い訳は必要ないんだ!
もう、周りの人達との相対的な関係性に縛られる必要はないんだ!→相対的世界で生きる意味とは?名言(「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ)
もう、今後の残り数十年の余生に関しては、【楽しい幸せな人生を自由に生きること】を選択しても悪くないんだ。
幸せな人生を、
幸せに包まれた人生を、感謝しながら生きていく・・それで、良いのかもしれない。それでも、悪くはないのかもしれない。
⑤幸せになることを許可する~幸せになる魔法の言葉~
■自宅への帰り道、いろいろなことを考えていると。
大きな旅行バックをもち、地図を見ながらも、楽しそうに歩いているカップルが視界に入ってきたのでした。
時間帯からして、宿泊先のホテルか、旅館でも、探しているよう思われました。
「いいよなー、自由に旅行できる幸せな人達はっ!」
ラブラブに見えた、旅行中のカップルに対し、そう腹を立てた瞬間。
無意識的に行われていた思考に気がつき、はっとして、「違う違う!繁栄原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}が大切なんだ。」と自分に言い聞かせ・・
本当は羨ましくて腹立たしかったけれど、「彼/彼女らの幸せが続きますように♪」と思うよう、自分になりに努めてみたのでした。
私には、{幸せそうな人/楽しく生きている人/自由に生きている人}を批判する!という自らの行いにより、自分自身を{不幸せ/苦しみ/不自由}へと縛り付けているところが、あるようなのでした。
だからこそ、今度は{幸せそうな人/楽しく生きている人/自由に生きている人}を、心から祝福することによって。
自分自身を{不幸せ/苦しみ/不自由}へと縛り付けている鎖・・・それは、己の心の中に存在する鎖・・から、自由にしてあげれるよう、自分になりに努め始めてもいるのでした。まだまだ、実践できずにいるのですが・・。
幸せそうな人を見ては、批判する。
それは、自分自身に「(言動のつじつまを合わせるために)自分は幸せになってはいけないんだ!」と言い聞かすことに、繋がるのかもしれない。
一方、幸せそうな人を見て、批判するのではなく、心から祝福することは。
自分自身に「自分も、幸せになって良いんだよ」と許可することにも、繋がるのだと思う。
好きなことをしている人を見ては、批判する。
それは、自分自身に「(言動のつじつまを合わせるために)自分は好きなことをしてはいけないんだ!」と言い聞かすことに、繋がるのかもしれない。
一方、好きなことをしている人を見て、批判するのではなく、心から祝福することは。
自分自身に「自分も、好きなことをして良いんだよ」と許可することにも、繋がるのだと思う。
自由に生きている人を見ては、批判する。
それは、自分自身に「(言動のつじつまを合わせるために)自分は自由になってはいけないんだ!」と言い聞かすことに、繋がるのかもしれない。
一方で、自由に生きている人を見て、批判するのではなく、心から祝福することは。
自分自身に「自分も、自由に生きて良いんだよ」と許可することにも、繋がるのだと思う。
私は、楽しい幸せそうな人生を、自由に生きている人を見ては腹立たしくなってきて、批判した後に、「○○みたいな、自己中な人間だけにはなるまい!」と、誓ってきていて。
その誓いが、未だに、自分を{不幸せ/苦しみ/不自由}へと縛り付けているようにも、思えてきていて・・
この【自分を{不幸せ/苦しみ/不自由}へと縛り付けている‘鎖’】から、自分自身を解放してあげるためには、幸せそうな他者を批判するのではなく、幸せそうな他者を心から祝福する必要があるようにも、思え始めていて、
旅行中のカップルに対し、「彼/彼女らの幸せが続きますように♪」と思うよう、自分になりに努めてみたのでした。
<他者の幸せを心から願う>
相手の幸せを願うことは、他者のためにもなるだろうし、それはきっと、自分自身のことをも、救うことに繋がるのだと思う。
「彼/彼女らの幸せが続きますように♪」と願い、幸せそうなカップルを見て微笑むことは、それはきっと、自分自身に「自分も、(あの幸せそうなカップルのように)幸せになって良いんだよ♪」と、{幸せになること}を許可することに繋がるのだと思う。
★幸せを許可する方法★
~「彼/彼女らの幸せが続きますように♪」・・・幸せになる魔法の言葉とは、他者の幸せを願う言葉。 他者の幸せを願うことは{幸せになること}を自分自身に許可する効力ももつ。~
旅行中と思われたカップルに対して、「彼/彼女らの幸せが続きますように♪」と願い微笑むよう努めていると。
いつの間にか、慈しみ深い目で、視界に入ってくる‘この世界’を眺め始めていて・・
すると、視界に入ってくる並木や、ビルや車、それに歩道を歩いている他者達が、【全て、自分の大切な仲間】のようにも思えてきて、大切な仲間だからこそ、皆に幸せになってもらいたく、思えてきて・・
「皆の幸せが続きますように♪」
特段、何か良いことがあったわけでもないのに、私の心の中は、優しい満たされた気持ちとなっていて、そのことが少し不思議でもあり、また心地良くもあったのでした・・。
~まとめ 幸せになる魔法の言葉~
①幸せそうに見える他者を批判することは、「私は幸せそうな人を批判しているのだから、自分が幸せになってはいけないよね!」と、自分自身を不幸せに縛り付けてしまうことに繋がるのかもしれない。
一方、幸せそうに見える他者を心から祝福することは「私も、あの幸せそうな人のように、幸せになっても良いんだよ」と、自分自身に対して{幸せになること}を許可することに繋がるのかもしれない。
②「私の犠牲のお陰で、○○は成り立っているのだ!」そう、被害者意識/自己犠牲の意識をもつことは。
自分自身を、{犠牲者の立場/不幸せな立場}に追いやることに繋がり、1度、自分自身を{犠牲者の立場/不幸せな立場}に追いやれば、その後は、立場のつじつま合わせのために、自ら不幸を招き寄せてしまうことに、なる場合もあるのかもしれない。
{犠牲者の立場/不幸せな立場}から抜け出すためには。
自己責任の覚悟(自分で選択をしたのだ!)をもち、幸せそうに見える他者を、心から祝福するよう努めてみるのも1つの方法なのかもしれない。
③人は、自分のして欲しいことをしてくれない他者に対して、「あの人は自己中だ!」と批判する。
自分のして欲しいこと・・・つまり、「貴方も、私のように苦労して苦しみなさいよ!」を、してくれない、幸せそうな人を見ては「あの人は自己中だ!最低だ!」と批判していると。
言動のつじつま合わせのために、自分は、ずっと{不幸せ}な立場/状況に、自ら追いやられていくことになるのかもしれない。
己の{批判する}という言動によって、{不幸せ}な立場/状況に追いやられている場合。
{不幸せ}な立場/状況から抜け出すためには、幸せそうな人を見たときに「彼/彼女らの幸せが続きますように♪」と願うことも、1つの方法なのかもしれない。
~幸せになる魔法の言葉/幸せになることを許してあげる方法~
<writer 名無き仙人>
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バス男「{幸せそうに見える他者を批判することは自分自身を不幸せに縛り付けてしまうことに繋がる}か。」
バス子「自分の幸せと、他人の幸せの、両方を願ってあげることが大切なのかもしれないわね。」
仙人「皆の幸せが続くと良いのぉ。」
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