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成功者と失敗者の共通点

■成功する人/失敗する男性/女性の特徴や共通点/考え方/条件/習慣/名言とは?恋愛/婚活/結婚生活/仕事/起業/投資


成功者と失敗者の共通点


バス子「は~ぁ。私も、人生の成功者になりたいなぁ。楽しい幸せな人生を生きていきたーい。」

バス男「バス子ちゃ~ん。僕も、夢を果たし、人生の成功者として、楽しい幸せな人生を生きていきたいよ。」

バス子「・・ねぇ、仙人に【成功者と失敗者の共通点】を聞きに行ってみない?」

バス男「うん、いいよ。仙人様の【~「教えるー教わる」の罠/人間関係のバランス~成功者と失敗者の共通点】の話かぁ。」







~「教えるー教わる」の罠/人間関係のバランス~

1.成功者と失敗者の共通点

①成功者の特徴/考え方/条件/習慣/名言

■みな、矢継ぎ早に、目の前にいる成功者に対して質問をしていた。

成功者のAさんは、それら質問に対し、微笑みながら、時に真面目な顔をしながら・・答えていっている。

「私もなにか、質問をしなきゃ!」
せっかく、目の前に成功者のAさんがいるにも関わらず、なにも質問をしないのは成功者であるAさんに対して失礼であるように思えたし、周りのみなが積極的に、能動的に質問をしている姿を見て、漠然とした焦り、、、「私だけ、この流れに乗り遅れている!」をも感じてもいたし、こういったチャンスに、ただ内気になり受身的に黙っているのは、‘成功できない失敗者’であるようにも思え・・

「私もなにか、質問をしなきゃ!」と焦りつつ、でも、もう1人の自分が、それをかたくなに拒否/拒絶するせいで、私は成功者のAさんに対して質問をすることが出来ず、ただただ黙って、周りの皆の質問と、Aさんの回答を聞いていた。

「名無き君も、せっかくなんだから、成功者のAさんに質問をしてみなよ。こういった時に受身的になっていたら成功できないよ。積極的にならなきゃ。」
隣に座っていた先輩がそう、耳打ちをしてきて、「私もなにか、質問をしなきゃ!」という焦りはいっそう強くなったが、それでも、私は心の奥底で「ここで、みなと一緒になって成功者の方に質問をしていては、いけない!」と感じていて、終始、黙り続けていたのだった・・。




「名無き、俺の話聞いてる?」
友人のB君の声で、はっと我に返り、私は「う、うん。聞いてる。その、B君の師匠である成功者の方と会えるチャンスがあるんでしょ?」と答えたのでした。

B君は、我が師を称えるように言います。
「そうだよ。師匠はすごい人でね。きっと、名無きも俺の師匠に会えば、いろいろと学べると思うよ。もし、名無きが望むのであれば、会える機会を作っても良いけど?」

「うーん・・。」私は、B君の好意に感謝しつつも、なんとなく返答を曖昧に誤魔化したのでした。

その理由はどうも、自身の失敗経験に端を発っしているようにも思えたのでした。



②失敗の原因と理由~成功者と失敗者の共通点~
■私には、師匠的な人に頼りすぎて自発性がなくなってしまい、失敗した経験があるのでした。


・・・・
師匠/成功者は、自分のとおった(自分オリジナルな)道について、弟子や質問者に伝えることはできるが・・私達は、私達のとおる(自分オリジナルな)道を、手探りもしつつ、己の足で、自分で自力で歩まなければならないのかもしれない。

つまり師匠におんぶしてもらい、自分は楽して師匠の背中にのっかり、師匠に道を(自分の変わりに)歩んでもらうことはできないのかもしれない。


師匠/成功者は、自分にとっての(自分オリジナルな)答えについて、弟子や質問者に伝えることはできるが・・私達は、私達にとっての(自分オリジナルな)答えを、手探りもしつつ、自分で見つけなければならないのかもしれない。

つまり師匠に自分の宿題をしてもらい、自分は楽して師匠の横に座り、師匠が宿題の答えを(自分の変わりに)見つけてくれるのを待っているわけには、いかないのかもしれない・・。


一見、既にわかっているであろう、と思える師匠や成功者に、道や答えを尋ねることは、時間の短縮にもなって要領の良いことのように思えるが、

しかし自分の道は、自分の足で歩まなければならないし、自分の答えは自分で見つけるしかなく、また、「尋ねる/聞く/答えを教えてもらおうとする」という行為によって、依存状態が強まってしまうのであれば、師匠や成功者に、道や答えを尋ねることは、逆にマイナスともなってしまうのかもしれない。



<全ては自己責任!と捉え、自分の頭で考える>
→自分なりには頑張ったのに結果を出すことが出来なかった、悔しく辛かった日々が、その後の心の仙人/仙女修行 へと繋がっていくのでした。

私の心の奥底からは、「師匠/成功者に頼っては駄目だ!それでは同じ失敗を繰り返すことになる。今度は、全ては自己責任!と捉え、誰にも依存することなく自分の足で立ち、自分の頭で考えなければならない!」という声なき声が・・・

声なき声ではあるのですが、それはとても強い声で、、、ある意味、切羽詰った声が、聞こえてくるのでした。
そのためその後、過剰に自立に偏りすぎた経緯もあるのですが・・。


私は、全ては自己責任!と捉えることで、頼っていた他者(師匠/成功者)に無意識のうちにあけ渡していた、「人生を切り開いていく能動的な力」を、自分の手の中に取り戻していき・・

誰に対しても、

「どうしたら、上手くいきますか?成功できますか?成功の秘訣は、なんですか?」
「私の現状は~~~なのです。どうすれば、現状を改善できますか?」
「私は今、△△のことで困っています。なにかアドバイスをして下さいませんか?」

などと、もう質問をすることなく、自分にとっての(自分オリジナルな)答えを、手探りもしつつ、見つけるよう努め始め、自分のとおる(自分オリジナルな)道を、手探りもしつつ、己の足で、自分で自力で歩むよう努め始めるのでした。



③成功者に頼る/依存する罠~成功者と失敗者の共通点~
■「じゃあ、名無きがその気になれば、いつでも言ってね。その時は、俺が師匠と連絡をとって会えるよう手配するよ。」

そう言い残し立ち去っていったB君に対し、感謝の念を感じながらも、私はB君と話していた間に{喋り忘れていた話}を言いたい気持ち・・欲求不満にも似た気持ちを抱え、1人でソワソワしつつ、部屋の中をうろついていたのでした。

すると、ふっと、部屋の中にある観葉植物が視界に入ってきて・・私は、葉っぱに語りかけ始めたのでした。


「葉っぱ君、あのね、さっきは言い忘れたのだけど、{師匠ー弟子}{成功者ー質問者}の関係には、もう1つ、気になる点があってね。」

観葉植物は、相槌もうってくれないし、なにも答えてくれないのでした。しかたなく、自分で葉っぱ君の役目もこなします。

「うん?その{気になる点}ってなに?」

「それは・・家族愛の意味(カタルシス{浄化}を経験する)にもあるとおり、私達は、愛を求めていて、愛のために生きているところがあってね。」

「うん、それで?」

「{師匠ー弟子}の関係では、「教えることで愛されていたい師匠」と、「教わることで愛されていたい弟子」の関係が、続いてしまうこともあるようなんだ。これらは、人間関係のバランス/人間関係の力学にも、関することのようなのだけど。」

「「教えることで愛されていたい師匠」と、「教わることで愛されていたい弟子」・・うん。それで?」

「この場合、師匠も弟子も、互いに愛を求めていて、愛のために生きていて・・だからこそ、弟子から愛され続けたいが故に、師匠側は弟子に対して非的確なアドバイスをしてしまうこともありえるのかもしれない。
なぜなら、的確なアドバイスをし続けていると、弟子はそのうち、迷いや、悩みから抜け出し、師匠を必要としなくなるから。そうなれば、師匠は、もう弟子より必要としてもらえなくなるよね。これは、弟子より愛されていたい師匠にとっては不都合なことなのかもしれない。
この話は、占い師と客で考えてみるとわかりやすかもしれないね。
占い師は、占いに来た客に対して、一瞬で迷いや悩みが晴れてしまうような的確なアドバイスをしてしまえば、そのお客さんは、もう自分のところには来てくれなくなるよね。迷いも悩みも、もうなくなってしまったのだから。
すると、占い師は商売あがったりだよね。だから、占い師は、無意識のうちに非的確なアドバイスや、曖昧に濁したアドバイスをしてしまうこともありえるのかもしれない。これらの心理は、占い師に限らず、私達が潜在的にもっている抑止力でも、あるようなのだけど。」

「はー、なるほど。師匠側には、弟子を迷いの中に閉じ込めておくことで、いつまでも弟子に、自分を必要としてもらいたい深層心理が、ある場合も、あるのかもしれないわけね。うんうん。っと、それより、たまには水を頂戴よ。」

「う、うん。それでね、弟子側は、弟子側で、師匠から教わることによって師匠より愛され続けていたいが故に、いつまでも{結果を出さないキャラ/迷い続けているキャラ/依存し続けるキャラ}で、い続けることもありえるのかもしれない。
なぜなら、結果を出したり、迷いがなくなったり、自立してしまえば、師匠から教わることはなくなっていき・・・つまり師匠を必要としなくなり、そうなれば、師匠からも愛してもらえなくなるよう感じてしまうから。」

「じゃあ、弟子側が、師匠より愛され続けていたい心理をもっている限り、弟子は、いつまでも{結果を出さないキャラ/迷い続けているキャラ/依存し続けるキャラ}を演じ続けることに、なるのかもしれないわけね。なるほどー。それはそうとして、たまには水をやってよ。見て、この干からびている土を。」

「う、うん。この話が終わったら水をあげるからね。でね、葉っぱ君。
つまり、私達が師匠/成功者を師として仰ぐなかに、「迷い続けることで師よりアドバイスしてもらえ続け、師より愛さ続けたい!」という心理がある場合。
私達は、いつまでも{教わる側/生徒役}となってしまい、いつまでも迷いから抜け出せなかったり、結果を出せなかったり・・とする場合もあるのかもしれないんだ。」

「バランスの法則より、{師匠ー弟子}、{成功者ー質問者}の間には、「教えることで愛されたい(先生役として愛されたい)」と、「教わることで愛されたい(生徒役として愛されたい)の関係が、ずっと続くことになる場合もあるから・・というわけだね。早く話が終わらないかな~。」

「う、うん、まぁそんな長い話にはならないから。
そうだね。これは親子間でも、そうなんだ。親は「子供を助けてあげることで子供から愛され続けたい」と深層心理レベルでは願っていて、子供側も「助けられることで親から愛されていたい」と深層心理レベルでは願っていて・・、
この親子間の場合でも、親、もしくは子供、が、自立しない限り、子供が社会的には自立しなければならない年齢になった後でもずっと「助けることで愛されたい(親役として愛されたい)」と、「助けられることで愛されたい(子供役として愛されたい)の関係が、続くことになる場合もあるのかもしれない。バランスの法則によって。」


「へ~。じゃあ、師弟関係なんて、もたない方が良いわけ?」

「いや、師弟関係は素晴らしいことだと思うよ。ただ、そのためには、師匠(成功者)側が高い極地にいて、弟子(質問者)側が自立している必要がありそうなんだ。
師匠(成功者)も迷いの中にいて、弟子(質問者)側も依存状態にある場合、その2人は、この現実世界の幻想の中で、「教えるー教わる」の関係をずっと続けてしまう場合もあるのかもしれない。バランスの法則によって。
言い換えると、師匠(成功者)も迷いの中にいて、弟子(質問者)側も依存状態にある場合、その2人は「教えるー教わる」の間柄/関係性より抜け出せなくなる場合もあるのかもしれない。」

「ほー。・・う~ん、よくわからないけど。いや、良くわかった。もう話終わったかな?」

「う、うん。もう少しで終わるからね。例えばだよ。葉っぱ君が、私の師匠だとするよ。」

「うん。」

「そして弟子である私は、師である葉っぱ君に対して「葉っぱ様。~~で困っています。どうかアドバイスを下さい!」と助けを求めました。葉っぱ君は、ここまでの話を踏まえ、弟子である私に対して、なんて答える?」

「うーん。「助けを求めることで、師匠より愛されようとするのは辞めなさい!自立し、自分で問題を解決しなさい!(助けを求めているうちは、いつまでも依存状態から抜け出せないのですよ!)」かな。」

「と、葉っぱ君が、私にアドバイスすれば。
弟子である私は「はぁー。師匠、まさにその通りです!今後ともアドバイスをよろしくお願いします!」とこたえ、師である葉っぱ君は「うむ。私のアドバイスは、的確だろう?」とこたえ・・
つまり、師である葉っぱ君と、弟子である私は、「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥ってしまい・・互いが愛されたい!と望むから、2人は、「教えるー教わる」の間柄/関係性より抜け出せなくなる場合もあるのかもしれない。
すると、弟子である私は、ずっと依存状態から抜け出せなくなるよね。師匠への質問をきらさないために、潜在意識レベルで、あえて悩みを引き寄せ、常に悩みを抱え続けることにも、なるかもしれない。」

「な、なるほど~。じゃあ、どうすれば良のだろう?」

「師弟関係が素晴らしいものであるためには、師匠(成功者)側が高い極地にいて、弟子(質問者)側が自立している必要がありそうなんだ。そのため、師匠役となっている人は、、、例えば親であったり、学校の先生をしていたり、上司の立場として働いている場合は、より高い極地に自分がなっていけるよう、精進していくのも悪くはないのかもしれない。
そして弟子側は、、、例えば、部下として働いていたりする場合は、自立していくよう努めるのも悪くはないのかもしれない。」

「ふーん。でも、自分は、こんな記事を書いていて・・それって、矛盾しているのでは?あ、ヤバい。質問してしまった。
また話が続いてしまう・・

「いや、こういった記事は、誰かに質問をされて書いているのではなく、自分が経験や体験をとおしてわかったことをまとめているだけだから、「書き手ー読み手」の間に、バランスの法則が作用することはないと思うんだ。
人間関係の悩み/ストレスからの自由(バランスの法則の各事例と問題の解決策)にもあるとおり、基本的にバランスの法則は、人間関係の存在するところに作用するみたいだしね。
私は、自分/人生コントロール仙術(普段付き合う7人を変える)にもあるとおり、本の中から、(著者の話にひっそりと耳を傾けつつ)自力で、自分オリジナルな答えのヒントとなる‘何か’を見つけながら、やってきていて、

その過程において、本の著者と、「教えるー教わる」の間柄/関係性にハマり込んだりはしていなから、、、人間関係なきところにて、能動的に自力で、自分オリジナルな答えのヒントとなる‘何か’を探す場合においては、「教えるー教わる」の人間関係の力学に取り込まれてしまうことないのかもしれないね。」

「へー。いや、良い話を聞けた。ありがとう。今日はもう、後は、美味しい水を得れたら大満足な日だなー。」

「う、うん。こちらこそ、話を聞いてくれてありがとう。」



④自分の人生の答えを自分で見つける~成功者と失敗者の共通点~
■自分のくだらない話に付き合ってくれた観葉植物に、感謝の気持ちをもちながら、最近あげていなかった水をやりつつ・・師弟関係や、成功者と質問者の関係について、漠然と思考が続いていくのでした。


私達は、愛されたい!と願うから。
愛されていたいがために、「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥ってしまい・・互いが愛されたい!と望むから、2人は、「教えるー教わる」の間柄/関係性より抜け出せなくなる場合もあるのかもしれません。

その間柄/関係性に陥ってしまうことにより、たとえ自分は、いつまでも{結果を出さないキャラ/迷い続けているキャラ/依存し続けるキャラ}となってしまい辛い思いをすることになっても、それでも愛のために、その関係を続けてしまう場合もあるのかもしれません。

「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥り、いつまでも、その関係より抜け出せずにいる人達・・自分自身も含め・・を、見てきているのでした。

また、師匠側においても。
たとえ愛する弟子が、いつまでも{結果を出さないキャラ/迷い続けているキャラ/依存し続けるキャラ}となってしまうことになっても。

それでも、心のどこかで、「弟子より頼られていたい!弟子から必要とされていたい!」と願うから、あえて、弟子に非的確なアドバイスや、曖昧に濁したアドバイスをしてしまい、その結果、師と弟子は「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥り、いつまでも、その関係が続くことになる場合も、あるのかもしれません。



そして私達は、エネルギー問題の解決策(人間や現実の正体)にもあるとおり、本来は、全ての全てである、全て(創造主)と同じ1つであり、万能であるため、本当は、誰かに依存しなくても、自分で自分オリジナルな答えを見つけることが出来るし、自分で、自分オリジナルな道を歩んでいくことが出来るのかもしれません。


<外に頼るな!自分の答えは、自分の内にある>
修行中読んでいた本の余白部分に、そう、自らペンで書き殴った部分があるのでした。

私は、否、私達は、人とは違う、オリジナルな存在であるのに。
私は、オリジナルな自分の、オリジナルな答えを、外に求めていたのでした。つまり、他者(成功者)から、自分オリジナルな答えを教えてもらおうとしていたのでした。


私は、成功者に道を尋ねれば、近道を教えて貰えると、心のどこかで漠然と思い込んでいたから。
でも、成功者に道を尋ねても、近道を教えてもらえることはないんだ。
その成功者自身が、コツコツと手探りもしつつ、時に遠回りもしつつ・・そのような過程を得て、今‘成功者’となっているから。
つまり、成功者自身、近道を通って成功者となっているわけではないんだ。
だから、成功者も、道を尋ねてくる人に対して、近道を教えることは出来ないんだ・・

そういったことを知らなかった私は・・
とある成功者の方が、「自分で頑張りなさい。自分でやっていきなさい。」と仰っているのを聞きながら「な、なんて不親切でケチな人なんだ!信じられない!もっと教えてくれたって良いだろう?」と、強い嫌悪感をもつことになったのでした。

今にして思えば。
その成功者の方は、「自分で頑張りなさい。自分でやっていきなさい。」と仰ることで、皆に自立を促していたのだと思う。

その成功者の方は、皆が、誰しもが、潜在的にもっている‘力/能力’を信じていたから・・・言い換えると、皆のことを「この人達は、手取り足取りアドバイスをしてあげないと成功できない、そもそも能力の低い人達だから。」と見下したりしていなかったから、

「自分で頑張りなさい。自分でやっていきなさい。」と仰ることで、皆に自立を促していたのだと思う。
自立することで、誰しもが、潜在的にもっている‘力/能力’は開花していくことになるから。

そしてまた、依存状態にあるイスに座り聞いている私などに対して、手取り足取りアドバイスをすれば、そうした瞬間、互いは、バランスの法則のもと、「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥ってしまい、その関係性から抜け出せなくなっていき、イスに座り話を聞いている人達のことを、いつまでも{結果を出さないキャラ/迷い続けているキャラ/依存し続けるキャラ}に陥らせることにもなりかねないから・・・その成功者の方は、「自分で頑張りなさい。自分でやっていきなさい。」と、一見、冷たくすら感じる話をされていたのだと思う。



<外に頼るな!自分の答えは、自分の内にある>
私達の、自分にとっての答え、自分の、他の誰とも同じになりようがない自分オリジナルな人生における答えは、他者が知っているものではなく、自分自身が知っているものなのかもしれません。

それを知るために、探すために、私達は、人生経験や本、成功者や師匠などから、自分オリジナルな答えのヒントとなる‘何か’を探しているのかもしれません。


私達は、全ての全てである、全て(創造主)と同じ1つであり、万能であるため。
本当は誰しも、誰かに依存しなくても、自分で自分オリジナルな答えを見つけていくことが出来るし、自分で、自分オリジナルな道を歩んでいくことが出来る!

全ては自己責任!と捉えることで、頼っていた他者(師匠/成功者)に無意識のうちにあけ渡していた、「人生を切り開いていく能動的な力」を、自分の手の中に取り戻していき、人生経験や本などから、自分オリジナルな答えのヒントとなる‘何か’を探していくなかで、私達はきっと、自分オリジナルな答え見つけ出すことが出来る!

私はそう、信じているのです。

ともに、楽しみながらもコツコツと、精進してまいりましょう。

私達の人生は、きっと良くなる。
この世界は、もっと良くなる。



~まとめ~
★成功者と失敗者の共通点
→傍から見れば{教えるー教わる/師匠ー弟子}の関係に見えても、「頼り依存する」のではなく、楽しみや喜びのために、自立した2人が互いに相互依存の関係を作り、人間関係から生じる喜びの果実を得ている人達もたくさんいる。

教えたり、教わったり、師弟関係をもつこと自体が悪いのではないし、「師匠に依存すること」や「弟子から依存されること」を、当人自身が心底望んでいるならば、それはそれで、当然、良いこと。
それで、互いに幸せならば、なにも気にする必要がないし、周りがとやかく言う必要もない。
人生/生き方わからないで迷う(私は自転車をこいだ)にもあるとおり、ゴールがあるかどうかすら、定かではないのだから。

ただ、{良いor悪い}も抜きにして、ただ単純に、場合によっては{教えるー教わる/師匠ー弟子}において、バランスの法則が働くケースもあるのかもしれない・・という話が、今回の記事の話。

今回の記事では、「師匠に依存すること」や「弟子から依存されること」に対して否定的に書かれることになったが、それは当人自身も気がつかずにいて、悩んでいる場合もあるから・・そのことを念頭において書いたため、にすぎない。


★成功者と失敗者の共通点
→私達は、学校では勉強を教師から教わるし、職場では仕事を上司から教わる。
他にも例えば趣味の釣りを始めれば、{釣りの師匠}から釣りを教わることになるかもしれない。
つまり、教わることは当たり前のことであり、素晴らしいこと。

しかし、そこに{依存心}があると、「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥ってしまい、その関係性から抜け出せなくなっていき、私達自身が、苦しむことになる場合があるのかもしれない。


★成功者と失敗者の共通点
→成功者や師匠は、質問者や弟子に代わって、質問者や弟子のために、人生を歩んであげたり、問題を解決してあげたり、答えを探してあげたりすることは出来ない。
例えばダイエットにおいても。
ダイエットの成功者(師匠)は、自分が成功した方法や、自分に合っていたダイエット方法を伝えることができる。
しかし、弟子に代わって、弟子の代わりに断食を行ってあげることはできない。
そのため私達は、学べる点を成功者から学びつつも、自分でダイエットを行っていかねばならない。


★成功者と失敗者の共通点
→早く道を渡りきることは出来るが、近道はない。

成功者や師匠は、近道をしたから成功者となっているのではない。
成功者や師匠は、手探りをしつつ、ときに遠回りをしつつ、自力で、自分にとっての答えを探し出していったから、成功者や師匠となっている。

そのため、成功者や師匠から近道を教えてもらうことはできない。
成功者や師匠自身が、近道をとおって、楽して成功したわけではないから。

腹をくくり、覚悟を決めた方が、自分自身が救われることになるのかもしれない。


★成功者と失敗者の共通点
→成功者や師匠に依存する気持ちがあると、成功者や師匠は、質問者や弟子を導くことが出来にくいのかもしれない。
なぜなら、依存状態にある質問者や弟子に、「助けを求めることで、師匠より愛されようとするのは辞めなさい!自立し、自分で問題を解決しなさい!(助けを求めているうちは、いつまでも依存状態から抜け出せないのですよ!)」など、アドバイスをすれば、その瞬間に2人はバランスの法則のもと、
「教える(教えることで愛され続けたい)ー教わる(教わることで愛され続けたい)」の間柄/関係性に陥ってしまい、その関係性から抜け出せなくなっていき、質問者や弟子を、いつまでも{結果を出さないキャラ/迷い続けているキャラ/依存し続けるキャラ}に陥らせることにもなりかねないから。

そのため、まずは自立すること。
そして、全ては自己責任!と捉えることで、頼っていた他者(師匠/成功者)に無意識のうちにあけ渡していた、「人生を切り開いていく能動的な力」を、自分の手の中に取り戻しさえすれば。
成功者や師匠に依存し頼らなくても、自分にとっての答えは、自分で見つけ出していくことができるのかもしれない。

師のあり方を観察し、師のやり方や、師の考え方などを学ぶことは出来し、それはとても大切なことだが、師が、自分に代わって、自分のことを成功者にしてくれるわけではない。
自分の人生は、自分の足で立ち、自分で歩んでいくしかないのかもしれない。


~成功者と失敗者の共通点/特徴/考え方/条件/習慣/名言~
<writer 名無き仙人>


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バス男「成功者と失敗者の共通点かぁ。」

バス子「いろいろな考え方がありそうね。」

仙人「自分が未熟者であるのに、厳しい話を偉そうにして申し訳なかったのぉ。楽しい、幸せな人生を生きていけると良いのぉ。」


~追伸~
心の平安/ヨガの本(ヒマラヤ聖者とともに 偉大な霊性の師と過ごした日々)の中では、師が、スワミ・ラーマを(師に頼るのではなく)自立させようと促す場面が何度か出てきました。師弟関係において、賢明な師ほど、弟子に自立を促し・・・親子関係においても、子供へのお金教育の仕方(お金が与える影響)にあるとおり賢明な親ほど「可愛い子供に旅をさせる」ものなのでしょうか。
そこにはバランスの法則も関係しているのかもしれません。







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