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苦手な人との付き合い方/接し方

■人間関係の悩み解決方法。心理学/対処法/克服/職場/会社/仕事/男女/嫌な同僚/嫌いな上司/イライラしている部下


苦手な人との付き合い方/接し方


バス子「は~ぁ。また明日から仕事が始まる~。職場の苦手なAさんと会わないといけないと思うと、嫌になるなぁ。」

バス男「バス子ちゃ~ん。僕も、会社の同僚である、嫌いなBさんのことを考えると、気分が重くなるよ。」

バス子「ねぇ、仙人に【苦手な人との付き合い方/接し方】を聞いてみない?」

バス男「うん、いいよ。仙人様の【苦手な人との付き合い方/接し方~「苦手な人/嫌いな人」のいない幸せな人生を生きる~】の話かぁ。」







~「苦手な人/嫌いな人」のいない幸せな人生を生きる~

1.苦手な人との付き合い方/接し方

①苦手な人/嫌いな人

■「あの人のせいで、私は、いつもイライラさせられる!」

‘あの人’が、あまりに自己中心的で、私のことや、私の状況/心境を理解してくれないせいで・・
‘あの人’が、いつも自分勝手に振舞うせいで、私は我慢させられることになり、イライラさせられ、、、
‘あの人’のせいで、私の毎日は不幸だ!

今日も‘あの人’は、自己中心的な振る舞いばかりだった。
そのせいで、私はイライラしつつも我慢することになり、ストレスが溜まった。

あ~、腹立たしい。
今頃、‘あの人’は、他でも自己中心的な振る舞いを続けているに違いない。
そして、周りにいる人達を、私と同じように困らせ、イライラさせ、迷惑をかけ続けているに違いない!

以前、友人に‘あの人’の身勝手な行動について話した時、友人も「それは、自分勝手な行動で良くないよね。」と共感してくれた。
つまり、‘あの人’は、客観的に見ても、自己中心的で自分勝手で、悪い人なんだ。

やっぱり、私が悪いんじゃないんだよ。悪いのは、あの人なんだ。
あの人さえいなくなれば、私の毎日も人生も、苦しみから解放されるのに!!

・・そうだ。今度会った時には、今度こそ、一言、言ってやるんだ。
「~~~」なんてセリフはどうだ?
このセリフなら、正当性があるから私は悪くないうえに、相手に、自分が間違っていることを遠まわしに知らせることができ、相手にショックを与えることも出来そうだ。
うんうん。そうだそうだ。このセリフを、今度会ったときに・・



バシャー!


「うっっ!!」
手が滑ったのか、持っていたシャワーがお風呂場の床に滑り落ち、と同時に、私の顔めがけてお湯が勢いよく飛んできたのでした。
慌ててシャワーを拾いなおしつつ、シャワーのお湯が顔面にバシャー!とかかったことで、フっと意識が我に返った私は、「あ、あぁ・・。そういえば、、、」と、今までの人生を思い返しながら、再び髪を洗い始めたのでした。



②苦手な人が出現する理由~苦手な人との付き合い方/接し方~
■思い返してみると、私の人生には、いつも{嫌いな人/敵/苦手な人}が出現し続けていたのでした。
それは、学生時代の頃から、そうでした。
学校でも、バイト先でも、そうでした。
社会人になった後、就職先でも、そうでした。
誰か1人か2人ほど、常に私の人生には、{嫌いな人/敵/苦手な人}がいたのでした。

プライベートにおいても、本来ならば大好きであるハズの、友人や、異性(恋人)までが、時に、私にとって{嫌いな人/敵/苦手な人}ともなってしまった時があったのでした。

相手こそ、その時々で変わるものの、私の人生には、いつも{嫌いな人/敵/苦手な人}が出現し続けていたのでした。


「どうして、私の人生では、相手こそ、その時々で変わるものの、いつも{嫌いな人/敵/苦手な人}が出現し続けるのだろう?」
ほとんど絶え間なく、誰か1人か2人は、常に{嫌いな人/敵/苦手な人}が、人生に出現し続ける理由を考えてみると・・原因は、自分自身の‘心’に、あるようにも感じるのでした。

「‘心’が、現実世界の根本原因であるならば、己の‘心’が変わらない限り、この先も、誰か1人か2人は、常に{嫌いな人/敵/苦手な人}が、人生に出現し続けることになるのかもしれないな。たとえ、物理的に県外や海外に引っ越しても・・。」
仕返し/報復方法を探すな!(仕返しは法則が行う)のとおり、‘心’が人生の大元であり、‘心’が人生を形作っている雛形/鋳型(テンプレート)であるならば、己の心が根本から変わらない限り、物理的に引っ越すことで、今、嫌いな‘あの人’と縁が切れようと、また、相手が変わるだけで、自分の人生には、{嫌いな人/敵/苦手な人}が出現し続けることになるようにも、思えるのでした。

そして、己の心を自省してみると、以下の5つの理由から、私の人生には、常に{嫌いな人/敵/苦手な人}が出現し続けることになっているようにも、思えるのでした。


①破滅原則
→今でもそうなのですが、私は、破滅原則「今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ」に深く根ざした生き方をしています。
だからでしょうか。
私は「今、とりあえず自分のメリットが得られれば良いんだ!」と思い、人生を生きており・・だからこそ、私と同じように「今、とりあえず自分のメリットが得られれば良いんだ!」という態度/姿勢にて生きている人を見ると、過度・過剰にイライラさせられることになり、その人に、ついつい、いつも目が行ってしまうことになり、その人が自分の中で{嫌いな人/敵/目障りな人}となってしまいます。

私は、相手の中に、自分の中にある悪い癖(過剰な利己心)を見、相手の身勝手で、自己中心的な行動を見る度に、まるで、鏡で自分自身を見ているような気持ちにも、自覚こそなかったものの、なっており・・だからこそ、過剰に、その利己的な人が気になり、その利己的な人を過度に嫌うことになっていたのでした。

また、過剰に利己的な者同士が対峙すれば、互いに、自分だけのメリットを譲らず求め合うため、すぐに敵対関係になることも、関係していそうでした。
それは「道を譲る人」と「譲らない人」の違いなどにも見られるようでした。

「今、とりあえず自分のメリットを得るんだ!」と考え、相手に道を譲ろうとしない破滅原則に根ざしている人は、同じく、「自分が先だ!」と己のメリットばかり考えている破滅原則に根ざしている人と衝突することになり、肉体的・精神的に(職場や学校などでも)小競り合いを始めることになり、互いに「相手は、なんて利己的で自己中心的な悪い人なんだ!道を、譲れば良いじゃないか!?」と言い合いながら、イライラしながら、相手を{嫌いな人/敵/目障りな人}と認識しつつ、生きていくことになるのかもしれません。


②負の世界観
→私は、いつの間にか「他者はライバル/他人は競争相手」という世界観のもと、人生を生きることになっていたのでした。
競争社会の渦に、いつしか、巻き込まれてしまっていたからでしょうか。

自覚こそなかったものの、私は、視界に入ってくる他人のことを「競争相手/ライバル」と、無意識のうちに認識しているところが、多々あったのでした。

他人の不幸より幸せを願うには?(愛を広げる/他人は仲間)にもあるように、私は、初めて会った人のことを「競争相手/ライバル」と、無意識のうちに認識してしまうため、私と同じ「他者はライバル/他人は競争相手」という世界観をもった人と出会うと、互いに、互いのことを「競争相手/ライバル」と認識し合い、そして敵対関係に突入していき・・
だからこそ、精神的に(職場や学校などでも)小競り合いを始めることになり、互いに、巧みに相手を批判し合い、揚げ足を取り合い、競争相手でもある{嫌いな人/敵/目障りな人}と闘い続けることになっていたのでした。


③闘い続けいたから
苦行はやめなさい!などと、偉そうに、口先では書いておきながら、私自身が、未だに人生で闘い続けていたのでした。
「苦労を乗りきらなきゃ」
そういった想いが、心のどこかに、未だにあり続けているのでした。

{愛に満たされた幸せな世界の中で、幸せに包まれながら生きる!幸せな経験のみし続ける}ということを受け入れることが恐かった私は、闘う人生を選択しており、だからこそ、戦うための相手{嫌いな人/敵/目障りな人}を必要としていたのでした。

そのため、そんな発言をしなければ良いのに、わざわざ、相手から敵対心をもたれるような発言を、無意識のうちにしてしまっていたのでした。
また、web上でも、そんな書き方をしなければ良いのに、わざわざ、記事を読んで下さる方の気持ちを逆撫でするような書き方を、していたのでした。自覚なしに・・です。未だに、その傾向があるのです・・。

「苦労を乗りきらなきゃ」と思い込んで生きている私には、{苦労}が必要であり、闘う人生を選択していた私には、闘う相手が必要であり・・だからこそ、私の人生には、誰か1人か2人は、常に{嫌いな人/敵/苦手な人}が、出現し続けることになっているようでした。

{敵}や{苦労}と闘い続けている私は、心の深い部分では、{嫌いな人/敵/苦手な人}を必要としていたんだと思う。
{嫌いな人/敵/苦手な人}がいなくなると、今までのように人生で闘うことが出来なくなり、そのことは{今までとは違う生き方をする}に繋がるため、それが恐かったんだと思う。
新しい人生を・・{愛に満たされた幸せな世界の中で、幸せに包まれながら生きる!幸せな経験のみし続ける}という人生を、経験し始めることが、今までにない未知な経験となるため、恐かったんだと思う。


④自己責任の覚悟
→「人生が幸福か?それとも不幸か?」の全責任を、自分でとる覚悟がなかったからでしょうか。
私は、{自分の人生の幸せ}に対する責任を自分で取りたくない気持ちから、私のことを幸せにしてくれそうな{頼れそうな誰か/恋人/会社/政府}などに、自分の幸せを、過度・過剰に依存しながら、生きていたのでした。

~①責任逃れからの依存~

そして、「私のことを幸せにしてくれるハズ!」である{頼れそうな誰か/恋人(恋人候補)/会社/政府}が、私の期待に反して、私のことを幸せにしてくれなかったら「裏切られた!」と思い、私の期待を裏切った{頼れそうな誰か/恋人(恋人候補)/会社/政府}を、憎むことになっていたのでした。

~②依存対象から裏切られた!という憎しみ~

その後、自分の不幸な状況を正当化するために、責任転嫁するために、{頼れそうな誰か/恋人(恋人候補)/会社/政府}を批判し続けていたのでした。

~③自分の不幸を正当化するために、責任転嫁のために、敵を批判~


「人生が幸福か?それとも不幸か?」の全責任を、自分でとる覚悟がなかった私には、{私が今、不幸である理由}をなすりつける相手が必要だったのでした。
でないと、{私が今、不幸である理由}が、私のせいになってしまうからでした。

そのため、{私が今、不幸である理由}をなすりつける相手として、私には常に、敵{嫌いな人/敵/目障りな人}が必要だったのでした。
敵{嫌いな人/敵/目障りな人}さえ存在してくれていれば、{私が今、不幸である理由}を、敵のせいにすることができ、自分で、自分の人生の責任をとる必要がないためでした。

このことは、自分で、自分の人生の全責任をとる覚悟がなく、尚且つ、不幸を感じているうちは、、、人生に常に敵{嫌いな人/敵/目障りな人}が出現し続けることを、意味してもいそうでした。


⑤他人が自分に望む人生
→私には、自分が「他人が自分に望んでくる人生」を(我慢して)生きていたから、幸せそうな人を妬むところがあるようにも思われました。

「私は、親の期待通りに、我慢しつつも生きてやっているんだ。そのせいで、毎日不幸なのに、あの人は、好き勝手に自由に生きていて、それでいて幸せそうで・・」
「私は、社会が私に望んでくる人生を、我慢しつつ、生きてやっているんだ。それなのに、あの人は・・・」
そういった、{他人が自分に望んできている人生を、私は、我慢しつつ生きてやっているんだぞ?}という思いが、{自分らしい幸せな人生を歩んでいる人を羨み憎む心}を生み出し、私の人生に{嫌いな人/敵/目障りな人}を出現させてしまう理由/原因の1つとなっていたようでした。



③人間関係の悩みから自由になる~苦手な人との付き合い方/接し方~
■「ふぅ~。では、{嫌いな人/敵/目障りな人}のいない、幸せな人生を生きるためには、どうすれば良いんだろう?」
自分のことを内省する作業は・・・とくに、あまり自分でも触れたくないような、自分の悪い点を内省してみる作業は、気分の良いものではないようで、、、タオルで体を拭きつつ、ふぅ~と大きく息を吐き出すことで気持ちを切り替えつつ、今度は、改善策/解決策について、考え始めたのでした。

すると{嫌いな人/敵/目障りな人}のいない、幸せな人生を生きるためには、以下の5点も、大切となるように思えるのでした。


①繁栄原則
憧れの人や憧れる男女になる方法(時空間仙術)のとおり、あまりにも心の傾向が異なる者同士は、時間と空間の関係より、かみ合わずにすぅ~とすれ違うことになるようです。
及び、引き寄せの法則によって、心の傾向が似た者同士が、惹かれ合うことになるようです。

そのため、自分自身が繁栄原則「正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心」に根ざした人間になれば、同じく繁栄原則に沿って生きている人と自然と関わりをもつことになり、互いに、相手の幸せを願い合う幸せな人間関係を、構築することになるようです。
そうなれば、{嫌いな人/敵/目障りな人}などとは無縁な、幸せな人間関係にかこまれた人生となりそうです。

また、とある説によると、死後、各自の魂は、似た者同士で同じ星に住むことになるそうです。本当かどうか?は別として、そういった話も、あるようです。
であれば、繁栄原則に根ざした魂達が住む星は、互いに、相手の幸せを思い合う、素敵な星となっていそうです。そこが、天国なのでしょうか?
一方、破滅原則に根ざした魂達が住む星は、皆が「とりあえず今、私さえ良ければ良いんだ!」と自己メリットを求め合うばかりであるため、利害の衝突から、争いや戦争が絶えない星となるのかもしれません。

そして、実はこの話は、死後の世界に限った話では、ないのかもしれません。
{似た者同士が引かれ合う}という引き寄せの法則は、高次の法則であるようで・・死後の世界でも現世の世界でも、働いている法則なようだからです。

現世の場合は、皆が同じ1つの星(地球)に住んでいるわけですが、実は、物理的には同じ1つの星に住みつつも、人々は、その当人の心の傾向次第で{自分の周りにいる人間達}が決まっており、ある意味、死後の世界と同じように、似た者同士が関わり合いながら、、、と、しているのかもしれません。


②愛の世界観
→「他者はライバル/他人は競争相手」という世界観をもって生きるのではなく・・
他人の不幸より幸せを願うには?(愛を広げる/他人は仲間)に詳細はあるとおり「全ての人が、同じ1つのチームのメンバー/仲間」という世界観をもって生きるようになれば、身近な人も含め、視界に入ってくる全ての他者が「仲間」に見えることになりそうです。
そして、「仲間」と見えるから、「仲間」に対する当然の態度として、愛深い、親切で友好的な態度や対応を、全ての人に対して、とるようになりそうです。

そうすれば当然、相手からも良い対応をとられることになり、他人から嫌われ、他人から{嫌いな人/敵/目障りな人}と認識されてしまい、敵対関係になってしまうことも減ることになりそうです。


③闘うのを辞める
→人生において、{苦労}や{敵}と闘い続けることを辞め・・

「(敵や苦労と)闘わなくても、良いんだよ。」
「この世界は、既に愛に満たされているんだよ。」
と、自分に優しく諭してあげて・・{愛に満たされた幸せな世界の中で、幸せに包まれながら生きる!幸せな経験のみし続ける}ということを、自分自身に許し、許可してあげれば・・

闘う必要がなくなるため、自然と、人生から{嫌いな人/敵/目障りな人}がいなくなってしまうことに、繋がるようです。
人生で闘っていた時には、あれほど、なにかをどう変えても、常に{嫌いな人/敵/目障りな人}が人生に出現し続けていたのに!!


私達の心が、闘う相手を必要としているならば、常に{嫌いな人/敵/目障りな人}が人生に出現し続ける。
一方、人生で闘うことを辞め、私達の心が、幸せになることを受け入れ始めたら、{嫌いな人/敵/目障りな人}が人生に現れなくなる・・。


④自己責任の覚悟
→「実際にあるか?」は別として「全ての責任は、自分にある!」というふうに、自分の人生の全責任を自分でとる覚悟をもつようになると、{私が今、不幸である理由}は、他人のせいではなく、自分のせいとなるため・・・不幸な原因をなすりつける相手が必要でなくなり、だからこそ自然と{嫌いな人/敵/目障りな人}が、人生に現れにくくなるようです。

★{嫌いな人/敵/目障りな人}が常に人生に現れ続ける理由の1つ→{私が今、不幸である理由}を、なすりつける‘誰か’が、常に必要だから。

★自己責任の覚悟をもつと{嫌いな人/敵/目障りな人}が減る理由→{私が今、不幸である理由}は私の責任となるため、責任を転嫁する先となる‘誰か’が、必要でなくなるため。


⑤自分が自分に望む人生
→自分の人生の全責任を自分でとるのが嫌な深層心理もあり、だからこそ「他人が自分に望んでくる人生」を、受身的に、我慢しつつ生きていきながら、{私が今、不幸である理由}を、「私は、親の期待通りに、我慢しつつも生きてやっているんだ。そのせいで、毎日不幸なんだ!」と親のせいにしたり、
{私が今、不幸である理由}を、{私は、社会が私に望んでくる人生を、しかたないから我慢しつつ、生きてやっているんだ。そして犠牲者として私は、不幸な人生を歩まされているんだ!}と社会のせいにするのを辞め・・

たとえ、親のアドバイスがキッカケであろうと、{今の人生{進学先/職業/結婚相手等}を選択したのは、自分だ。選択は、自分にしか出来ないから。}と、「実際にあるか?」は別として「全ての責任は、自分にある!」というふうに、自分の人生の全責任を自分でとる覚悟をもち、

「自分が自分に望む人生」を、納得した人生を生きていけるよう、理想と現実の調整術を、つまりコツコツと取り組む修行も、必要に応じて行いながら、、、とすることで、「私は、私が自ら選んだ人生を、納得しながら生きているんだ!」と言えるようになると、内側から、自分自身や人生に対する{満足感/充実感/幸せ感}が湧き出でるようになるため、幸せそうな他者を見ても、羨んだり、憎んだりすることなく、自然と、祝福できるようになるようです。
すると、{嫌いな人/敵/目障りな人}が減ることに繋がりそうです。


<理想と現実の調整>の過程は、人によっては長い道のりである場合もあるようですが、{自分を、人生を、現状を変えたい!}のであれば、コツコツと取り組んでみる価値も、あるのかもしれません。



④まとめ~苦手な人との付き合い方/接し方~
■「はぁー、やることはいっぱいあるな~」
髪をドライヤーで乾かしつつ、幸せな人生を生きるためにも、必要となりそうな事柄について考えていると、その多さに、少し圧倒されそうにもなるのでした。

すると{書籍/金持ち父さん貧乏父さん}で有名なロバート・キヨサキ氏は、{像を食べるにも一口づつ}と、本の中で言っていたのを思い出しました。
像を食べると考えた場合、像はとても大きいため、その大きさに、少し圧倒されることにも、なりそうです。
「こんなに大きなものを、どうやって食べようか?」とも、考えてしまうことになりそうです。
が、どれだけ像が大きかろうと、私達人間には、一口づつ、食べていくしかないようです。
巨大な像であろうと、小さな魚であろうと、どちらにしろ、一口づつ、食べていくしかない・・。


「{像を食べるにも一口づつ}か。そうだよね。どんなに大きな事柄を成し遂げていくにも、1つづつ、一歩づつ、出来るところから、やっていくしかないし・・また、1つづつ、一歩づつ、出来るところから、やっていけば良いよね。」

{嫌いな人/敵/目障りな人}のいない、幸せな人生を生きる!なんて、そんなこと・・
相手こそ、その時々で変わるものの、人生で常に{嫌いな人/敵/苦手な人}が出現し続けていた私にとっては、とても大きな事柄にも思えるのですが、そういった、幸せな人生を送ることも「きっと、可能である!」と信じて、1つづつ、一歩づつ、出来るところから、やっていこう!とも思い、、、洗面台の鏡を見つつ、「大丈夫!きっと出来る!」と思いながらニコっと笑ってみたのでした。


「あぁ、先は長いかも・・」
自分の笑顔を見て、少し弱気になってしまったのでした 笑


~苦手な人との付き合い方/接し方~
<writer 名無き仙人>


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バス男「苦手な人との付き合い方/接し方・・かぁ。」

バス子「個人的な世界観と人間関係には関係もあるのかもしれないわね。」

仙人「幸せで、楽しい人生を生きていけると良いのぉ。関連記事としては人間関係能力/コミュニケーション技術を高める方法(他人を害すれば、他人からも害される)や、好かれると人と嫌われる人の特徴(12の違い)もお勧めじゃよ。」







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