優しい穏やかな人になる方法

■優しい穏やかな人になるには?方法/優しい穏やかな気持ちになれる方法/心穏やかに生きる暮らしとは?


優しい穏やかな人になる方法


バス男「あ~、忙しい忙しい。忙しくて「優しさ」や「穏やかさ」を忘れてしまいそうだよ。」

バス子「だったら今すぐ、パソコン画面を閉じれば良いでしょ?」

バス男「バス子ちゃ~ん。大人の事情で、そういうわけにもいかないんだよ。あ~忙しい忙しい。」

バス子「もうっ。バス男さんは仙人の【優しい穏やかな人になる方法】の話、聞いていないの?」

バス男「仙人様の【肩の力が抜け優しい穏やかな人になれる方法】の話?」

バス子「うん、仙人が言うにはね・・」







~肩の力が抜け優しい穏やかな人になれる方法~

1.優しい穏やかな人になる方法

①とある昼下がりのこと

■「あ~、もう限界!」

しなければいけない仕事が山ほどある中、私は「もう無理!」とばかりに仕事を投げ出し家を出て、自転車に乗りこぎ始めた。

「記事書き」と「既存記事の書き直し」の両方を同時進行で進めているため近日はパソコン作業のしすぎのためか?
パソコン画面を見るだけで酷い頭痛がし始め、家にいても仕事にならないからであった。


「あれもしなきゃ。これも終わっていない。」しなければいけない仕事のことが頭に浮かび、「でも今、私は仕事もせずに外をふらついている・・」と思うと、自転車をこぎつつ罪悪感に襲われるのであった。

「だ、だけど、家にいても頭痛から仕事が出来ないのだから、仕方ないだろう?」自分を責めてくる‘自分’に対して、私は自分を弁護しながら自転車をこぎ続けた。
関連自分を責める心理(頑張りすぎる心理)


「車の洗車も、部屋の掃除もずっとしていない。スーパーにも買い物にいかなきゃ。銀行も行かなきゃ。免許更新にも行かなきゃ。あ、あと・・」
仕事最優先で日々をまわしていたため、仕事以外のことも含めれば、もっとあれも、これもと、しなければならないことが山ほどあるよう思われ、げんなりし、、、自転車をこいでいる場合ではないよう思え、家に引き返そうか?とも思った。

だけど。
こういう時こそ1度立ち止まる必要がある、そう経験則が教えてくるため、公園までは行くことにした。

車が慌しく行き交う大通りの反対側にある入り口から公園に入り自転車を停め、石で出来た椅子に腰掛けた。

昼下がりの誰もいない公園にて1人座っていると「皆から、変な目で見られないだろうか?」と人目が気になり、辺りを見渡してみた。
公園隣の小道で、自転車に乗り遊んでいる小さな子供以外は、私に気づいていそうな人はいないよう思われ、


ふぅ~。
そこでやっと安心し落ち着けるようになった。

寄り道もせずに、立ち止まることもせずに、慌しく日々が流れていく中。
久しぶりに立ち止まり誰もいない公園にて腰掛けていると・・徐々に視界がフラットになってきて、空をゆったりと流れる雲や、

足元の草や、周りの建物などが自然と視界に入ってき始め、今まで視界/視野が狭まっていたことに気がついた。


「へ~、草の上に水滴が・・」昨日、雨が降ったためだろうか。
足元の草を眺めていると葉の上に水滴がのっており、{葉の上の水滴}をゆっくりと見るなんて、中学生・・否、小学生以来のことのように思えた。

私が普段、気がついていないだけで。
本当は日々、行われているのであろう地球上における小さな小さな生命ドラマに、ささやかな感動を感じていると風が、

涼しげに通り抜けていく風が、火照った体と、心を癒してくれるのであった。

風に優しく誘われるままにふっと顔をあげると木々が、ただ風の吹くままに揺れていた。


公園の隅に立つ立派な木々は、全長数メートルにもなろうと思われた。
が、この大きな木も、始めは数センチしかない小さな小さな種であったわけで。

私の肉眼では見ることが出来ない土の中に根を張っていき、何年も何十年もかけて、ここまで立派に成長したのであろうと思われた。



・・私は今、「頑張って、結果を出さなきゃ!」と焦っていて。

しかし、この木々たちには「頑張って大きくならなきゃ!立派に成長しなきゃ!」という焦りなどはなく、大きく成長したからとて・・・だから、なんなのだろう?

そう考えてみると、私が頑張って結果を出して・・だから、なんなのだろう?そこに、意味はあるのだろうか?

否、この木々たちには「だから、なんなのだろう?」などすらないよう思われた。木々には私のような自我意識「私が私が私が私が!」がないから・・。



木々は、ただ、あるがままにある。




木々は、ただ、あるがままにある。




私は自我意識があるから、いろいろと「アレもしなきゃ。コレもしなきゃ!もしあ~なったら、どうしよう?」などと考えることになるし、自分の1視点から、この世界を見て、あーだ、こーだと判断し推測し、欲望に突き動かされ・・日々、外的にも心の中においても慌しく生きることになっているが、


木は、ただあるがままにある。


木々に、「貴方はどうして存在しているのですか?」と質問しても答えは返ってこないし、木自体も「なぜ私は存在しているのだろう?」などと考えることがない。木は、ただあるがままにあるから。

木々に、「貴方はどうして、頑張って成長して、こんなにも大きくなっているのですか?貴方の頑張るモチベーションは?」と質問しても答えは返ってこないし、木自体も「どうして私は大きく成長するのだろう?」などと考えることがない。木は、ただあるがままにあるから。

人間という生物の1立場から。
人間の見地から見れば「木は大きく成長することで日光をより多く獲得できるから・・」などと、人間の立場から意味づけや、解釈を行い、木について、勝手に推測し、判断/ジャッジを行うのかもしれないが、


木は、木自体は、ただあるがままにある。


推測したり、判断したり・・も含め「考える」こと。
つまり想念が浮かぶ根源には「‘私’は「木は、ただあるがままにあるのだ」と思う」「‘私’は風を感じた」などと、全てにおいて「私が私が私が私が!」という自我意識がある。

私達人間は、「私が私が私が私が!」という自我意識があるから想念(思考/考え)が浮かぶことになり、想念(思考/考え)が浮かぶから私達は人間なのかもしれない。


【人間は考える葦である】
つまり逆を言えば、想念(思考/考え)が浮かばなければ人間ではないわけで。
人間を人間たらしめているのは、「私が私が私が私が!」という自我意識なのかもしれない。想念は自我意識から発生するから・・。


木には、「私が私が私が私が!」という自我意識がないから。
木は、「アレもしなきゃ。コレもしなきゃ!もしあ~なったら、どうしよう?」や「あの時、左を選んでいれば・・」、それに「なぜ私(木)は存在しているのだろう?」などの想念(思考/考え)が浮かぶこともないわけで、


木は、ただあるがままにある。



本当は・・
本当はこの世界は、ただあるがままにあるのかもしれない。

そこの小道を自転車に乗り遊んでいる「小さな女の子」も、私の1視点/私の立場からすると「お嬢ちゃん」だが、彼女の親から見れば「娘」であり、祖母から見れば「孫」であり、弟から見れば「姉」である。

でも、彼女はただ、あるがままに今、自転車に乗り遊んでいて。
私達は自分1個人の視点/見地からしか、この世界を見聞きし感じることが出来ないがために、

【ただ、あるがままに自転車に乗っている生物】のことを、自分の立場から勝手に「お嬢ちゃん」とか「娘」とか「孫」とか「姉」とか、自分流に判断しジャッジし、認識しているだけなのかもしれない。


私達は、他人や、この世界を見ては「この人は、このような人だ」「これは、こういうことだ」などと自分の見地から自分なりの判断を下し認識するから、
     
この世界に対して、自分流の意味づけや、解釈を、与えおり・・
人間は、自分の自我意識の中だけで展開されている「私の(個人的な)慌しい世界」の中で生きることになるわけだが、


この世界は本当は、ただあるがままにあるのかもしれない。
木々が、ただあるがままにあるように・・。


そして、それは私もそうなのかもしれない。
私も、自分ではあーだ、こーだと考え、喜びや悲しみなど各種の感情を感じつつ焦って頑張っているが、それは私の自我意識の中だけで起こっている慌しさにすぎず、もしかすると本来、私も、ただあるがま・・


さ~


優しく通り抜けていく風が、私に、思考をとめるよう誘った。

私は、風に誘われるままに考えるのを辞め、ただ、あるがままにあろうとしてみた。


この世界は、ただ、あるがままにある。

否、「この世界は、ただ、あるがままにあるのだ!」という肩に力が入った想念(思考/考え)すらなく・・・


自然と目が閉じられ、{ただあるがままにある木々}と同じように、ただ、あるがままにあろうとしてみた。


そこには、優しく吹き抜けていく風があり・・
足の、意識では操作できない部分の筋肉が小刻みに軽く痙攣したことが知覚された以外には、なにもなかった。



ふぅ~
目を開けてみると、木が、ただあるがままにある木々が、あるがままに風に揺らされ木の葉を揺らしていた。

周りの喧騒とはまるで関係がないかのように、ただ、木々はあるがままにあった。

この公園の木々は、人間が日々、繰り広げている騒がしい事件やニュース、日常とはまるで無縁であるかのように、ただ、あるがままにあるよう感じられた。


私は、なんとなく木に感化され、影響を受け、木を見習い、ただあるがままにあろうとしてみた。



この世界は、ただあるがままにある。



私は今、現実の世界に没入してしまっているから、「これは現実だ」とも気がつくことがないままに、ただ慌しく活動をしている。欲に突き動かされながら。人目を気にしながら。

しかし木は、ただあるがままに成長していき、そして今、あるがままにある。そこに人目を気にするもなにもない。他の木との比較による「優越感」も「劣等感」もない。
ただ、あるがままに・・


再び目をつぶった。
時間が、ゆっくり流れているよう感じられた。
時間は体感に限れば、均一ではないからだろうか?

呼吸が、自然とゆっくりになっていった。
それはまるで、木々が行っているゆったりとした呼吸に同調されていくかのような・・

「この世界は、ただあるがままにある」そう思ってこの世界を感じてみると肩の力が抜けてきて、今まで肩に力が入っていたことに気がついた。


しばらくの後、ゆっくりと目を開けた。

そこにはただ、木々があるがままにあり、私の心にはもう「車の洗車も、部屋の掃除もずっとしていない。スーパーにも買い物にいかなきゃ。銀行も行かなきゃ。免許更新にも行かなきゃ。あ、あと・・」などの過度/過剰なほどの焦りもなくなっていた。


大自然という師に・・偉大なる先生に感化され、自分のペースを取り戻せた気がした。
ゆっくりと立ち上がると自転車に乗り、公園を出た。

来る時と違い、ゆったりと自転車をこいでいる自分が今、優しい表情をしていることになんとなく気がつき、相対的な比較による感覚から、公園に来るまでは、焦った深刻な表情をしていたことにも気がついた。
関連不安/焦りの人生が豊かになる方法({不安/恐れ/心配}をモチベーションに頑張ると・・)


物理的には、公園に来る前と現在では、なんら状況は変わっていないのに、心の状態はえらく変わっているように思え「ふふふ」と1人微笑みながら、私はスーパーへと自転車をこいだ。



~まとめ~
①優しい穏やかな人になる方法/穏やかな優しい人になりたい
→木々など自然に触れると、優しい気持ちや、穏やかな気持ちになれる。
木々や風など自然には、「私が私が私が私が!」という自我意識がないために「我欲/焦り/不安/恐怖」もないため、私達は自然から感化される形で自然体に戻り、「優しい気持ち」や「穏やかな気持ち」を思い出すことになるのかもしれない。

私達は、人から影響を受け、感化されることもある。
例えば、その人のもっている世界観に無言のうちに影響を受け、感化されることもあるかもしれない。
関連思い込みが激しい!癒しの心理学(世界観の事例と説明と癒し方)


そして私達は、人からだけではなく、自然や動物からも、感化され影響を受けることもあるのかもしれない。


②優しい穏やかな人になる方法/穏やかな優しい人になりたい
→日々、生活をしている中で、時には、我欲や焦り、不安などに呑まれてしまうこともあるかもしれない。
自分のペースを見失い、焦りや不安から逃れたい気持ちをモチベーションに、ひたすら頑張り続ける日々を生きることになる場合もあるかもしれない。
そして「優しさ」や「穏やかさ」を、ついつい忘れてしまう場合もあるかもしれない。

そのような時は自然の中で1度立ち止まり、自然と同化することにより自然の中に帰り、自然から影響を受け自然から感化されることにより、本来の自分のペースを取り戻すことも、「優しさ」や「穏やかさ」を思い出すうえで役立つ場合があるのかもしれない。

自分のお気に入りの自然豊かな公園や、海岸、山など、時には自然に立ち返り、自然の中で立ち止まり、自然から影響を受け自然から感化されてみるのも悪くはないのかもしれない。


③優しい穏やかな人になる方法/穏やかな優しい人になりたい
→私達は自我意識があるから、自分の中だけで(自我意識の中だけで)「あーだ、こーだ」と忙しく考え、「もし将来、~となったらどうしよう?」などと取りこし苦労をし、「あの時、右を選んでいれば」などと過去を悔やんだり・・し、他人を見ては、自分の見地から「この人は~~な人だ」とジャッジし、世界を見ても自分の立ち居地から「この世界は~~だ」などと判断し、

自分の世界の中だけで忙しい日々を生き、「優しさ」や「穏やかさ」を忘れ「豊かさ/愛/喜び/感謝」などを感じる機会なく、日々を生きることになってしまう場合もあるかもしれない。

しかし、私達の自我意識の中だけで展開されている「私の慌しい世界」とは関係なく、この世界は本当は、ただ、あるがままにあるのかもしれない。


④優しい穏やかな人になる方法/穏やかな優しい人になりたい
→自然の中で、風や木々に誘われるがままに目を閉じ、思考を辞め、風や木々のように、ただあるがままにあろうとすることで。
私達は、自我意識の中だけで展開されている「私の(個人的な)慌しい世界」から抜け出し、本来のペースを取り戻せ、「優しさ」や「穏やかさ」を思い出せることにもなるのかもしれない。


★参考文献はこちらあるがままに―ラマナ・マハルシの教え


~優しい穏やかな人になる方法/穏やかな優しい人になりたい~
<writer 名無き仙人>





バス男「ほ~、優しい穏やかな人になるためには、食事「なにを食べるか?」が重要なのか~。」

バス子「食事の話は、体にいい食べ物/ダイエット編(肉食と{消化ー同化吸収})や、健康的な食事と心のバランス(食事と心と肉体の健康)の記事の話で、この記事とは関係がないでしょ。」

仙人「食事「なにを食べるか?」も、心に影響を与える1要素でも、あるのかもしれぬのぉ。」







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