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自己責任と責任転嫁が人生に与える影響

■自己責任と責任転嫁が人生に与える影響/自己責任と責任転嫁の意味とは?恋愛/婚活/結婚/仕事/経済/人間関係


自己責任と責任転嫁が人生に与える影響


バス男「ふーむ。今週のTV番組は・・」

バス子「ちょっとバス男さん。人生を、より良いものへとしていけるよう、もっと頑張ったらどう?」

バス男「バス子ちゃ~ん。僕の人生がつまらないのは、僕のせいではなく、親や社会のせいだから。だから、僕が努力しても無意味なんだよ。バス子ちゃんも、そう肩に力を入れて力むことなく、もっと自然体でいなさい。僕のように心を静めて、読書でもしなさい。」

バス子「なっ!?バス男さんに言われたくない!(`ε´)ぶーぶー バス男さんこそ、仙人の【自己責任と責任転嫁が人生に与える影響】の話を、聞いてみたらどう?」

バス男「仙人様の【自己責任と責任転嫁が人生に与える影響~君の人生の全責任は、君にある?~】の話?」

バス子「うん。仙人が言うにね・・」







~名無き君。君の人生の全責任は、君にあるからね~

1.自己責任と責任転嫁が人生に与える影響

①自己責任と仕事/職場

■「名無き君。この仕事の責任は、君にあるからね。」

バイト先での朝のミーティングにて。
向かいに立つ上司の上司は、私の目をじっと見ながら、そう、おっしゃったのでした。

私は反射的に「は、はい!」と返事をしました。
隣をチラ見すると、上司は目線を下げたまま、手に持った資料を見ていたのでした。

「上司も助けてくれない??」
それまでは、私の仕事であっても、仕事の責任は全て、上司にあったのでした。
私がアルバイトだったからでしょうか。
それが、上司の上司/上司/私の間での、暗黙の了解だったのでした。

しかし今回から、どうも本気で、私の仕事の責任は、私自身が引き受けなければ、ならないようなのでした。


「最悪。めんどくさ~(ノ_-;)ハア…」
ミーティングが終わった後、自分の仕事に対して責任をもたされることになったことを「めんどくさい」と感じつつ、私に仕事の責任をなすりつけてくる上司の上司や上司に対して、「酷い人達だ!」と感じていたのでした。


その後。
嫌々ながら、責任を引き受けつつ、仕事に取り組むことになったのでした。
自分の仕事の責任を、自分で引き受け始めるのは大変なことでもありました。

それまで、私は心の中で「まぁ。なにかあっても、最終的には、上司がなんとかしてくれるよ。どうなろうと、上司の責任だし。」と考え、気楽に仕事をしていた面もあったのでした。


・・それまで、自分に責任がない分、最終的に責任をもつことになる上司の指示を「はい!」と聞かざるを得ず・・上司の(時に理不尽とも思える)指示に対しても、全て「はい!」と従うことはストレスでもありましたが、それでも、自ら、その状態に甘んじているところがあったのでした。

<上司の(時に理不尽とも思える)指示に対しても、全て「はい!」と従うことはストレスでもあるが、その状態に甘んじていた>
その理由は、たとえ‘それ’がストレスであっても、それ以上に、責任を引き受けることが嫌だったからなのでした。


しかしもう、自分で責任を引き受けるしかない・・。
「最悪。めんどくさ~(ノ_-;)ハア…」と思いつつも、その後は、それまで以上に、能動的に仕事に取り組むことになったのでした。
責任を引き受けた以上、逃げるわけには、いかないからでもありました・・。



②人生の責任は誰にある?~自己責任と責任転嫁が人生に与える影響~
■「人にきちんと責任をとらせることは、その人を見下すことにはならない。逆にその人の主体性を肯定することになる・・か。」

人生を変える本(7つの習慣―成功には原則があった! )を読んでいると、「人にきちんと責任をとらせることは、その人を見下すことにはならない。逆にその人の主体性を肯定することになる」という文があり、朝のミーティングにて、上司の上司から「名無き君。この仕事の責任は、君にあるからね。」と言われた時のことを思い出していたのでした。


私達が人生を生きていると、2種類のメッセージを耳にする機会があるのかもしれません。
すなわち、「責任は、君にはないよ」というメッセージと、「責任は、君にあるからね」というメッセージを、耳にする機会があるのかもしれない・・。


「責任は、君にはない」
→このメッセージの裏には「君は、自分では何もできない無能者であるから、君には責任はないのだよ」という意味が秘められている場合も、あるのかもしれません。

そのため、「責任は、自分にはない!」「悪いのは、私ではない。相手だ!」と、人生の責任を自分でとらずに、いつも責任転嫁ばかりをする場合。

自分自身に対して「私は、自分では何もできない無能者であるから、私には責任はないのだ!」と、言っているような、ものでもあるのかもしれません。

だからこそ。
「責任は、自分にはない!」「悪いのは、私ではない。相手だ!」と責任転嫁ばかりをする場合。
いつも自分自身に対して「私は、自分では何もできない無能者であるから、私には責任はないのだ!」と言い続けるわけでもあるため、責任転嫁をすればするほど、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、それに{自分に対する自信}を、失っていくことになるのかもしれません。


~「自分には責任はない!」と責任逃れをする毎に、実は、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、それに{自分に対する自信}を、失っていっている~


「責任は、君にはないよ(^_^) 悪いのは、Aさんだよね。」
「君には、責任はない(^_^) 悪いのは、{両親/社会/会社/恋人etc}だよね。」

こういった言葉は、一見、優しいように思えるのですが。
実は、そのメッセージの裏には「君は、自分では何もできない無能者であるから、君には責任はないのだよ」という意味が秘められており、だからこそ、こういった甘い言葉を受け入れ、「やったー。私には責任がないんだ~♪やっぱり、悪いのは○○さんなんだよ。」と責任転嫁をすれするほど。責任逃れをすればするほど。

その裏で、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、それに{自分に対する自信}を、失っていっているのかもしれません。

そして、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}を、失っていけばいくほど。
自分の力で、自分の人生をハッピー♪にしていくことが出来なくなるため、自分の人生の幸・不幸の鍵を握っている{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}に、より依存することになり・・

依存すればするほど、自分が幸せになりたいからこそ、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}に対する期待や要求が強まっていき・・

でも、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}は、自分の期待や要求に応えてくれないこともあるため、「どうして、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}は、私の幸せのために~~をしてくれないの!?」と自分はストレスを溜めていき・・

その結果、「私の人生が不幸な原因は、私にはない。不幸なのは{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}のせいだ!」と、さらに責任転嫁をすることになり・・

責任転嫁をすることは「私は、自分では何もできない無能者であるから、私には責任はないのだ!」と、自分に言い聞かせているような、ものでもあり・・

「自分には責任はない!」と責任逃れをする毎に、実は、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}を、失っていくわけでもあるため、自分はもっともっと、自分の人生に対する力・影響力を失っていき・・

最終的には、自分ではなにもできない、深い深い依存状態な人へと、なってしまう場合もあるのかもしれません。


・・私は。
私は、自分の人生が不幸な理由を「親のせいだ!(家系のせいだ!)」と、思っていたのでした。
自分にはどうも、自分の生まれ育った家庭/家系が、苦労多き、苦労を引き寄せる家庭/家系に思えており・・だからこそ「私の人生が不幸な原因は、私にはない。不幸なのは{両親/家庭/家系}のせいだ!」と、責任転嫁をしていたのでした。

また同時に、私は自分の人生が不幸な理由を「社会のせいだ!」と、思っていたのでした。
自分にはどうも、社会の仕組みが不公平で、そのことが自分の不幸の原因に思えており・・だからこそ「私の人生が不幸な原因は、私にはない。不幸なのは、この社会のせいだ!」と、責任転嫁をしていたのでした。

そして、責任転嫁をすることは「私は、自分では何もできない無能者であるから、私には責任はないのだ!」と、自分に言い聞かせているような、ものでもあり・・

「自分には責任はない!」と責任逃れをする毎に、実は、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}を、失っていくわけでもあるため、自分はもっと、自分の人生に対する力・影響力を失っていき・・

最終的には、自分ではなにもできない、深い深い依存状態な人間へと、なっていき・・その結果、毎日が辛く、イライラするばかりの人生へと落ちていったのでした。

毎日が嫌で、苦しくて・・でも、責任転嫁ばかりをしていたため、その{嫌な現状}を変えていくだけの力も、私の手の中にはなくて・・

「最悪!~~のせいで、こんなにも苦しい人生を生きることになっている!」と嘆きながら、もがき、苦しんでいたのでした。


~「責任逃れ」という罠にひっかかったせいで、自分の人生に対する力・影響力を失い、深い依存状態となり、自らが苦しむことになった~


そういった苦しい状況から、なんとか抜け出そうと努めていた頃。
朝のミーティングにて上司の上司は、私に対して「名無き君。この仕事の責任は、君にあるからね。」と仰ったのでした。


「名無き君。この仕事の責任は、君にあるからね。」
→そのメッセージの裏には「君には、この仕事を成し遂げるだけの能力があるし、君はちゃんと、自分で責任をとれる人なのだから、君に、この仕事の全責任があるのだよ。」という意味が、秘められていたのかもしれません。


上司の上司は、私のことを、、、依存状態にある私のことを、「名無き君。君には、責任はないからね(^_^)」などと、見下したりしなかったのでした。

愛深い賢者であり、他者の人間性/人格を尊重される上司の上司は、私に対してすらも、「名無き君。君には、責任はないからね(^_^)<名無き君は、自分では何もできない無能者であるから、名無き君には責任はないのだよ>」などと、見下す発言をされなかったのでした。


~上司の上司は、「名無き君。君には、責任はないからね(^_^)」などと、私のことを見下したりしなかった~


上司の上司は、私のことを、尊重してくれたからこそ、「名無き君。この仕事の責任は、君にあるからね。」と仰ってくださったのでした。
上司の上司は、私のことを、{君はちゃんと、自分で責任をとれる人なのだから}と信じてくれたから、「名無き君。この仕事の責任は、君にあるからね。」と仰ってくださったのでした。

そして私は、嫌々ながらも、責任を引き受けたのでした。
責任を引き受けることは、自分自身に対して「私には、この仕事を成し遂げるだけの能力も、きちんとした責任感もあるのだから、この仕事は私の責任なのだ!」と、言っているような、ものでもあったようなのでした。

だからこそ。
「全責任は、私にある!」と責任を引き受ける場合。
いつも自分自身に対して「私には、これを成し遂げるだけの能力も、きちんとした責任感もあるのだから、これは私の責任なのだ!」と言い続けるわけでもあるため、責任を引き受ければ引き受けるほど、{自分で成し遂げていく力}や{自分自身に対する自信}を、手にしていくことになるのかもしれません。


~「全責任は、私にある!」と責任を引き受ける毎に、実は、{自分で成し遂げていく力}や{自分自身に対する自信}を、手にしていっている~


私は、駄目な私のことを見下すことなく、信じて下さった上司の上司による、<責任を引き受けることにより{自分で成し遂げていく力}や{自分自身に対する自信}を取り戻していく【リハビリプログラム】>のお陰もあり。
「責任逃れ」という罠にひっかかったせいで、自分の人生に対する力・影響力を失い、深い依存状態となっていた状況から、少しづつ抜け出していくことになるのでした。



③人生を主体的に生きる方法とは?~自己責任と責任転嫁が人生に与える影響~
「名無き君。君の人生の全責任は、君にあるからね。」
→そのメッセージの裏には「君には、自分で自分の人生を切り開いていける能力があるのだから、君に、人生の全責任があるのだよ」という意味が秘められているのかもしれません。

そして、「私の人生の全責任は、私にある!」と、己の人生の全責任を引き受ける場合。
それは自分自身に対して「私には、自分で人生を切り開いていくだけの能力も、人生の責任をとる責任感もあるのだから、私の人生の全責任は、私にあるのだ!」と言い続けるわけでもあるため、責任を引き受ければ引き受けるほど、{自分で人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、それに{自分自身に対する自信}を、手にしていくことになるのかもしれません。


~「私の人生の全責任は、私にある!」と責任を引き受ける毎に、実は、{自分で成し遂げていく力}や{自分自身に対する自信}を、手にしていっている~


「悪いのは、Aさんなのかもしれない。でも、君の人生の全責任は、君にあるのだよ。」
「悪いのは、{両親/政治家/会社/恋人etc}だよね。しかし、君の人生の全責任は、君にあるのだよ。」

こういった言葉は、一見、厳しいように思えるのですが。
実は、そのメッセージの裏には「君には、自分で自分の人生を切り開いていける能力があるのだから、君に、人生の全責任があるのだよ。」という意味が秘められており、だからこそ、こういった‘厳しい’自己責任に関する考え方を受け入れ、「私の人生の全責任は、私にある!」と、自分で人生の責任をもとうとすれば、するほど。

その裏で、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、{自分自身に対する自信}を、手にしていくことになるのかもしれません。

そして、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、{自分自身に対する自信}を、手にしていけばいくほど。
自分の力で、自分の人生をハッピー♪にしていくことが可能となり、自分の人生の幸・不幸の鍵を握っているのは自分自身となっていくため、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}に、己の幸せを過度/過剰なほどには依存することがなくなり・・

過度/過剰なほどには依存しないからこそ、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}に対する期待や要求が少なくなっていき・・

期待や要求が少ないからこそ、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}に満足できることが増えていき・・

その結果、{両親/政治家/会社/上司/恋人etc}とも、良好な関係を築きながら、楽しい幸せな人生を生きていけることになるのかもしれません。



・・私は。
私はある頃より、実際にあるか?は別として、「自分の人生の全責任は、自分にある!」と考え、自己責任の覚悟をもつことに決めたのでした。
そうしなければ、苦しくて苦しくて、、、現状の、責任転嫁をし続けることによって経験することになっている、早送りしたいほどの人生ならば、人生が存在しない方がマシに思えたからでもありました。

そして、実際にあるか?は別として、「自分の人生の全責任は、自分にある!」と考えることは。
自分自身に対して「私には、自分で人生を切り開いていくだけの能力も、人生の責任をとる責任感もあるのだから、私の人生の全責任は、私にあるのだ!」と、言い聞かせることでもあるため、責任を引き受ければ引き受けるほど、{自分で人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、それに{自分自身に対する自信}を、手にしていくことになったのでした。


~「自分の人生の全責任は、自分にある!」と自己責任の覚悟をもつと、自分の手の中に、自分の人生を切り開く力、それに自信が舞い戻ってくる!~



④人生はきっと良くなる~自己責任と責任転嫁が人生に与える影響~

■7つの習慣―成功には原則があった!の著者であるスティーブン・リチャーズ・コヴィー先生によると。
楽しい幸せな人生を生きるための最初の第一歩は、「人生の全責任を引き受けること」で、あるようです。
7つの習慣のうち、第1の習慣「主体性を発揮する」が、<自己責任の原則>から始まっているからです。

先生がおっしゃるには、まず自立した人間にならなければ、【他人との良好な人間関係(相互依存の関係)を築く】という、次のステップに進めないそうです。
そして自立した人間になるための、最初の第一歩が「人生の全責任を引き受けること」・・。


偉大なる先生の話の後に、個人的な見解を述べるのは大変恐縮ではあるのですが。

個人的には、先生のおっしゃっていることに、深く納得できるのでした。

私の人生が変わり始めた瞬間は、実際にあるか?は別として、「現状の責任は、全て、私にある!」と考え始めた時からでも、あったのでした。

人生の全責任を自分でとる覚悟の‘影響力’は、とてつもなく大きく、あれから何年も経った今でも・・日本の場末にて、ひっそりと1人で、思考錯誤し始めた頃に、
「どうして世の中は、人生の幸/不幸の‘責任’が誰にあるか?の部分が曖昧な風潮があるんだろう?・・その理由はわからないが、もう、世の中の風潮にはお付き合いしないようにしよう!私は今後、私の人生の幸/不幸の‘全責任’を自分でとることにしよう!それで不幸になってしまえば、私の無力さ・無能さがあらためて証明されるわけだが、もう良いじゃないか。その時は、その時だよ。
私が有能だろうと無能だろうと、そんなことはお陰様で?か知らないが、もうこの年齢だし、誰も興味をもっていないし・・。
残りの数十年も続く人生、常識や、他人の評価や人の目なんて気にせず、自分が幸せに生きていけるために、最善を尽くそう!」

と決意したことを、今でも覚えています。

私の人生は「人生の全責任を自分でとる覚悟」を決意した瞬間から、少しづつ動き始めたのでした。



・・・・・
依存状態にある時に、「人生の全責任を自分でとる覚悟」をもとうとするのは、とても恐いことでも、ありました。

人生の全責任を自分でとるのであれば、人生が不幸である時、その責任は、他の誰でもない、自分のせいとなるからでもありました。

「人生の全責任を自分でとる覚悟」をもち、人生を能動的に生きる姿勢でいて、それで不幸せになってしまえば、「私は、頑張ったのに幸せになれませんでした。無能な情けない駄目人間だったことが、あらためて証明されました。」となってしまうため、そうなるのが恐くて・・だからこそ、「人生の全責任を自分でとる覚悟」を、もつことが出来ずにもいたのでした。

しかし「人生の責任をとる覚悟をもち、能動的に生きて、それでも不幸になってしまえば、私の無力さ・無能さがあらためて証明されるわけだが、もう良いじゃないか。その時は、その時だよ」と、ある意味、諦め・・

諦めの覚悟をも、もって、「人生の全責任を自分でとるのだ!」と決意し、人生の全責任をとり始めたことで、ありがたいことにお陰様で、人生が少しづつ好転していくことになったのでした。

そして今にして思えば。
責任転嫁をするせいで、自分の人生を自分でハッピー♪にしていく力を手放しており、深い依存状態にあった{どん底状態}から、人生の責任を引き受ける覚悟をもつならば。
そうすることで自分の人生を自分でハッピー♪にしていく力を取り戻すことになるのだから、どん底状態よりかは、人生が少しづつ好転していくことになるのは、必然的なことでもあったようにも、思えたりもするのでした。


先生の教え【第1の習慣「主体性を発揮する」・・<自己責任の原則>】が、それを必要とされている方の元へと届き、‘幸せ’になって頂けることを願って。



~まとめ 自己責任と責任転嫁が人生に与える影響~
①「責任は、君にはないからね」
→この甘い言葉を受け入れると、初めこそ、責任逃れが出来てメリットがあるのかもしれないが、長期的には、当人自身が苦しむことになるのかもしれない。
なぜなら、私達は、誰であろうと、結局のところ、己の人生の全責任を、自分でとらざるを得ないようだから。

そのため、責任逃ればかりをしても、やっぱり責任はずっとついてきて・・だからこそ、責任から逃れようとすればするほど、逃れられないからこそ当人自身が苦しむことになるのかもしれない。


②「君の人生の全責任は、君にあるからね。」
→厳しい考え方にも思える、この言葉を受け入れ始めてから、私達は、自分の手の中に、{自分で自分の人生を切り開いていく力}や{自分の人生を自分で変えていく力}、それに{自分に対する自信}を、取り戻せることに、なるのかもしれない。

どちらにしろ、とらざるを得ない責任ならば、最初から、能動的に「人生の全責任を、私は、自分でとる!」と構えた方が、私達人間は、力が湧いてくるのかもしれない。


③人生の全責任を自分でとる!と考えることは、恐さもあるけれど、人生の全責任を自分でとり始めることで、人生が少しづつ好転していくことも、あるのかもしれない。


~自己責任と責任転嫁が人生に与える影響~
<writer 名無き仙人>


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バス男「僕には、責任がないんだよー♪ふふふ~ん♪」

バス子「実際にあるか?は別として、どちらにしろ、人生の全責任は、自分で取らざるを得ないことに、なるのかもしれないわよ?」

仙人「人生に対する責任は、自ら能動的に受け入れた方が、楽しい幸せな人生へと繋がっていきやすいのかもしれぬのぉ。」







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