■ラットレースとは?意味/他人と比べてしまう比較してしまう/他人との比較をやめたい/他人と比べられたくない
~ラットレースを抜け出す方法/人生編~
バス男「ほぉ。今週のTV番組は・・」
バス子「ちょっとバス男さん。昼真っから雑誌を読んで独り言を言ってないで・・もっと他にすることないの?」
バス男「バス子ちゃ~ん。努力し頑張っても、所詮、無駄なの。わかる?この大人の理論。」
バス子「もうっ。バス男さんは仙人の【ラットレースを抜け出す方法/人生編】の話、まだ聞いていないの?」
バス男「仙人様の【~「勝ち組/負け組み」や「他人との比較」など相対性の世界から自由になるには?~ラットレースを抜け出す方法/人生編】の話?」
バス子「うん、仙人が言うにはね・・」
~「勝ち組/負け組み」や「他人との比較」など相対性の世界から自由になるには?~
1.ラットレースを抜け出す方法/人生編
①ウサギと亀のレース
■あるところに、ウサ男と亀男がいました。
ウサ男と亀男は、思春期の頃より、周りのウサギや亀と同じように、山頂を目指して、頑張って山登りを始めました。
山登りを始めた当初。
ウサギであるウサ男は、亀男の2倍の速度で山頂へと進みながら「相手が亀男だから、絶対に勝てるよね。負けるわけがない。」と思い、途中、昼寝をしたり遊んだりしつつ、遠く下の方を歩く亀男を見下ろし優越感に浸りながら、「のろまの亀男なんて、このレースの負け組みだよね。」と見下しからかいました。
亀男は、遠く上の方を進むウサ男の姿を見て羨み、「くっそぉ。僕のことをバカにしやがって。絶対にウサ男には負けたくない!」と誓い、劣等感を感じつつも悔しさをバネに、来る日も来る日も、コツコツと山登りを頑張りました。
その結果。
いつの間にか亀男はウサ男を抜きさり、ウサ男より高くまで山に登ることになりました。
すると、亀男は周りの人達より「亀男はレースの成功者だ!」と賞賛されることになりました。
周りから賞賛されることで調子に乗り始めた亀男は「えぇ、まあ、私は成功者なわけですけども、それも私の努力や実力の賜物ですよね。」と自慢をし始めました。
「まぁ、私ほどの才能があれば、この程度の成功くらい、わけないですよ。」そう自慢しつつ、さらに亀男はウサ男を意識しながら「どこかの誰かさんは、努力が足りないようですね。私を見習い、コツコツと努力をすると良いのですが。」とも言い始めたようでした。
以前、ウサ男から見下されたことを亀男はいまだに根にもっていて、その仕返し/報復をしたい気持ちがあったのでしょうか。
そのような亀男の発言を聞いたウサ男は「そ、そうかもしれないけどさ。正論かもしれなけれど・・亀男、むかつくぅ~~!」と思い、仕返し/報復を考え始めたようでした。
そして、ウサ男は、批判攻撃や悪い噂攻撃、嫌がらせ攻撃などを駆使しつつ、亀男の足をひっぱり始めたようでした。
そのウサ男の行為に激怒した亀男も、負けじと、批判攻撃や悪い噂攻撃、嫌がらせ攻撃などを駆使しつつ、ウサ男の足をひっぱり始めました。
そのため、互いに互いの足をひっぱり合うことになり、2匹は、ともに山から転げ落ちていったようでした・・。
②相対性の世界とは?意味~ラットレースを抜け出す方法/人生編~
■上記の話の中で、亀男は、ウサ男より高くまで山に登ることが出来たわけですが。
その理由は、亀男が優れていたからでしょうか。
亀男の努力や実力のお陰なのでしょうか。
一般的には「亀男がコツコツと努力を頑張ったからだ。亀男の頑張りや実力のお陰だ。」と言われることになりそうです。
しかし、もし、ウサ男が、途中、昼寝をしたり遊んだりせずに、レース/山登りを頑張り続けていたならば。
たとえ、いくら亀男がコツコツと努力し頑張っていたとしても、亀男は、ウサ男より高くまで山に登ることが出来なかったことでしょう。
つまり、亀男が、ウサ男より高くまで山に登ることが出来た理由は{ウサ男が頑張って山登りをしなかったお陰}でも、あったのかもしれません。
★ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味★
~外的な結果は{自分の努力や実力}によって決まる!とされているが、実は、{自分以外の周りの人達の動向}によって決まっているのかもしれない。この世界が相対性の世界だから~
私達の生きる現実の世界は相対性の世界であるため、もし、自分が1位になったり、勝ったり、優れた結果を出せたならば、もしくは出せているならば。
それは{自分の努力/実力のお陰}かもしれません。
しかし違う見地から考えてみると{自分以外の周りの人が、自分ほど優れた結果を出さなかったお陰}とも言えるのかもしれません。
そして、この世界は相対的な世界であるため、いくら私達が頑張り努力し、実力を高めていっても。
自分以外の周りの人が、自分以上に優れた結果を出す場合、自分は{外的な結果}に関しては、手にすることが出来ないのかもしれません。
私は中学時代、野球部に所属していました。
私の通った中学校の野球部は弱小チームであり、チームメイトであり、またライバルでもある周りの部員達は、私よりかは野球が上手ではありませんでした。
だからでしょうか。
私は中学時代、レギュラーとなり野球の試合に出ることが出来ていました。
その当時、私は「私がレギュラーとなっているのは、私の努力や実力のお陰だ。」と思っていました。
「周りの部員達は、努力が足りないからレギュラーになれないのだ。」とすら、思っていました。
そんな私は高校進学後、野球部に所属しました。
高校の野球部は、各中学校の{野球の上手な人達}が集まることになるため、チームメイトであり、またライバルでもある周りの部員達は、私より野球が上手な人達ばかりとなりました。
だからでしょうか。
私は高校野球時代、レギュラーになれないばかりか、ベンチ入りすら出来なくなり、いつもスタンドから試合を応援することになったのでした。
その当時、私は、中学時代以上に、野球の練習や自主練習に取り組んでいました。
それなのに、やはり私は、周りの部員達より野球が下手なままなのでした。自分の中では、中学時代よりも野球は上手になっていたのですが・・。
「私がレギュラーになれないのは、私の努力や頑張りが足りないせいなのか?」私は疑問に思っていました。中学時代より努力し頑張っていたからです。
「周りの部員達は、私以上に頑張って努力しているから、レギュラーになれているのか?」私は疑問に思っていました。私より練習量は少ないのに、レギュラーとして活躍する人は何人もいたからです。
・・つまり、結論としては、こうも言えるのかもしれません。
私が中学時代、レギュラーとなり野球の試合に出ることが出来ていた理由は、{私の努力/実力のお陰}ではなく、{自分以外の周りの人達が、自分ほど優れた結果を出さなかったお陰}ということ、でもあり、
そして私が高校野球時代、レギュラーになれずにいた理由は、{私の努力/実力が足りないから}ではなく、{自分以外の周りの人達が、自分より優れた結果を出すから}ということ、でもあるのかもしれません。
私達の生きる現実の世界は相対性の世界であるため、もし、自分が1位になったり、勝ったり、優れた結果を出せたならば、もしくは出せているならば。
それは{自分の努力/実力のお陰}かもしれません。
しかし違う見地から考えてみると{自分以外の周りの人達が、自分ほど優れた結果を出さなかったお陰}とも言えるのかもしれません。
そして、この世界は相対的な世界であるため、いくら私達が頑張り努力し、実力を高めていっても。
自分以外の周りの人が、自分以上に優れた結果を出す場合、自分は{外的な結果}に関しては、手にすることが出来ないのかもしれません。
★ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味★
~外的な結果に関しては、周りの動向によって左右される。この世界が相対性の世界だから~
だからこそ。
もし、自分が外的な結果(高い偏差値/異性からモテる/スポーツでの活躍/仕事やお金の面での活躍etc)を手にすることが出来ているならば、もしくは、出来たならば。
「この結果は、私の努力/実力のお陰なのだ!はっはっは~!」と自慢し調子に乗り、周りの人達に対して「貴方達は努力や実力が足りないんだよ!私を見習い、もっと努力しなさい!」と偉そうに言うのではなく、
謙虚に{お陰様で、結果を出させて頂けている。ありがたい。皆に恩返し、していけると良いな。}と感謝する姿勢も必要となるのかもしれません。
相対性の世界である、この世界においては、外的な結果は{自分以外の周りの人達の動向}によって決まっていくから。
受験、スポーツ、恋愛、婚活、就活、仕事、お金・・・外的な結果を出せた、出せているならば、謙虚な姿勢にて感謝することにより、自分自身が救われることにもなるのかもしれません。
謙虚さなく「えぇ、まあ、私は成功者なわけですけども、それも私の努力の賜物ですよね。」と自慢すれば、周りから反感をかい、足をひっぱられることにもなるのかもしれないから。
関連→自慢話をする人の心理(自慢話をして、人から好かれる人と嫌われる人の違い)
★ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味★
~亀が外的な結果を手にすることが出来たならば、それは{自分以外の周りの人達の動向}のお陰。謙虚さを忘れると「私の努力や実力のお陰だ!偉いのは私だ!」と思うようになりがちだが・・~
例えば学校のテスト。
自分はテストで平均90点がとれる偏差値の高い人間であり、有名大学に進学できたとします。
すると周りからは「すごいね!人生の成功者だね!」と賞賛され、「この結果は、私の努力/実力のお陰なのだ!はっはっは~!」と自慢し、周りの人達に対して「貴方達は努力や実力が足りないんだよ!私を見習い、もっと努力しなさい!」と言う場合もあるかもしれません。
しかし、{偏差値が高い/有名大学に進学できる}などは、{自分以外の周りの人達が、自分ほど優れた結果を出さなかったお陰}とも言えるのかもしれません。
なぜならもし、自分以外の周りの人達が皆、テストで平均98点をとる人間達であれば。
自分は偏差値の低い人間となり、有名大学にも進学することが出来なくなるからです。
絶対基準なき相対性の世界においては、全てが相対評価であるため、このようなことになるのですね。
★ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味★
~{偏差値が高い/有名大学に進学できる}などは、自分以外の周りの人達が、自分ほど優れた結果を出さなかったお陰~
例えば恋愛。
自分は異性から「可愛い!orイケメン!」と評価される人間であり、異性からモテているとします。
すると周りからは「すごいね!人生の成功者だね!」と賞賛され、「この結果は、私の努力/実力のお陰なのだ!はっはっは~!」と自慢し、周りの人達に対して「貴方達は努力や実力が足りないんだよ!私を見習い、もっと努力しなさい!」と言う場合もあるかもしれません。
しかし、{異性から高評価される/異性からモテる}などは、{自分以外の周りの人達が、自分ほどは{可愛い!orイケメン!}ではないお陰}とも言えるのかもしれません。
なぜならもし、自分以外の周りの人達が皆、自分以上にもっと{可愛い!orイケメン!}であれば。
自分は異性から{可愛い!orイケメン!}とは評価してもらえなくなり、異性からもモテなくなるからです。
絶対基準なき相対性の世界においては、全てが相対評価であるため、このようなことになるのですね。
★ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味★
~{異性からモテる}などは、自分以外の周りの人達が、自分ほどは{可愛い!orイケメン!}ではないお陰~
だからこそ。
この相対性の世界の中で、受験、スポーツ、恋愛、婚活、就活、仕事、お金・・・外的な結果を出せた、出せているならば。
謙虚に感謝する姿勢も、必要となってくるのかもしれません。その結果は{自分の努力/実力のお陰}ではないから。自分以外の周りの人達のお陰だから。
そしてそう、謙虚に捉え、感謝することにより。
皆からも愛され、自分も心の中に不満をもつ機会が減り、、、長期的には、自分自身が救われることにもなるのかもしれません。
関連→「調子の乗る」と「謙虚」の意味(謙虚な心を忘れず‘幸せ’を受け入れる)
③勝ち組/負け組みとは?意味~ラットレースを抜け出す方法/人生編~
■私達の暮らす世の中では、外的な結果を手にすることが出来ない場合、「本人の努力不足だ!」と言われる傾向にあるようです。
そのため、自分は、自分なりに頑張っているのに、結果を出せないことで、悩んでいる人も多くいるようです。
<自分なりに頑張っているのに結果を出せないことで悩んでいる人も多くいる>
それは【相対性の罠】にはまり込んでいる場合、ある意味、当然なのかもしれません。
人類が、一斉に、外的な結果を求めて競い合えば、相対的な勝負となり、約半数は{勝ち組}となって良い結果を手にし、約半数は{負け組み}となって悪い結果を手にすることになるからです。
例えば世界が100人の村であるとしましょう。
村人100人が、一斉に、外的な結果を求めて競い合えば、100人の中での相対的な勝負となり、{当人の努力}とは関係なく、努力していようが、していまいが、単に、相対的により優れた結果を出せる人間から順に{勝ち組}となって良い結果を手にしていくことになりそうです。
そして、100人を相対的に比較し合った結果。
相対的には良い結果を出せない人達が{負け組み}となって悪い結果を手にすることになりそうです。
その後、村人達は、自分以外の周りの99人を見渡します。
絶対的な基準をもっていない場合、「自分は今現在、恵まれた立場にいるのか?それとも恵まれていないのか?」すら、周りの人達と相対的に比べないと、わからないからです。
言い換えると、村人達は、自分の今現在の状況を知りたいがために、自分以外の周りの99人を見渡すわけですね。
そして、村人の約半数は、自分以外の周りの99人を見渡し、こう思うことになるのかもしれません。
「私より、恵まれていない人の方が多いようだな。つまり、私は恵まれた立場・・{勝ち組}なのか。なるほど。やったー!これも私の努力や実力のお陰だ!」
また、村人の約半数は、自分以外の周りの99人を見渡し、こう思うことになるのかもしれません。
「私より、恵まれている人の方が多いようだな。つまり、私は恵まれていない立場・・{負け組み}なのか。あぁ、私の頑張りや努力が足りないからなのだろう・・。」
こういった現象が起きるのは、絶対基準なき相対性の世界の中にハマり込み、{この世界が相対性の世界である}ということをついつい忘れ、自分と他人を比較し続けるから、でもあるのかもしれません。
・・私達の暮らす世の中では、外的な結果を手にすることが出来ない場合、「本人の努力不足だ!」と言われる傾向にあるようです。
そうなのかもしれません。
しかし違う見地から考えてみれば。
それは「本人の努力不足」というよりも、本人以外の周りの人達の動向によるもの・・でも、あるのかもしれません。
具体的に言えば、たとえ高校野球において。
たとえA君が120%の努力をしていても、A君以外の周りの野球部員達が、A君より野球が上手である場合。
A君はレギュラーになれないかもしれません。
この場合、A君の努力不足なのでしょうか。
それとも、A君以外の周りの野球部員達が優れているから・・なのでしょうか。
外的な結果に関しては、周りの動向によって左右されるようです。この世界が相対性の世界だからでしょうか。
※人間と人間との相対比較であるため、当人の努力によって結果が左右されることになる場合も多い。
例えば、人間と、{手が8本あって平均身長8mで、平均IQ1200の宇宙人}とを相対的に比べるならば。
本人の努力ウンヌンを超えて、結果が決まっていくことも多いと予想される。
つまり、この場合は、努力ではカバーできないほど最初から違いがあるわけ。
関連→競争社会と桃源郷(競争社会の中で桃源郷の世界を生きる)
しかし同じ種(人間)の中では個体差はあるものの、その個体差(もって生まれたもの)は努力によってカバーできる範囲内であることが多い。
そのため{努力をすること}や{外的な結果を出すこと}が、{良い・悪い}は別として、現実的には、より努力した人間ほど、外的な結果を手にする傾向にある。
④人生で1度立ち止まる~ラットレースを抜け出す方法/人生編~
■相対性の世界を超えた絶対的見地を手に入れ、‘そこ’に留まること。
そのことが、いわゆる{悟り}とされており、諸先生方は、そのことを説いていたりもするそうです。
現実の世界・・言い換えると、二元性の原理に操られている相対性の世界は、インドの宗教やインド哲学においては{マーヤ(幻想世界)}と呼ばれており、賢者とは?意味/賢者の本(あるヨギの自叙伝)の著者である先生は、マーヤから抜け出した絶対的見地から素晴らしき教えを説いて下さってもいるようです。
人生には、山頂が存在するのでしょうか。
山頂が存在するとすれば、それは当人がマーヤ(幻想世界)の中で個人的に定めた/決めた{山頂}であり、絶対的な山頂ではないのかもしれません。
そのため、もし山頂がないとするならば。
絶対基準なき相対性の世界では「自分は今、どこまで山を登ってきているのか?」すらもわからないため、「自分は今、どこまで山を登ってきているのか?」を知るために、私達は他人との比較を始めてしまうのかもしれません。
※絶対基準となる山頂があるならば、「自分は今、山頂から見て5kmの地点にいる」などと逆算して自分の立ち居地を知ることができるが、山頂も、絶対基準もなき相対性の世界では、「自分は今、どこまで山を登ってきているのか?」がわからない。
だからこそ、ウサ男と亀男との話でも「ウサ男より高くまで登った」という相対的な表現・・ウサ男との相対的な比較をした表現となるのかもしれません。
絶対基準なき相対性の世界に生きている私達は、{自分は今現在、どうなのか?}がわからないため、{自分の今現在の状況}を知るために周りを見渡し、他人と自分との比較を意識的もしくは無意識的に行っていて。
そして{異性欲/物欲/金銭欲/名誉欲/自己顕示欲/承認欲求}などに突き動かされた状態にて・・・我欲によって競争原理に巻き込まれた状態にて、他人と自分とを比べるから「他人に勝ちたい!負けたくない!」と思うようになり、
人生を{競争/レース}だと思い込み始め、自ら意識的もしくは無意識的に競争社会の中に入り込んでいき、【競争し続ける人生/他人を羨んだり見下したりし続ける人生】を生きることにもなっている場合もあるのかもしれません。
<競争し続ける人生/他人を羨んだり見下したりし続ける人生>
それは、ゴールも絶対基準もないために、マーヤ(幻想世界)の中で永遠に行われ続ける終わ無きラットレース。
我欲にはきりがなく、1を得れば、1には満足できなくなり、次に2を得たくなり、「もっと!もっと!」と限りなく我欲は肥大していくから・・・それは、マーヤ(幻想世界)の中で永遠に行われ続ける終わ無きラットレース。
「私の方が勝っている!私の方が年収が多い。」
「私は負けている。私は住まいも家賃の安い賃貸アパートで・・」
「私は勝ち組。あの人は負け組み。その人は・・」
などと言い続けながら、他人を見下し優越感に浸ったり、他人を羨み足をひっぱったり・・と、それは、マーヤ(幻想世界)の中で、絶対基準がないために{他人と自分との比較}をし続ける終わ無きラットレース。
<人生が【相対性の罠/ラットレース】にハマり込んでいないか?>
なぜ、相対的に、他者と競うのだろう?
{他人との相対的な関係性}に縛られることなく、もっと自由に、自分のペースで山の景色でも楽しみながら、{自分なりには楽しい山登り}をしていけば良いじゃないか。
否、そもそも、山を登る必要があるのか?
否、そもそも人生は山登りなのだろうか?
・・私達は、1度立ち止まり「人生とは、なんぞや?」と考えてみる余裕すらなく、ひたすら我欲{異性欲/物欲/金銭欲/名誉欲/自己顕示欲/承認欲求etc}に突き動かされる形で、中学生の頃より【競争し続ける人生/他人を羨んだり見下したりし続ける人生】を頑張って生きているのかもしれません。
それはいったい、誰のためなのだろう?
誰にメリットがあるから、【競争し続ける人生/他人を羨んだり見下したりし続ける人生】を頑張って生き続けているのだろう?・・私?私は、【競争し続ける人生/他人を羨んだり見下したりし続ける人生】のお陰で幸せになれている?
私が本当に望んでいることは、マーヤ(幻想世界)の中で永遠に行われ続ける終わ無きラットレースにて、頑張り続け【(他人との相対的な関係性によって決まる)勝ち組】になることなのだろうか?
それとも、もっと他の‘なにか’なのだろうか?
そして、考え方を変える方法!幸せになるために(起きた事象に対して、どう反応するか?)にもあるとおり、外的な結果に己の幸せを依存しすぎないことも、心穏やかに、幸せに生きるためには大切となるのかもしれません。
外的な結果がどうなろうと、常に心の中では幸せを感じることができるよう工夫する。心の修練をする。
そうすることによって、私達は【競争し続ける人生/他人を羨んだり見下したりし続ける人生】以外の‘生き方’・・それは自由な‘生き方’・・・それは私達の心の中にのみ存在する自由・・の選択肢を手にすることにもなっていくのかもしれません。
⑤人生を競う心理や意味~ラットレースを抜け出す方法~
■亀な私は、相対性の世界の中で、ウサギたちに相対的に負けてしまうために、テスト、スポーツ、恋愛、婚活、就活、仕事、お金・・・外的な結果を手にすることが出来ない人生を歩んできました。
そして{外的な結果を手に出来なければ幸せになれない}という状態であったから、いつも不幸な感覚を味わうことになっていて・・それが辛くて辛くて。
だから、「相対性の世界を超えた絶対的見地を手にいれる」や、「結果に己の幸せを依存しない」など、一般的には少し怪しげな、そういった方向に進むことになったのかもしれません。
そうしていかないと、人生が辛いから。
そうすることによって、辛い人生を、楽しい幸せな人生に変えていけると思えたから。
逆を言えば、相対性の世界の中で、他者より優れ、外的な結果を手にすることのできる自分/人生ならば、現実の世界が楽しく不満も感じないため、「相対性の世界を超えた絶対的見地を手にいれる」や、「結果に己の幸せを依存しない」など、そういった方向に進むこともなかったのかもしれません。
つまり私は、相対的に皆に負けてしまう自分/人生だったから、進む方向がそうなり、{無能な変態}から、{‘怪しい’無能な変態}になっちゃったんです(´⊆`*)ゞテヘヘ
※世の中の皆が、もっと変態であれば、私は{変態}ですらなくなりそうです。
つまり、私が{変態}でいられるのは、{私以外の周りの人達が‘まとも’であるお陰}でもあるのかもしれません。詳細は常識と非常識/正しいまともな人とは?意味(相対性と自分の意見と他人の意見)にて。
しかし、そのお陰で、たとえ亀であろうと、心の修行(心の仙人/仙女修行や、心の修練など)を積むことにより、人生が楽しくなることを教えて頂けました。
人生/生き方わからないで迷う(私は自転車をこいだ)に詳細はあるとおり。
人生はそもそも、レースではないのかもしれません。特定の{進むべき道}や、ゴールすら、人生にはないのだから。
だから、周りにいるウサギや亀たちと競う必要はないのかもしれません。
自分は自分のペースで、周りのウサギや亀たちのことを{ライバル/競争相手}としてではなく、{大切な仲間}と認識し見て、皆の幸せを心から願い、自分は自分にとっての幸せを大切にしながら、自分としては幸せな人生を生きていく・・そういった‘生き方’も1つの選択肢として存在するのかもしれません。
関連→人間関係とコミュニケーションの改善方法/名言(全ての他人が【大切な仲間】)
皆の幸せを心から願うことで、相対性の罠から抜け出し、人生は自由になっていくから。
関連→相対的世界で生きる意味とは?名言(「相対性の罠にハマる」から「相対性の世界で遊ぶ♪」へ)
残り数十年の余生・・
批判してくる批判先生のお相手をすることもなく・・
誰にも、なにも言い訳をすることもなく・・
誰かに認められたいからでもなく・・
残り数十年の余生、自分が「良かれ!」と思う生き方/生き様をし、幸せに生きていくだけ。
最後までありがとうございました。
~まとめ ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味~
①外的な結果(収入/年収/モテる/モテない/スポーツや仕事での活躍/受験の合格/就活/転職etc)は、自分の{努力/実力}のお陰でもあり、別の見方をすれば、{自分以外の周りの人達の動向}のお陰でも、あるのかもしれない。
それを「どう捉えるか?」は、相対性の世界に関する認識や、謙虚さ、それに感謝の気持ち、などとも関係するのかもしれない。
元気/やる気がでる前向き本(偉大なる選択―偉大な貢献は、日常にある小さな選択から始まった)によると、相対性の理論を創始したアルベルト・アインシュタインは、こう言っているそうである。
「私は1日に100回自分に言い聞かせている。自らの人生は、内面的にも外面的にも生者か死者かを問わず他の人々の努力のお陰だ、と。私がこれまで受け取った、また今受け取りつつあるものと同じ量をお返しするために努力しなければならない、と。」
相対性の世界に関する深い認識をもっていたアインシュタインは、「相対性の理論を発見できたのは、ひとえに私の努力や実力の賜物だ!私が偉いのだ!」とは、思わなかったのかもしれない。
アインシュタイン以外の周りの人々がもっと頭がキレる人ばかりで、もっと早くから皆が{相対性の理論}を認知していれば、アインシュタインは皆から賞賛されることもなかったのかもしれない。
私達が外的な結果を得ることが出来たならば、それは{自分以外の周りの人達の動向}のお陰でもあり、また、生者か死者かを問わず他の人々の努力のお陰でもあるのかもしれない。
そして、そう謙虚に捉え、感謝することにより。
傲慢な態度でいるよりかは、私達自身が、救われることにもなるのかもしれない。
②「どちらが勝っているか?優れているか?負けているか?劣っているか?」や、「勝ち組/負け組み」などは、現実の世界・・二元性の原理に操られている相対性の世界・・・マーヤ(幻想世界)の中でのみ繰り広げられていることにすぎないのかもしれない。
諸現象のその奥にある絶対的局地には、「どちらが勝っているか?優れているか?負けているか?劣っているか?」や、「勝ち組/負け組み」なども、存在しないのかもしれない。
関連→人生は映画?人生が変わる物語(3Dホログラムによる完全没入体験型オンラインゲーム)
③「幸せ」は感情であるため、常に私達の心の中にある。
そのため、「幸せ」という感情を得るために、外的な結果を得なければならない!ということも、ないのかもしれない。
「幸せ」という感情を得るために必要なことは、心のコントロールなのかもしれない。「幸せ」は感情であるため、常に私達の心の中にあるから。
私達は、「幸せ」という感情を得るために、外的な結果のコントロールを目指して頑張る。
そして私達は、心のコントロールによっても、「幸せ」という感情を得ることができるようにもなるのかもしれない。
関連→ありがとう!感謝の魔法使いになる方法(私達は感謝の魔法使い)
④お金の世界における「ラットレース」を抜け出す方法は、資産を獲得して経済的自由を達成することなのかもしれない。
関連→お金の増やし方(資産と負債の違い)
人生における「ラットレース」を抜け出す方法は、心の修行を積んでいくことなのかもしれない。
関連→心を静める科学の本(インテグラル・ヨーガ/パタンジャリのヨーガ・スートラ)
~ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味~
<writer 名無き仙人>
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バス男「ラットレースを抜け出す方法/人生編|ラットレースとは?意味・・かぁ。」
バス子「競うもいいけど、協力し合い助け合うのも素敵よね。」
仙人「なにはともあれ、楽しい幸せな人生を生きていけると良いのぉ。」
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